第13話 夕市(3)


 ふいとヒナタから視線をそらした青年が掴んでいた服を手離せば、途端に静阿セイアがわざとらしく咳き込んだ。

 

 

 「もう律嘉リツカ! 死ぬかと思った!」

 「かねの音でもすればすぐに生き返るだろう、お前は」


 

 そんな淡々とした様子の年若い青年に、藍飛ランフェイが「おや」と声を上げる。

 


 「君は確か、宰相候補生の……」

 「はい。お初にお目にかかります、碧藍飛ヘキランフェイ様。杜律嘉トリツカと申します」

 


 礼儀正しく頭を下げる律嘉に、藍飛もようやく思い出したようだ。



 「あぁ、宰相閣下の秘蔵っ子の杜修士生トしゅうしせいか」

 「杜家はうちの馴染みなんですよ。昔は"セイ兄ちゃん"なんて呼んでくれていたのに……うう、反抗期ですかねぇ?」

 「嘘泣きはやめろ」



 静阿をぴしゃりと制した律嘉が再びヒナタに視線を向ける。

 出会った瞬間から感じるた感覚が、どうにも気持ち悪い。

 本来ならば下級貴族の自分が軽々しく口を聞ける存在ではないと理解していたが、言わずにはいられなかった。

 

 

 「宝珠様の婚約者なら他の男と出歩くのは控えたほうがいい。碧藍飛様にも、奥方様がいらっしゃる」

 「!」

 

 

 だが律嘉のその忠告は、"藍飛の奥方"という単語に見事打ち消された。

 堂々と宝珠邸に入り浸っている彼が、まさか妻帯者だとは思いもしなかったのだ。



 (藍飛様が、既婚者? ……でもそっか、藍飛様は碧家の跡取りで……そういえばさっきも子どもが増えた? って聞かれてたから……)

 「いや、ヒナタ殿。そんな目で私を見ないでくれ」

 


 ヒナタの視線に負けるように藍飛が降参のポーズを取り苦笑する。

 


 「確かに私には妻子がいるけど、会うのなんて年に一、二度だし、子供たちももう大きい」

 「子供?」

 「あぁ、妻が三人いるからね。一応、跡取りの男児が生まれなかった時のために」

 「……へー……」

 


 種馬じゃないかという言葉はさすがに飲み込んだ。

 側室文化は珍しくないが、お家のためとはいえ、彼も中々に大変な身の上らしい。

 

 

 ガシャーン!

 


 「きゃあ!」

 「お、おい。酔っぱらいだ!」

 「誰か、とっとと警衛局に連絡しろ!」

 

 

 すぐ近くで怒号と激しい音が聞こえる。

 警衛局の人間なら隣にいるな……と、さりげなく藍飛に目線を送りかけてヒナタの目が小さな影を捕らえた。


 

 (――ライ。子供たちをお願い)

 《手加減してやれよ?》

 

 

 笑いを噛み殺した返答と同時に、人混みをすり抜けるようヒナタは酔漢の目の前に躍り出る。



 「な……ん!?」

 「悪いけど、私の前で子供に手を上げないでくれる?」



 反動でふわりと布が落ちた。

 ヒナタの背には薄汚れた身なりの子供が三人。一番体の大きな少女が必死に幼い弟妹を守ろうとしているのを見て、ヒナタは殴りかかろうとした男の手を掴むとそのまま後ろ手に捻り上げる。



 「いでででで! おい、やめろ! そいつら孤児のくせに俺の家で働くことを拒みやがったんだ! しかもお前、女のくせになんだその髪! さては冬家から布を盗んだな!?」

 「盗まないわよ。大体、アンタみたいな男の家とか誰だってごめんよ」

 「て、てめぇ!」

 「ねぇ、これ以上暴れるのなら折るけど?」

 「ぎゃぁぁぁ!」

 


 暴れる男の腕をさらに捻り上げれば、痛みに呻く男はそのまま地面に崩れ落ちた。

 


 「まったく、男ってすぐ暴力で解決しようとするんだから」

 「……それを武力制圧したヒナタ殿が言うのかい?」

 「あら、藍飛様。遅いですよ」

 「すまないね。ちなみに骨は折ってないよね?」

 「まさか。私、か弱いですもん」



 にっこり笑ってすっかり伸びてしまった酔漢から手を離す。

 そして壁際に逃げていた子供たちに近付くと、ヒナタはそっと腰を下ろした。



 「ケガはない?」

 「う、うん。ちょっと擦りむいただけ……」

 「見せてくれる? 肘か、痛かったね……大人の人はいないの?」



 そう尋ねれば子供たちの目が大きく揺らぎ、次第にその瞳に涙が浮かぶ。

 震える声で少女は薄汚れた衣をぎゅっと握りしめた。


 

 「漁に行ったっきり、二週間も帰ってこないの。父ちゃんも、母ちゃんも……」



 ぽろぽろと大粒の涙をこぼす少女の姿にヒナタは悟る。

 この国は水が豊かなだけに、水難事故もきっと多いはずだ。

 だからこの子たちの両親も――我が子の元に来られなかったのだろう。

 


 「――そなたはまた何かやらかしたのか」



 ふいに頭上から聞こえた声に驚いて思わずヒナタが振り返る。

 それはもはや見慣れた青布だ。

 


 「……宝珠様?」

 「藍飛。無断で連れ出すとはどういう了見だ」

 「ただの気分転換だよ。だって普段のきみは夕市なんて来ないだろう?」

 「今、来ている。――帰るぞ、そこの子供たちの保護も後始末も、全部藍飛がする」

 「えぇぇ!? 私、今日非番……!」



 そう藍飛に投げ捨てて踵を返す宝珠に、ヒナタは少女の頭を優しく撫でた。



 「大丈夫。あとはあっちの青い服のお兄ちゃんについていけば安心だから。……みんな、よく頑張ったね」



 そう少女たちに伝えて、ヒナタはルークとアステリアの元へと急いだ。

 

 空は赤黒く沈み、夕市の喧騒も次第に背後に消えていく。

 ゆっくりと、一日が終わる音がした。


 

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