第43話-2 アンナの啖呵
甘いささやきとともに、淡い光がアベラールのまわりを包み込んだ。視界がかすみ、私の意識までぼんやりとしはじめる。アベラールの瞳が虚ろになりかけ、私も激しい眠気に襲われた――そのときだった。ミュウが聖女とアベラールの間に飛び込み、凄まじい唸り声を上げた。
「グルゥゥ……!」
直後、パリン、と小さな破裂音が響く。
聖女の口元から、一筋の血が流れた。
「……っ!」
アベラールはきょとんとした表情でミュウを見て、それからシルヴィアの唇を見つめる。
「……せいじょさま、なぜ、けがをしているの?」
「白銀竜様が……いえ、なんでもありませんわ。怪我なんてしていませんわ。気のせいですわよ」
聖女が、ほんのわずかに舌打ちしたのを私は見逃さなかった。
けれど次の瞬間――バリン!
今度ははっきりと大きな音が響き、聖女が激しく咳き込みながら血を吐いた。
……ただ事じゃない。何が起きてるの?
気がつくと、私の身体も自由に動くようになっていた。
「おい、俺の家族に何か妙な魔法をかけようとしたな? “聖女”が聞いて呆れる。邪悪な魔素が漏れていたぞ。どうせ王の差し金だろうが、くだらん真似を……」
公爵の声は怒気をはらみ、低く鋭い。
「精神干渉系魔法は、途中で遮れば術者に反動が返る。音がしたろう? あれは破綻した魔力の音だ。黒魔法まがいの術を邪魔されると、呪い返しで術者本人が傷を負う。わかっているはずだが、俺がその魔法を阻止したんだ。ミュウも助けようとしてくれた。ありがとうな」
「まぁ、公爵様。おかしな魔法だなんて……私には、さっぱり」
聖女は作り笑いを浮かべ、涼しげな声を保っていた。けれど額には汗がにじみ、胸元を押さえて苦しそうにしている。
「俺は精神干渉系魔法に強い耐性を持っている。まったく、王はどこまで愚かなのか。こんな手で俺が引っかかるとでも思ったのか……ジャネット、アベラール。もう大丈夫だ。ミュウも、よくやった」
ミュウの口元にも、うっすらと血がにじんでいた。
「怪我をしてる……痛そう。どうして……?」
「聖女の精神干渉系魔法を跳ね返したときの衝撃だ。白銀竜とはいえ、まだ生まれたばかりだからな。反動で傷を負ったんだ。だが大丈夫。俺の魔力を食べさせればすぐ治る。アベラールの魔力でも構わん」
「どうやって、魔力を食べさせるの?」
アベラールが素朴な疑問を口にする。
「ただ身体に触れていればいい。俺たちには魔力が多いから、自然と漏れ出した魔力が身体のまわりに漂っている。それをミュウが吸っているんだ。……ほら、もう治り始めている」
アベラールはミュウを抱きしめ、そっとお礼を言った。私もアベラールも、ミュウと公爵のおかげで、あやうく精神干渉系の魔法にかからずに済んだのだ。
だが、それでも聖女は正体を見破られたにもかかわらず、キーリー公爵家を出ていこうとしなかった。魔法を封じられたあとも、今度は別の手段で屋敷に影響を及ぼそうとし、他の男性にまで魔の手を伸ばしはじめた。
次に狙われたのは、なんとルカだった。彼が職人養成学校の報告や刺繍会の準備のために屋敷を訪れていたのを目にし、その美しい姿に目をつけたらしい。それからというもの、廊下や庭園で見かけるたびに声をかけたり、寄り添って歩いたりと、しつこく付きまとうようになった。ルカは冷たくあしらい続けていたが、内心では相当困り果てていたという。
そんな状況に終止符を打ったのは――アンナだった。夫にまとわりつく聖女の姿を見た彼女は、即座に状況を察すると、堂々と胸を張って言い放ったのだ。
「うちの人に手ぇ出したら、聖女だって容赦しないよっ! だいたい、他人の旦那にちょっかいかける女が、神様に選ばれた聖女なわけないさ。化けの皮を剥がされたくなかったら、とっとと消えな!」
その啖呵に聖女は顔を青ざめさせ、わなわなと震えながら、ついには神殿へと逃げ帰った。私はそれを見届けたあと、公爵に報告し、ふたりで顔を見合わせて、大いに笑った。
「ふふっ……やっぱりアンナは頼もしいですわ。あとから『わざと乱暴な言葉遣いをしてしまって申し訳ありません。でも、あの手の女には上品な言葉なんて効きませんからね』なんて豪快に笑って……つられて私まで吹き出してしまいました」
「……そんな痛快な啖呵、俺でもなかなか言えん」
心の底からアンナを讃えたくなるような、すがすがしい出来事だった。
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※次話、聖女の末路です。さて、聖女はどうなったのでしょうか……というお話しです。
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