第6話 同じ顔のそれ
ここは、昨夜ティピが壊れた場所。ポルトが叫び、ドナークが叫び、そしてラズが逃げ出した場所。
空気はまだ濡れて、重いまま。丘には今日も綿帽子が舞い、蝶が鱗粉を振りまいている。昨日は幻想的に見えた光景が、今は不気味にしか見えなかった。
先ほど、もしあの場に自分がいかなければ、両親や村の人たちはドナークに殺されていたかもしれない。その事実に気付き、ラズは背筋が凍えた。咄嗟に偽物のふりをしたものの、この先どうすればいいかわからなかった。
ラズは周囲を探した。土を踏むたび、枝が揺れるたびに、肩が跳ね、身がすくむ。が、いない。どこにも。しばらくその場に立ち尽くしていた。見つけられなかった不安と、殺さずに済んだ安堵。そして、まだどこかで“それ”が生きているという恐怖。
感情が交じりあい、膝が折れた。泥に沈むように座り込む。安堵なのか、それとも恐怖なのか。自分でもよくわからない感情が、胸の奥でぐるぐると渦を巻いた。じわり、目の奥が熱くなる。知らないうちに、涙が落ちていた。
「なにそれ。殺しに来たのに泣いてるの?」
不意に、声がした。振り返ると、そこに立っていたのは自分だった。まったく同じ顔。髪。体格。けれど、表情だけが違った。全くの無気力。
ラズは思わず後ずさる。けれど、相手はゆっくりと歩み寄り、ラズの手からするりと鎌を奪った。そして、そのまま無言でラズの首筋に刃を当てる。冷たいものが肌を撫でた。身じろぎもできない。喉がかすかに震える。が、長い沈黙のあと、もうひとりのラズはふうっとため息をつく。そうして鎌を持ち直すと、そのままラズに柄を差し出した。
「生きたい方が、生きればいいんじゃない?」
その目には、怒りも憎しみもなかった。たったひとつ、あるのは諦めだった。すべてを見て、理解して、それでも動かない者の底のない静けさ。
ラズは鎌を受け取ったが、手が震え、刃を振るうことはできなかった。罠かもしれない。いや、本気かもしれない。だが、どうしてもできなかったのだ。
その日から、ラズは言葉を失った。誰とも目を合わせなくなり、何を聞かれても曖昧に笑ってごまかすようになった。ティピやポルトが探りを入れてきても、「本物は始末した」とだけ繰り返した。
夜になると、ラズはこっそり食事を包み、洞窟へと向かう。静まり返った森の中、足音を立てないように歩く。暗闇の中で、ただひとりの“彼”の気配を感じながら。何も言わず、食べ物を置いて、そしてまた帰るのだ。
不安は消えない。もう一人がどんな動きをするか、いつ殺しに来るかもわからない。だと言うのに、ラズは誰にも言わず、こっそりと洞窟に食べ物を運び続けていた。その理由はラズ本人にもわからない。ただ、足が動く。そうしなくてはと、己の心が示すのだ。
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