第20話 レオン先輩の腕に抱かれて

 雪原地帯の朝は、まるで世界が凍りついたみたいだった。

 風も鳥も息を潜め、雪が静かに音を吸い込んでいく。

 私たちは白い息を吐きながら、仮設拠点の前で整列していた。 


「おはよう、皆」 


 その静寂を壊さないように、アストレイ殿下が静かに声をかけた。

 けれどその声には確かな熱がある。

 朝の冷気の中でも、不思議とあたたかく感じる声だった。

 私たちは無言で頷き返す。

 誰ひとりとして、礼儀を欠く者はいなかった。 


「今日は三手に分かれて、周辺の視察を行おうと思う。

 青の国により近く、地形的にも危険度の高い北斜面は、私とガリンダ、そしてベレトに任せたい」


「御意」 


 淡々と告げられた采配に、ガリンダ団長が短く答える。

 その声は鋼のように揺るがず、地に響いた。 


「わかりました。お役に立てるよう尽力します」 


 ベレトは深く頭を下げる。

 彼の整った所作を見ていると、まるで貴族のようだと思ってしまう。

 殿下は二人の返答に「ありがとう」と目を細め、今度は私たちの方を向く。 


「そしてリシェドとレオン。君たちは西の雪道を頼む。

 人や動物の通行跡、魔力痕跡など、見落としのないように」 


 声は変わらず穏やかで、でもその眼差しは真剣だった。

 任された、という実感が胸にじんと沁みる。


「了解です!」 


 レオン先輩が真っ直ぐに答えた。

 その姿はいつもの軽快な調子のままで、けれど声に力がこもっている。


「じゃ、頑張ってこうな、リシェド」 


 笑顔は変わらず明るくて、子どもっぽいところがある。

 なのに、なぜだろう。

 今日はやけに頼もしく見える。 


「はい、頑張りましょう。レオン先輩も、足元気を付けてくださいね」


「なっ、そっちこそだぞ!」 


 その反応がなんだか少しだけ可笑しくて。

 私は声に出さず、雪の中で小さく笑った。

 二人のやり取りを聞いて、こくりと頷くアストレイ殿下。

 

「最後に、ノクス。君は拠点に残って見張りを頼む」


「はぁ? オレ様は留守番か?」


「ここには、遠征用の物資が全て置いてある。

 万が一、賊や青の国からの侵入者がやってきた場合、君が迎撃するんだ。

 むしろ一番大事な役目と言っても過言ではないし、私も君の実力を買ってこの采配にしているんだ」


 殿下のその言葉に、ノクスはあくび混じりに「へいへい」と手を上げた。


「それでは、任務を開始しよう。皆、頑張ってくれ」 


 三々五々散っていく中、私たちも最小限の荷を背負って西へと歩き出した。

 雪は深く、道らしい道はない。

 踏みしめるたびにぎゅっぎゅっと靴が沈む。


「うーん、道……見えないな」


 先輩がちょっと困ったように足元を見て言う。

 まっさらな雪原には、確かに道らしいものは見当たらない。


「一応この方向に旧街道の名残があるはずですけど……雪で全部埋まってますね」


 私は地図と地形を照らし合わせながら言う。

 レオン先輩は気だるげにため息をついた。


「舗装された道が恋しいなぁ……でも、やるしかないか。

 うしっ、行こう!」


 パンパンと手袋をはめた両の手で自分の頬を叩き、先輩は力強く地を踏みしめた。

 私と先輩は周囲に警戒しつつ、殿下に言われた通り他者の足跡を探る。

 しばらく歩き続けたところで、レオン先輩がふと足を止めた。


「あー、やっぱ寒っ……靴下二枚重ねでも、足先が死にそうだ」


「わかります。もっと厚手のやつ持ってくればよかったかなあ」


「いやー、そうすると荷物がまた嵩張るしなあ。寒いのと重いの、天秤にかけたらこうなるさ」


 くだらない話。

 でも、不思議と気が紛れる。

 白一色の世界でも、こうやって誰かの声を聞いていると、怖さが薄れる気がする。 


「それにしてもさ」


 前を歩くレオン先輩が、ふと立ち止まり、振り返る。


「俺はあんまり経験無いんだけど、雪って音を吸うんだな。めっちゃ静かじゃん」


「そうですね」


「静かすぎるのも、落ち着かないもんなんだなー。

 なんか違和感あるよ」

 

 レオン先輩の話を聞いていた時、突然――


「わっ!」


 私の足が、ずるりと滑った。

 斜面に乗っていたのだと気づいたのは、視界が傾いてからだった。

 ふわっと体が浮いて、雪に飲み込まれる。


「リシェド!」 


 伸びて来た腕に引き寄せられながら、私は雪の中へ。

 ドスンッと鈍い音と共に、雪が舞い上がる。

 気が付くと、レオン先輩の腕の中に、私はすっぽりと収まっていた。


「いたた……」 


 見上げると、すぐそこに先輩の顔があった。

 至近距離。

 呼吸が触れるくらいに近い。

 レオン先輩の顔が、みるみるうちに真っ赤になる。


「え、ちょ、近っ……ってかお前……大丈夫か!?」


「は、はいっ……!」 


 慌てて体を起こす。

 けれど、顔の熱が引かない。

 何なの、この体温……!


「す、すみませんっ……! 足、滑らせちゃって……!」


「い、いや、あ、うん、大丈夫! っていうか俺が勝手に飛び出したっていうか、あーもう、くそ寒いな今日は!!」


 寒いな、って。

 絶対話そらしただけだ。

 先輩はぶっきらぼうな仕草で雪を払いながら、こちらを見ようとしない。


 胸のあたりがじんじんしていた。

 寒さじゃない。

 多分、もっと別のもの。




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 巡察の帰り道、途中で少し休憩を取った。

 木立の影に腰を下ろし、水筒のぬるい湯を口に含む。

 沈黙が続いていた。

 気まずい……わけじゃない。

 でも、何を話していいのか分からなかった。 


「さっきの、さ」


 レオン先輩が、ぽつりと言った。

 私が顔を上げると、先輩はこちらを見ずに続ける。 


「咄嗟とはいえ、勝手に抱きしめちゃったな。気を悪くしてたら、ゴメン」


「……してないです」


 私は首を横に振った。 


「むしろ、助けてもらって感謝してます。ありがとうございました」


「そ、そっか。……よかった」


 先輩は照れくさそうに笑った。

 その顔が、さっきよりちょっとだけ年下っぽく見えた。


「でも、お前ってさ。ああいうときでもあんまり焦らねぇよな」


「そんなことありません。俺も……けっこう、どきどきしてました」


 言ったあと、気づく。

 余計なことだったかも。

 レオン先輩を見ると、ぽかんと口を開けて固まっていた。


「でも、やっぱり自分より慌ててる人を見ると、なんか冷静になれますねっ」


「だ、誰が慌ててたって!?」


 先輩の怒声とともに、雪がさらりと風に舞った。

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