第33話 離縁の心配
信行は駒姫に背を向けると同時に厳しい顔になる。
妻を乱暴しようとした男への怒りが面上に表れていた。
既に顔の形が分からなくなるほど殴りつけていたがそれでは腹の虫が収まらない。
まあ、娶ったばかりの上に、まだ自分は何もしていない新妻に不埒な真似をした相手に対して心穏やかではいられないというものである。
しかも、駒姫に対して信行のわだかまりが解けた後であった。
新婚の夜に何もしなかった言い訳として、あと3か月ほどは願掛けの為に触れないと言ったことを後悔し始めている。
しかし、信行様のお心のままに、と駒姫に言われてしまっているため、前言を撤回する理由がなかった。
外に出るとおトメの姿を探す。
三太の腕に傷薬を塗って晒を巻いてやっていた。
おトメに近寄ると駒姫についてやっているように頼み、小吉に船室に誰も入れないように命ずる。
小吉が抱えていた種子島のうちの1丁を受け取り、三太を連れて捕らえた海賊たちのところに行こうとした。
横合いから船頭が寄ってきて相談をしてくる。
海賊の船を奪うため水主を3分の1ほど向こうの船に送っていいかと尋ねてきた。
「その分、ちと到着が遅くなりますが、こちらの損害を補うためにも是非とも手に入れたいんでさあ」
もともと海賊側の方が人数が多かったこともあり、信行の乗った船の水主にも死傷者が出ている。
遺族への弔慰金の原資にするために船を奪って売り払いたいという気持ちは分かった。
海賊たちの乗っていた船はいかにも速度を重視したという造りである。
まだ新造して日が経っていないようで、それなりに買い手はつきそうであった。
「私は客だ。船の運航については頭の好きにすればいい」
船頭は良く日焼けした首筋を撫でる。
「まあ理屈でいやあ、普段はそうなんですがね。ただ、若旦那が居なければ、今頃この首が繋がっていたか怪しいもんで。本当に感謝してますぜ。そういうわけなんで、急げと仰るなら、言いつけに従いまさあ」
「感謝するなら私の妻に言うんだな。まだ暗いうちから外に出ようと言ったのも、不審な船に気付いたのもお駒なのだから」
「なるほど、そうだったんですか。そりゃ、ぜひともお礼を言いたいことろですが、今はこんな
戦いの最中にそうしたのか、船頭は諸肌脱ぎだった。
「そうか。そうだな。いずれにせよ、あの船を拿捕したければそうするがいい」
「ありがてえ」
「その代わりといっては捕らえた海賊の処分は好きにさせてもらうぞ」
「それはもう。煮るなり焼くなり好きになさってください。まあ、人足として売り払えば銭になるんですが、若旦那の気のゆくようにご自由にどうぞ」
信行は小吉から受け取った種子島に弾を装填しながら、海賊がひとかたまりにまとめられているところに行く。
割れた西瓜のような顔をした男はすぐに分かった。
息をしていない海賊を海に投棄しているのを眺めていた自斎が信行のところへと急いでやってくる。
「若旦那。そいつは良くねえ。気持ちは分かりますが、やめておいた方がいいですよ」
「私が何をしようとしていると考えているんだ?」
「種子島で男の竿を吹っ飛ばすんでしょう。弾と火薬がもったいないですよ」
「それぐらいしなければ気が収まらない」
「若旦那にしちゃ珍しいですね。それほどまでに立腹されるなんて。まあ、どうしてもというなら、あっしが切り取って差し上げましょうか?」
意識を取り戻していた男は震えあがった。
信行は顔をしかめる。
「お前の大切な刀をそのようなことに使わせるのは忍びない」
「それを言ったら若旦那の種子島も同じでしょう。そういうことをするためのもんじゃない。しかも、1発撃つのにも銭がかかる」
こういうときに金勘定をしてみせるのが自斎らしかった。
その甲斐があったのか、信行は火縄の火を消す。
自斎はうーんと伸びをした。
「まあ、こいつらはこのまま櫓櫂につながれて死ぬまで漕ぎ手にされるか、熊野水軍か、盟約を結んでいる雑賀衆かのどちらに引き渡されるかでしょう。いずれにしても碌な目には合わんでしょうよ」
「そうだな。制止してくれて助かったよ。みっともない姿を見せるところだった」
「感謝の気持ちはぜひ現物で」
自斎は揉み手をして信行は苦笑する。
その信行は船室を出ていくときに浮かべた厳しい表情を駒姫に見られたことに気づいていない。
時は少し遡り、信行の甘くない顔を見た駒姫はやはり自分は不義を働いたことになるのではないか、と考えて肩を落としていた。
それでも周囲が無人になったことで姿を現したおツゲに礼を言う。
「あの男の人の髻を引っ張って邪魔してくれたのよね。ありがとう」
「それぐらいしかできなくてごめんね」
「ううん。とても助かったわ」
莚のところに人影を感じておツゲは姿を消した。
中に入ってきたおトメは駒姫の顔色を窺う。
少しばかり陰があるような気がして問いかけた。
「お駒様。どうされました?」
しばらく逡巡していたが、自分の中で抱えきれなくなった駒姫は苦しい心の内を漏らす。
「私、不義を働いてしまったかもしれません」
「はい? なんとおっしゃいました?」
駒姫は恥じらいながら説明をした。
おトメは溜めていた息を吐く。
「お駒様。驚かさないでください。相手の男にむりやりされたか、されそうになっただけでしょう? お駒様が自らの意志でしたのではないのですから不義ではありません」
「そうなのですか?」
「そうです」
安心させようとおトメは大きく頷いた。
「それでは離縁されたりすることはないのですね? ここを離れるときに信行様は険しい表情をされていましたけど……」
「それは……」
不義か不義でないかで言えば不義でない。
しかし、それを信行が不快に思うかどうかというのは別問題である。
駒姫に責任が無くても心が離れていってしまう可能性は否定できなかった。
ただ、おトメが先ほど見ていた光景から判断すれば、どちらかと言えば信行は自分を責めていたように見えている。
「本当のところは分かりません。でも、たぶん離縁はされたりしないと思いますよ」
「そうだといいのですけど」
駒姫は一旦は不安な気持ちを心の奥底にしまうことにした。
気を取り直しておトメに向き直る。
「そうだ。おトメさんにお礼を言おうと思っていたのをすっかり忘れていました。昨夜、いえ、一昨日の夜に信行様の肩を揉んで差し上げたら喜んでもらえたんです。おトメさんにこつを教えて頂いたお陰です」
「お役に立てたなら何よりです」
おトメは喜びつつも複雑な気持ちだった。
この話ぶりからするとどうやら駒姫はまだ信行と本当の意味で床入りはしていないらしい。
おトメは心の中で首を傾げる。
駒姫は大抵の男性にとって魅力的なはずであった。
それなのに信行はお駒に手を出していないのはどういうことなのだろうか?
婚儀の翌日からは随分と雰囲気が変わったと思っていたのだけれども。
「肩以外の部分の按摩もして差し上げたら喜ぶのでは?」
「そうですね。今度やってみます」
決意する姿を見ながら、おトメは自分の技が2人の役に立つことを切に願った。
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