98.DreamLand
こうして歩いていても魔物と会わない。
気配も感じない。
魔災が終わりかけている。見上げれば、赤い空もだんだん暗く沈んできていて、元の夜空へと戻ろうとしているのが分かった。
夜明けが近い。
「終わったら、何が食べたい?」
アヤさんが見惚れるような微笑を浮かべて、部活中みたいなことを口にする。
「私は寝たーい! レムちんもそう思うよね?」
「そうですね、あたしもちょっと休みたいかもです」
あたしとアヤさん、ミミさんはぽつぽつと何でもない会話を交わす。
すると、道の向こうから人影が走ってきた。
おかっぱ頭に、控えめな雰囲気。
この魔災中、ずっと救護に回っていたであろう歌形サヨちゃんだ。
あたしたちと同じく疲労の色は濃いものの、その足取りは軽快だ。
「レムちゃん、みなさん! わ、すごいケガ……! すぐ治しますね」
無人の歩道の端に座り、あたしたちはサヨちゃんの治癒を受ける。
彼女の杖から注がれるあたたかな光が、戦いで受けた傷を癒していった。
治癒のとき特有のじわじわとした痛みや痒みに耐えつつ、あたしは頭を巡らせる。
夢魔が最後に口にした、夢魔の母。その正体に、あたしは心当たりがあった。
どうしてあたしの周囲にだけ夢魔が現れるのか。
夢遊郷とはなんなのか。
そしてあの子は。
疑問の答えはたぶん、たったひとつだ。
だからあたしは行かねばならない。
少しの時間も惜しい。
次の犠牲者が出る前に、全てを終わらせる必要がある。
「夢魔の出所がわかった……かもしれません」
あたしの告げた言葉に、和やかな空気が止まる。
しばしの沈黙の後、代表してアヤさんが口を開いた。
「どういうことだ?」
「ずっと思ってたんです。どうして夢魔はあたしの近くにばかり現れるのかなって……考えれば簡単なことでした。きっと、あたしから奴らは生まれてる。夢遊郷が、夢魔の発生源です」
「ほ、ほんとに? でもそんなの、確証なんて……」
「はい、ありません。だから確かめに行きます。今から」
さっきから心の中で呼びかけているのに、シープが沈黙している。
あたしが呼んで、あの子が応えない日はなかった。
だからきっと、あたしの想像は当たっている。
「ただその、さっきまで気絶してたのと気を張ってるので眠れそうになくて……」
「無理しなくていいんだよ」
心配そうなアヤさんに、首を横に振る。
「今すぐ行きます。次の瞬間には新しい夢魔が生み出されてるかもしれない」
あたしの決心の硬さを察したのか、もう誰も何も言わなかった。
ここには優しい人しかいない。
あたしの意思を最大阪汲んでくれる――ああ、あたしは恵まれている。
この人たちのためにも頑張らないと。
「あ、じゃあさじゃあさ、私が眠らせてあげるよ」
ちゃき、とミミさんが銃を構える。
彼女の魔弾なら睡眠もかけられるだろう。
見たことはないけど、何となくわかる。
でも……。
「ごめんなさい。気持ちは嬉しいんですけど」
あたしの視線は別の人に向く。
前にもあたしを眠らせてくれた人。
「サヨちゃんに頼みたいんです」
「わ、私?」
「うん。いい?」
「私でいいなら……うん」
静かに目線を交わす。
あたしの気持ちに応えてくれたのが、何よりも嬉しかった。
そんなあたしたちの無言のやり取りを見て、ミミさんは何やらにやにやと楽しそうにしている。
な、なんですか。
「……ふううううん? ま、いっけどー」
何やらからかいの気配を感じたけど、あんまり反応するとさらに面白がられそうなので冷静を装う。
ともかく、今やるべきことに集中しよう。
「じゃあ行ってきます」
横たわったあたしに、サヨちゃんの杖から柔らかな光が雪のようにゆっくりと降り注ぐ。
急激に瞼が重くなり、あたしは温かい水の中へ沈んでいくような感覚を得た。
さあ、行こう。これがきっと最後になる。
まどろみを抱えて、あたしは――夢遊郷へと落ちていく。
* * *
目を開けると、星夜の草原があたしを出迎えた。
見慣れた景色だ。ほぼ毎晩のように通っているわけだから当たり前だけど。
この場所はいつもあたしを受け入れてくれた。
つらいときは、抱きしめるように、ただそこに在ってくれた。
少しだけ名残惜しい。
しかし、そうも言っていられない。
夢遊郷の景色に、知らない異物が鎮座していたからだ。
「なんだこれ……」
それは塔だった。
巨大で、頂上が霞んで見えないほど大きな塔。
色は白銀。よく見ると様々な機構が組み合わさっている。
しかし入り口がない。どうしたものかと壁面を撫でていると、空から聞き慣れた声が降り注いだ。
「マスター」
「……シープ。もしかしてその塔にいるの?」
「…………ええ。頂上で待っています」
ぷつり、と声が途切れるのと同時、塔の壁面が裂けて入り口ができた。
まばゆい光に塞がれて外からでは内装が確認できない。
行かなければ。話したいことがたくさんある。
「………………」
行きたくない。
行けば……。
「それでも、行かなきゃ」
唇を噛みしめる。
止まりたがる足を無理に動かして、あたしは塔へと足を踏み入れた。
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