火縄銃と祈り姫
新巻へもん
第1話 滝行をする娘
森閑とする杣道を粗末な洗いざらしの白装束に身を包んだ娘が下りてくる。
急峻な道の足元にひたと視線を据えて進む足取りは、ほっそりとした体つきがもたらす印象に反して意外としっかりとしていた。
折り畳んだ布を入れた木桶を小脇に抱えている娘のかんばせは雪のように白い。
もう少し切れ長な方が好まれそうだが、澄んだ瞳は人の目を惹きつけそうである。
頬から頤にかけて緩くくびれる様が可愛らしかった。
こうべを覆う髪は烏の濡れ羽色をしていたが、惜しいことに襟足が剥き出しになるほどに短く切られている。
髪を伸ばせばどれほど美しく見えるだろうか?
娘はその短い髪を一振りすると最後の数尺を慣れた足取りで降りた。
周囲はシャーシャーという蝉時雨がかまびすしい。
高くそびえる滝上から生える木の梢には燦々と日が照りつけているが、静かに白糸に似た一筋の流れが滝壺に注がれているこの場所は冷気に満ちていた。
涼しいというよりはもはや肌寒いという方が相応しいほどである。
寒さを感じる一方で神々しい気配も満ちた滝壺の縁で娘は木桶から布を取りだすと乾いた岩の上に置いた。
娘は草鞋を脱ぐと木桶で水を汲んで足先からかけ始める。
衣装が体に張り付くと共に鮮烈な冷たさが娘の背筋を這い上がった。
徐々に水をかける場所を上げていき肩まで濡らして水温に体を慣らすと娘は滝壺にゆっくりと足を踏み入れる。
水深は娘の脛までしかない。
ゆっくりと進んでいくと流れ落ちる細い滝の流れに身を入れた。
その体はたちまちのうちに身を切るような冷たさに覆われてぶるりと身を震わせる。
娘はゆっくりと手を合わせると目を瞑り両手を合わせて祈り始めた。
四半刻ほどそのままの姿勢でいた娘は体を震わせながら滝壺から出る。
乾いた布を拾い上げると木陰で濡れた服を脱ぎ髪や体を拭き今まで着ていたような衣装に袖を通し帯を締めた。
しばらく岩に腰かけて休むと急峻な道を戻っていく。
登り切った場所は滝壺のある場所よりは明るい。
平らにはなったが相変わらず人も通らぬような細い道を進んでいくと古びた社殿といくつかの付属の棟が立ち並ぶ場所に着いた。
地味な小袖を着た中年の女性が声をかけてくる。
「お駒さま。お勤めご苦労さまでございます。夏場でも体が芯まで冷えたことでございましょう。中で火に当たりください。お風邪を召されては大変です」
「大丈夫よ。和気の滝の清らかな水は冷たくても風邪をひくことはないわ」
「見ているこちらが風邪をひきそうでございます。ここはこのトメの顔をお立てください。御城主さまのお姫さまに何かあったら大変でございます」
トメは駒姫の手を取った。
まるで氷のような冷たさに悲鳴をあげそうになるのを堪える。
駒姫は曖昧な笑みを浮かべるが大人しく手を引かれていった。
トメは囲炉裏の側に駒姫を座らせると白湯を入れた茶碗を献じる。
「ありがとう」
1口飲むと駒姫は礼を言った。
「とんでもありません。お駒さまがこうして滝行をされているから、この
トメは尊崇の眼差しを駒姫に向ける。
いま2人が話をしている参集殿は和気の
世間にあまり名は知られていないが護国鎮護に霊験あらたかである。
山陰地方に覇を唱える尼子家などからの侵入著しい美作国においては各地で戦いが繰り広げられていたが、社のある地は不思議と戦いがなかった。
これは月に1度、資格ある者が滝行を行うことで保たれていると土地のものは考えている。
駒姫はその資格があると見られていた。
社の近くにある二峰城城主坂下大膳の娘であり、坂下家にはしばしば不思議な力を持った子が生まれている。
駒姫もその例に漏れなかった。
しかし、仮にも一城の主の娘であり厳しいお勤めをこなしている駒姫の待遇は決していいものではない。
