愛されなくても愛したあなたの

渡貫 真琴

前編

 雨が霧のように立ち込める六月、俺は彼女に呼び出された。

 どうして付き合い始めたのか今ではもう曖昧になっているが、一人じゃ危なっかしいから、とか何とか言っていたような気がする。そんな理由で男に引っかかる女のほうが危ないと思うのは俺だけだろうか?

 休み明けの彼女はどこかそわそわしていて落ち着きがない。

 眼の下にはひどいクマが出来ている。

 始めて見るやつれた顔には、恐怖が浮かんでいる様に見えた。


「おい、どうした」

「え!?う、うん、急に呼び出してごめん。

 その……、私たち、別れよ?」


 あぁ、なんだ、そんなことか。

 拍子抜けだった。別れを切り出すぐらいのことで、目にクマを作るぐらい悩んだのか?

 だとしたらずいぶん律儀な奴だな。


「わかった。

 気ぃ使わせて悪かったな」

「え……」


 なぜか彼女は悲しそうに俺を見つめる。


「次はこんな退屈な男に引っかかるなよ」


 気まずさに俺はその場から逃げ出した。

 ごめんなさいという言葉が背後から聞こえた。


 何の授業で聞いたのかは思い出せないが、人間は社会的動物だという。

 もしそうなら俺は人間未満ということだ。社会とやらに属した覚えはねぇし、人間関係は上手くいった試しがなかった。彼女にフラれたのがいい例だ、ちぇっ。

 そんなんだから学校にも居づらくて俺は学校を良くサボる。気が付いたら不良だということになっていた。喧嘩なんて一度もしたことないぞ。

 この高校は一応進学校だというのもあるのだろう、周囲の連中は真面目一等辺だし、良くサボるというだけで不良に見えるのかもしれない。

 顔はそんなに怖くないはずだ、眉あるし。


「……?」


 俺が顔を上げると、俺を見ていた女子生徒が音を立てて黒板に向き直った。

 あれじゃバレバレだ。

 ……あいつ震えてるぞ。

 確か及川って名前だったはずだけど、ほとんど話したこともないはずだ。

 教師の声以外には、連日振り続けている雨の音だけが漂っている。

 雨のせいか今日は冷房の効きが悪い。纏わりつく様な湿気が鬱陶しかった。


 授業が終わると及川は逃げるように保健室に行った。

 でも、こっちを見ている気配はずっと消えない。

 俺は教室の中を見渡して犯人を捜すが、だれもこちらを見ている様子はない。

 それどころか、みな不自然に俺から視線を逸らしているようだった。


 なんか、おかしくないか……?


 不安がじわりと背筋を上った。

 教室をキョロキョロと見渡すと、教室の風景の違和感にも気が付く。

 今日は女生徒が極端に少ないんだ。このクラスは男子より女子のほうが多い筈なのに、今日は男子の半数も出席していない。

 何かが起こっている。そう感じたのは理屈じゃなかった。

 俺のことを盗み見ていた男子生徒に歩くと、肩を叩く。


「ヒィッ!?」

「おい、別にカツアゲとかじゃねぇよ。

 ……とりあえず廊下に出ろ、聞きたいことがあんだよ」


 俺は男子生徒(確か小島だったはず)の腕をつかむと、廊下へと引っ張り出した。


 廊下に引っ張り出した小島は何やら必死にポケットを弄り始める。


「ほら!ポケットの中に小銭とか入れてないでしょ!

 今日は財布も持ってきてないし!」

「まだ何も言ってないだろうが!ポケットの中身出すな!

 ……でも、自分からアピールしてくるのは逆に怪しいな。

 お前、実は靴の中に金隠してんじゃねぇの?」


 小島は急に動きを止めると、プルプルと震えて靴ひもに手をかけた。


「一週間の食費だけど……殴られるぐらいなら……」

「だからカツアゲじゃないって!いらねぇよ!

 こいつ話全然聞いてねぇ!」

「え?カツアゲじゃないの?」

「だから……はぁ、なんか急に女子から避けられてる理由がわかんねぇの」

「元からでしょ」

「お前さっきまでビビってたのは何だったの?

 そうじゃなくて……教室見たらわかんだろ、みんな俺を見ないようにしてやがる」


 小島は頬を掻いた。

 思い当たる節がある様だった。


「あ~、それがさ、僕も気になって聞いてみたんだよね。

 正直信じられないんだけど……」

「んだよ?」

「怒らないで聞いよ?」

「おう、絶対怒らない」


 小島は申し訳なさそうに目を伏せた。


「君を少しでも意識すると……見えるらしいんだ。

 ……その、井上さんが」

「……は?」 


 井上、ここで名前が挙がる井上は一人しかしない。

 俺と小島のクラスメイトだった井上真理は、去年のちょうどこの頃に死んだのだった。

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