第6話 正体

タツは、その日から美杜の元に通わなくなった。


最初は、数日来ないくらいで何を気にする必要があるのかと、美杜は努めて平静を装った。


しかし、いつも「姐御!」「姐御!」と自分を慕い、毎日欠かさず会いに来ていたタツが来ない現実に、美杜の心は少しずつざわつき始めていた。


水中モンスター達は、美杜の様子に不安そうにしていた。


美杜がいつもより口数が少なく、どこか上の空なのを察しているのだろう。



「クイーン!どうかしました?元気がないみたいですが」


「うるせ!いつも通りだっつの!」


「ひゃ……ひゃい!っすみません!!」



美杜は、苛立ちを隠せず、ついきつい口調で返してしまう。


だが、その言葉の裏には、言いようのない寂しさが渦巻いていた。



「…………お前らは良いよな。魔王に存在してるだけで良いって言ってもらえて。自由にしていいって言ってもらえて……」


「クイーン?」


「私は……」



ただプカプカと“ほのぼの”と生活しているだけでは、ダメなのだろうか。


普段は「姐御!」とまとわりついてくるタツが来ないことに、美杜は胸にぽっかりと穴が空いているような感覚があることを認めざるを得なかった。


強い男に憧れ、強い男のパーティとともに魔王城を目指すという、それが夢だったタツにとって良いことのはずなのに、何故か涙を流す弟との別れを思い出した。


あの時も、暴力的な父親と離れて弟にとって良い出来事のはずなのに、あんなに泣かれてしまった。


結局、自分に出来ることなんてほとんどないのだと、美杜は痛感する。


強くなったところで、魔王を倒したところで、自分にとって本当の魔王を倒せないのなら、意味がない。


そんな虚しさが、再び美杜の心を覆い始めていた。


吐き出した息は、分散する気泡となってキラキラと水面へと上がっていく。


そんなある日の午後、美杜は口呼吸のために、いつものように人気のない海岸に上がっていた。


手のひらに載せた、辰波から貰った金貨を見つめる。


多少の下衆な思考であろうと、人間なら当たり前で誰しも繕っていて、表に出さない間は無害と一緒なんだから無駄な心配だよなと、自分に言い聞かせた。


一緒に旅が出来なくても、レアアイテムを渡すという形で関わるというのもアリかもしれない。


もしかしたらアイテムを買取に来る時にタツとも今後も会えるだろうし、タツが旅に出ても淋しくはないはずだ。


美杜は、そうやって自分を納得させようとしていた。


ぼんやりと空を眺めていると、遠くから村の騒がしい声が聞こえてくる。


普段は穏やかな村のざわめきとは違う、何かもっと切羽詰まった、怒鳴り声のようなものが混じっている。



「…なんだ、喧嘩か?」



美杜は眉をひそめた。


地上での移動は疲れるし、正直面倒くさい。


しかし、あの声は、タツが住む村の方向から聞こえてくる。


胸騒ぎがした。


嫌な予感が、美杜の心を締め付ける。


美杜は重い体を奮い立たせ、千里眼の力を最大限に活用した。


遠くの景色が、まるで目の前にあるかのように鮮明に映し出される。


美杜の目に飛び込んできた光景に、彼女は息を呑んだ。


村の中央広場に、タツと勇者一行がいた。


だが、その状況は、タツが語っていたような「最強の漢」とはかけ離れたものだった。


辰波信吾とその仲間たちが、怯える村人たちを取り囲み、金品を要求していたのだ。


一軒の建物は、見せしめのように炎で燃え上がっている。



「おい、てめぇら!とっとと金目のもの出しやがれ!今年の分だ!魔王退治のためだっつってんだろ!分かってんのか!?言う事聞かなきゃ、この村全部焼き尽くすぞ!」



屈強な戦士の怒鳴り声が響き渡る。


男のその行動を止める事なく、薄ら笑いを浮かべる辰波信吾の姿がそこにあった。


その顔には、タツが見上げていたような正義の光は微塵もなく、ただ下卑た欲望が貼り付いていた。


細身の男もまた、高圧的な態度で村人を脅しつけている。


村人たちは身を縮こませ震えながら口々に言う。



「ひい……今年も始まってしまった」


「うぅ、これも勇者様達のため……」


「でもただでさえモンスターのせいで生活も苦しいのに……これ以上は」


「いや、今年こそ魔王を討伐するって勇者達も言っているし」



美杜は、その惨状に息を呑んだ。


村人たちの悲鳴が、美杜の千里眼を通して、まるで耳元で響くかのように届く。


タツは、その光景を目の当たりにし、顔を真っ青にして立ち尽くしていた。


憧れの「地上最強の男」と信じていた勇者一行の恐ろしい真実が、今、白日の下に晒されたのだ。


彼の目は、絶望に大きく見開かれていた。



「うそだ…うそだ…!」



タツは、これまでの全てが欺瞞ぎまんだったことに大きなショックを受け、これまで信じていたものが音を立てて崩れ去っていくのを感じていた。


その場にへたり込み、自信をなくしたように震えている。


しかし、その震えながらも、タツは歯を食いしばった。


辰波が、さらに村人の女性に暴力を振るおうと手を上げたその時、タツの体が動いた。



「やめろっ!」



タツは、小さな体で勇者一行に歯向かい、村人を守ろうとする。


だが、その足は恐怖で震えているのが美杜にもはっきりと分かった。


顔は蒼白で、今にも泣き出しそうだ。



「タツナミの兄貴!なんでこんなこと……」


「なんでって……何言ってるんだ。旅の間の生活に金が必要だろ。当たり前だ。村人も魔王討伐なんてハイリスクを無償で祈るだけなんておこがましいだろ?」


「明らかに必要以上に取り過ぎだ!これじゃあ村人の皆…飢え死にしてしまう!」


「はぁー……めんどくさ」



辰波は頭を掻き、ため息をついたと思ったら、次の瞬間、目にも止まらぬ速さでタツの喉元を掴み、近くにあった建物の壁に押し付けた。


そしてスタンガン代わりのように軽い電撃をタツに送り、タツの動きを止めた。



「がっ……ぐ……うぅ」


「うるせぇよ。弱いくせに口だけ一丁前かよ」



タツは、残っている力で辰波の手を噛んだ。



「痛っ!何すんだ!クソガキ!」



辰波は顔を歪め、タツを地面に叩きつけた。



「ったく、転生者ってことだから何かに使えるかと思ったけど、もういいや。お前もまとめて始末してやるよ」



その時、


美杜の心に、これまで聞こえなかったはずのタツの心の声が、初めて直接届いた。



"…助けて…!"



それは、か細く、震える声だった。


しかし、美杜の胸の奥に、強く、深く響いた。


過去の幼い自分が、助けを求めて叫んでいた、あの時を思い出した。


助けを求めても、何も変わらない、あの無常感。


弟を少し庇うことしかできない、あの無力感。


何をしたって変わらないなら、ただプカプカと漂っておけば良い。


それがずっと快適だ。


この異世界での生活も、そうやってやり過ごしてきた。


でも……。


たまらず地上へ上がった美杜は、千里眼でその場所を特定し、全速力で駆けた。


肺が悲鳴を上げ、呼吸が苦しい。


全身が重い。


地上での活動は、美杜の体を容赦なく蝕む。


それでも、足は止まらなかった。


タツの「助けて」という心の声が、美杜の耳元で繰り返し響く。


あの日の後悔を胸に美杜は走り続けた。

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