今着ているのは滝に打たれるための行衣であり白無垢なのは当然であったが、普段着ているものも飾り気のない粗末なものである。
その辺りの同じ年頃の娘たちの着ている小袖と変わらないかむしろ貧素であった。
住まいも社に付属する棟割り長屋の一室である。
駒姫がお勤めをするようになる前は叔母に当たる女性が滝行をしていたが、その際は1里ほど離れた二峰城から籠で通っていた。
滝行の前後に使っていた休息のための立派な四阿に駒姫が立ち入ることはない。
そもそも父であり城主の大膳に会えるのも新年の挨拶のときだけという有様だった。
御内室の子ではないらしい、という噂もあり何かを察した人々は駒姫を敬いつつも距離を置いている。
何くれと世話を焼き話しかけるのは、夫と娘を亡くし余所から流れてきたトメぐらいのものであった。
人の良いトメは駒姫が不憫でならない。
しかし、処遇改善について御城主様に意見できるわけもなく、またそのような機会もなかった。
トメは駒姫ににじり寄る。
「
予め用意しておいた布で包みこみ髪から水気を吸い取った。
トメからすると滝行のために駒姫が髪を短く切っていることも残念でならない。
この時代において艶があり伸びやかで長い髪の毛は美人の第一の条件である。
ただ、せっかくの髪質なのにこの短さでは台なしだった。
「仰っていただけばトメがお櫛で梳いて差し上げますからね」
「そうね。でも、白湯を頂いてもう体も落ちついたし後にするわ。今日は草刈りをしないといけないはずよね」
生い茂る夏草が参道にまで浸食せんとする勢いで伸びている。
「お駒さまはお疲れでしょう。そのようなことまでなさる必要はないのでは?」
「いいのよ。参拝している人が困っているんだから。私もこのお社の一員でしょ?」
和気の社の禰宜、神官はそういった雑用に手を出そうとしない。
そういう作業は雑色がするものだと考えていた。
ただ、今年はその雑色が二峰城での工事に徴用されており人手が足りていない状況である。
禰宜、神主からしてみれば口には出さないものの大膳に対して何もこの時期にという恨み節があった。
その隠れた感情が視線や言葉遣いに表れて向かう先は駒姫である。
それを敏感に感じ取った駒姫が草刈りをすると言いだしていた。
「1度部屋に戻って衣服を替えてきます」
しばらくするとありふれた小袖に菅笠を被り手に鎌を持って駒姫が戻ってくる。
参道のところまで出かけしゃがみ込みぼうぼうに伸びた夏草を片手で掴むと鎌をすっと手前に引いた。
青々とした草は茎も太くとても簡単には切れそうにない。
しかし、駒姫が手にする鎌は大して力を入れているようには見えないのに、まるで豆腐に箸を入れるかのようにすっと刃が通る。
草いきれの臭いが濃くなった。
駒姫は後ろに控えるトメの持つ背負子にどんどん刈った草を入れていく。
たちまちのうちに背負子はいっぱいになった。
所定の場所に2人で背負子を運び中のものを空け、また草を刈るという動作を繰り返す。
周囲ではトメと見慣れない下女が作業をしているというように見ていた。
「少しはわたくしも替わりましょう」
数回往復したところでトメが草刈りを交代することを提案する。
「大丈夫よ。おトメさんは膝が悪いからしゃがむのは大変でしょう?」
「でも、お駒さまの手が……」
鋭い葉先で傷がつき、鎌を持つ手は緑色の汁で汚れていた。
「これぐらい気にしないわ。それよりもどんどん片付けてしまいましょう。これで参拝する方を煩わせることがなくなるわ」
滝行の数日後、社殿の周囲を箒で掃除していた駒姫は人馬の音に動かしていた手を止める。
直垂姿の武士は駒姫の姿を認めると駆け寄ってきた。
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