第12話 失敗はリテイクの合言葉
五月十五日、土曜日。午後三時。
翔稜学園の西校舎屋上に吹きつける風は、初夏とは思えないほど強かった。
空はよく晴れている。けれど、あまりに風が強すぎて、空の青さを見上げる余裕は誰にもなかった。
「ドローン、電波ロスト! 高度落ちてく!」
ホープの叫びと同時に、頭上で唸りを上げていた白い機体が、風に煽られ翻った。
斜めに揺れながら、屋上の手すりをかすめ、下の中庭に向けて急降下する――。
「っあああああああ!!」
奨の悲鳴混じりの声があがった瞬間、誰もが息を呑んだ。
カメラとジンバルを抱えた匡も、瞬間的に身を乗り出すが、なすすべはない。
ドローンは、校舎裏の植え込みに突っ込むようにして、見えなくなった。
……沈黙。全員が硬直していた。
「…………終わった、な」
ぽつりと呟いたのは、奨だった。
「嘘でしょ……あのドローン、レンタルでも10万以上するやつ……」
真季の顔が青ざめる。
「どうする……データ……全部入ってたんじゃない?」
咲紀が口元を押さえる。匡の視線が、一点を見つめたまま動かない。
その瞬間だった。
誰より先に駆け出したのは、麗だった。
「見てくる!」
「お、おい、危ないって!」
遼太が声をかけるが、麗はすでに階段へと走り出していた。
胸の奥にざわめきが生まれたのは、匡だった。何かが違った――そう、いつもなら、自分がそういう“役回り”をするはずだった。
けれど今日は――自分が、“ただ見ていただけ”だった。
十分後。
ドローンは、奇跡的に破損こそあれど、メモリカードだけは無傷で回収された。
しかし、アームが折れており、少なくとも今日の撮影は継続不能という事実に変わりはない。
部室に戻ったメンバーたちは、ぐったりと椅子に座り込んでいた。
誰もが責任の所在を追及することなく、ただ沈黙していた。
ただ一人――奨だけが、堪えきれず口を開いた。
「お前……なんで、風速の確認しなかったんだよ。お前の“感覚”任せで飛ばして、機材ぶっ壊れて、
“ま、事故だからしゃーない”で済ませるのか?」
ホープの肩がぴくりと動いた。
「……悪かったよ。でも、現場で撮るってのは、予定通りにいかないからこそ、即断するんだろ?
そもそも、飛ばしていいって言ったの、匡じゃん」
全員の視線が匡へ向けられる。
その圧に、匡の肩が微かに揺れた。
――確かに、自分が判断した。ホープの配置にも、その機体の角度にも、問題ないと思った。
だが。
「……俺が悪かった」
匡は、ゆっくりと頭を下げた。
「風速も確認せず、事前に安全策も練らず、ただ“撮れそう”って思ったから、OKを出した。
あの瞬間、“監督”としての責任、忘れてた。ごめん」
重たい沈黙が流れる。
けれど、その真っ直ぐな謝罪が、場の空気を少しずつ変えていった。
「でも、俺は“失敗した”ってことを、今日、全員で記録したい」
匡が立ち上がる。
「この映像は使えない。でも、同じ失敗は二度と繰り返さない。
そのために、風や光の変化にどう対応するか、リストを洗い直す。
……“リテイク”って言葉は、恥じゃない。“納得するまでやる”って宣言だと思うから」
それは、これまでの匡にはなかった“自分からの発信”だった。
麗が、そっと目を細めた。
「……言い訳じゃなく、リカバリーの話をしよう。
明日、早朝の光で再撮影できるかもしれない。日曜日なら、中庭も人が少ない」
ホープが、ぽつりと口を開く。
「……明日、絶対にやり直す。俺、自分の音で取り返すから」
その言葉に、奨が小さくうなずいた。
「なら、俺は風対策用の集音機、図書館の倉庫から借りる。
あと、今日の撮影角度を全部再検証して、どこがリスクだったか割り出す」
咲紀が、静かにノートを開いた。
「チェックリストの改訂、私やります。
“ダメだったこと”を、“次の強さ”に変えるには、言葉にするしかないから」
それぞれが、それぞれのやり方で、立ち上がっていく。
“失敗”という痛みを、叱責や責任転嫁ではなく、“次の手段”へと変えていく。
――このラボは今、本当にチームになろうとしていた。
翌朝、午前六時。
校舎中庭には、昨日よりも澄んだ光が差し込んでいた。
咲紀が作成したチェックリストには、「風速3m/s以上でドローン飛行禁止」「音響は3地点で同時収録」などの項目が追加され、ホープとアリジャが交互に読み上げては“できたこと”にチェックを入れていく。
麗が改めてロケーションを調整し、真季が通行止めのサインを立てる。
奨は昨日のログを参考に、風の流れが比較的穏やかな角度を指示した。
そして、匡が、再びドローンを飛ばす。
――今度は、風に逆らわず、風に乗るように。
宙を舞う機体にレンズが光り、建物の隙間から差し込む陽が、その機体を一瞬だけ金色に照らす。
ホープが低く声を上げた。
「……いいぞ、今の光。録ってる、ぜんぶ拾ってる」
咲紀が、ほとんど息を呑むようにしてモニターに見入り、遼太が小さくガッツポーズをした。
奨がひとつ、酸味キャンディを口に放り込んで言う。
「なあ、昨日のことがなかったら、ここまで整ってなかったよな」
その言葉に、誰もがうなずいた。
「失敗はリテイクの合言葉」
――それは、チームとしての合言葉になった。
匡は、遠くで風に揺れる木々の音を聞きながら、心の中で小さく呟いた。
(昨日の自分は、“受け入れた”だけだった。
でも今日は――“選んだ”んだ。責任を、選んだ)
それは、誰かに頼まれた行動じゃない。
自分の意志で引き受けた、初めての“監督”としての選択だった。
そしてそれを、誰も責めず、共に“前に進む”力に変えてくれた仲間たちがいた。
画面の中、風に揺れる花壇の花と、朝の光が交錯する――
その美しさは、“やり直し”の先にあった。
(第12話 了)
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