第一章 『お偉いさんのお出まし』

第1話 『お偉いさんのお出まし』(1)

 この物語はミュージカルです。

 ですから、登場人物が突然歌い始め、踊り出します。

 また、現実と舞台が混在して展開するので、場面、時間が飛躍します。


 歌の楽譜を近況ノートに掲載します。

 

 1. 『お偉いさんのお出まし』

 物語の舞台となるのは、公演初日を間近に控えた、とある劇団。


 この劇団は、春季公演で『舞台の星々』を上演することになっている。

 『舞台の星々』は男女の恋を軸にして、二人を巡る人々の日常を描くミュージカルである。

 そして、開幕の準備は順調に進んでいた。今日の午前中までは……。



「私のせいじゃないわよ。だって、何にも聞かされてなかったんだもの。ああでも言うしかないじゃない。誰も助けてくれないし……」

 劇場内、舞台の脇に位置する応接室に、主演女優、大星ひかるの甲高い声が響いた。そして、そう言うと、ひかるは皆の理解を求めて周りを見渡した。


 応接室には今、ひかるの他に三人の男がいた。

 室内に置かれた応接セットの長いソファーには、ひかるを真ん中にして、右側に演出家の前部まえべすべるが、そして左側には、ひかるの長年の相手役である長歳ながとし友雄ともおが座っていた。

 もう一人、振付師の古漬ふるづけ拓海たくみは、テーブル側面の一人用ソファーに腰掛けていた。


 前部は身を屈め、頭を抱えていた。

 インタビューの途中、ひかるから急に話を振られて慌てたとはいえ、満足のいく返事が出来なかった自分に対する嫌悪感に苛まれていた。

 長歳と古漬の二人は、難しい顔付きをして腕を組んでいた。二人は無言だった。


 今、この応接室にいる四人の思いは共通していた。

 大変なことになってしまった。どうすればいいのだろう。これから一体何が出来るというのだろう。公演の初日はもう来週末だというのに。


 ひかるが続けて言った。

「元々、唐口からくちさんの取材なんて受けたのがいけなかったのよ。そんなの全然必要じゃなかったのに……。何もかもあのドラ息子のせいよ」



 ひかるが『ドラ息子』と呼んだのは、劇団からみると親会社にあたる映画会社の専務、選井えらい嗣男つぐおのことだった。

 この映画会社は白黒映画の時代から続く老舗の会社で、選井はその創業家の嫡男だった。だから、現在の社長である彼の父親が引退すれば、彼が次の社長になることは間違いなかった。

 また、選井は映画会社の役員の中では劇団の担当ということになっていたから、当然と言えば当然のことであるが、ちょくちょく劇場に顔を出していた。


 それだけであれば何ということはないのだけれど、選井は劇場にやって来ると、劇場内を歩き回っては役者やスタッフたちに向け、随分と細かなことについてまで口を出してくるのだった。

 親会社の専務に言われれば、放っておくという訳にはいかない。だから、劇団員の誰かが何かをしなければならなくなる。当の劇団員にしてみれば、それでなくても忙しい中、厄介事に巻き込まれる形になる訳だ。

 その劇団員は、「またかよ」とか、「いい加減にして欲しいな」などと愚痴をこぼしながらも、対応せざるを得なかった。



 ついこの前には、こんなことがあった。


 昼食の休み時間が終わり、劇団員が午後の練習やら作業やらに取り掛かり始めた頃、劇場前に黒塗りの車が止まった。

 運転手が降りて急ぎ足で後部座席脇に回り込むと、ドアを開けて小さく頭を下げた。

 中から、明るい色のダブルのスーツを着た選井が、大きな腹を揺すって降り立った。

 選井は一瞬立ち止まって劇場の看板を見上げると、満足そうな笑みを浮かべて玄関へ向かった。


 玄関ドアの脇では、大道具係のスタッフが『舞台の星々』の立て看板の位置を、ああだこうだ言いながら取り付ける作業をしていた。

 彼らは、やって来たのが選井であることに気付いた。

 その内の二人は直立すると、小さく頭を下げて選井に道を譲った。残りの一人は、慌てた様子で劇場内へ入って行った。

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