第22話 計画的婚約者


 調律で赤雲を晴らして二日後の夜。宝珠に呼び出されたヒナタは、告げられた言葉の意味が理解できずにポカンとした。

 

 

 「対談……ですか? この国の、宰相と?」



 何故そんな事になっているかわからないと思い切り首を傾げれば、言葉を選びながらも宝珠が続ける。



 「……この国で、赤雲が晴れることなど滅多にない。だから今、中央は……雲が晴れたことで大事になっている」

 「へっ!? い……いや、でもだって、あれは夜で、晴らしたって言ってもすぐ元に戻っ……!」

 「それでも、だ」

 「えぇぇぇ――……」

 

 

 非常に面倒なことになった。

 確かにあの時、赤雲を晴らすリスクを一瞬考えはしたが、それでも時間帯は夜で、実際雲が晴れたのだって五分程度。

 でもまさか、それが一国の宰相と面会するほどの騒ぎになるなんて思いもしなかったのだ。


 

 「ちょ、ちょっと待ってください……それって決定事項ですか?」

 「対談は、明日の昼からだ」

 「う、ぐ……嘘でしょ……」


 

 言葉が崩れるのにも構わず、ヒナタは小さく呻く。

 調律士コードネアとして、対等に立ち向かうだけの度胸はあるが、なんせ今はそこに至るまでの手札があまりにも少なすぎるのだ。

 


 (下調べの猶予は……ない。となると……)


 

 一度大きく息を吐いたヒナタがすくっと椅子から立ち上がり、宝珠に視線を向ける。

 


 「ちなみに宝珠様。明日は何時出発の予定です?」

 「……四の鐘には立つ予定だ」

 「四の鐘……一二時ですね。わかりました、なんとかします」

 


 この国では朝の六時の一の鐘から始まり、二時間おきに鐘が鳴る。今の時期は二十時の八の鐘、冬の時期は十八時の七の鐘までが通例で、鐘が四回鳴らされるまでがヒナタに残された猶予だ。

 


 「でも!」



 卓に両手をついて、ずいっと近寄るヒナタに反射的に宝珠が身を引く。



 「“ヒナタ”です、宝珠様!」

 「……? 名前なら、知っているが?」



 不服そうな顔に気圧されつつ、ここに来てなんの確認だとばかりに宝珠は問い返した。

 だが、ヒナタが言いたかったことはそういうことではなかったらしい。



 「だって宝珠様、全然私の名前呼ばないじゃないですか! ルークは呼んだのにっ」

 「……あぁ。そういうことか」

 「そういうことか、じゃないですっ! どうせ各方面に根も葉もない噂が広がって、みんな面白半分に今か今かと私を待ってるんですよ!? それならいっそここは、ありえないくらい仲の良い婚約者同士で行きましょうよ!」

 「……」

 

 

 その提案に宝珠はやや困惑したように言葉を詰まらせる。

 確かにヒナタは対外的には宝珠の婚約者だが、それはあくまで偽りの関係。いつかは婚約を解消する身で、そこまでする必要があるのかという宝珠の無言の問いにヒナタは甘いです! と続けた。



 「人の悪意はそれはもう凄まじいですから隙を見せちゃダメですよ。ここで私たちの関係がバレれば、ほらやっぱりみたいな雰囲気になって宝珠様の評判が下がるんですから。それはイヤですからね!」

 「嫌って……別にそなたの評判が下がるわけでは……」

 「ヒーナーターでーす!」

 「……」



 即座に入った強めの訂正に、思わず宝珠は口をつぐむ。これは、名前を呼ぶまで延々と修正が入りそうだ。



 「この国に婚約者の名前を呼んではいけない、みたいな慣習はありませんよね? それにほんとは私の国には貴族階級とかないんで“殿”とか“様”とか付けられるの苦手なんです。だから宝珠様くらい、私を呼び捨てで呼んでくれてもいいと思うんですよねー?」


 

 そう頬に人差し指を当てるヒナタに、宝珠は少し躊躇うように肩を揺らす。

 婚約者であっても、敬称をつけることがこの国では普通だ。だが、その中であえて呼び捨てにするとなると……


 

「……それはもう、契りを交わすほどに深い仲といってるようなものだぞ」

「いいじゃないですか、仲良しで! そのほうが宝珠様にも利があるはずです。見せつけ上等ですよ、私が宝珠様に名前で呼んでっておねだりしてるんですから、宝珠様はしょうがないなって甘やかして呼べばいいんですっ」

 

 

 不躾なのに、それなのにどこか無視できない力がそこにはあった。


 

 ――ヒナタ殿はきみのことを気にしないと思うよ。

 

 

 ふと、藍飛ランフェイが言った言葉が宝珠の脳裏を掠める。

 確かに黎煌国の常識に囚われないヒナタならそうなのかもしれない。

 

 そう思ったら口元が僅かに緩み、それに気付いたヒナタが思わず目を丸くした。



 「――ヒナタ」



 その落ち着いた声色に、どくりと心が波打つ。

 心地の良い宝珠の声が自分の名を呼ぶのは、予想以上の破壊力だと無意識に体に力が入った。



 「夕市の時のように暴れるのはやめておけ」

 「ひど! 別に暴れてませんけどー!?」



 軽い笑いを含んだ思わぬ忠告に、わなわなと震えたヒナタが言い返す。

 それを戸の向こうの廊下から様子を見守っていた李姜たちが、お茶を出す暇なくあらあらまぁまぁと微笑んでいたことをまだ二人は知らない。

 

 

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