3-⑪ 四宮 朔

りつが俺を強く抱きしめた。

圧倒的な力が、絶対に離さないと主張する。


必死に振りほどこうとするが、その腕に得体の知れない安心感がにじむ——

忘れていたはずの幼少期の記憶が、律の体温に引きずられるように蘇った。

熱くて、苦くて、それでも確かに甘い、逃げ場のない記憶の流れ。


その中で、はっきりしていることが一つだけあった。

俺には、こうして俺を抱きしめてくれた人が、もう一人だけ・・・・・・いた。



最初に流れ込んできた記憶は、律が生まれて、母と一緒に家に帰ってきた日のことだった。


「ほら、さく。弟よ」


「……ちっちゃ」


そう呟くと、母が小さく笑った。

「赤ちゃんなんだから」


今、あの時の幸福感を言語化すると、「仲間が出来た」というような、心を満たす確かな実感だった。


「律」


律の安らかな寝顔に、守らないといけないという使命感が湧いたのを覚えている。


続けて真尋まひろが生まれた。

律のときと同じように世話をしようとしたが、お母さんは俺をやんわりと遠ざけた。


「朔はお世話しなくていいのよ」


理由は教えてもらえなかった。

律の時も頑張ったから、今の俺ならもっとうまくできるのに……。

大人が考えている事だから、きっとなにか理由があるのかもしれない。

もしかしたら、真尋が小さくて、柔らかくて、壊れそうだからかな、と思って自分を納得させた。



やがて、心弦しんげんと出会い、

奏汰そうたが生まれ、

いのりが加わって。

気づけば、俺たちは五人になっていた。


みんなで海辺を駆け回っていたあの時間は、俺の中で一番あたたかい場所にある。



当然だが、最年長の俺が、みんなより早く小等部に入学する。

母が俺を寮に入れようとしていると知ったときは、胸がざわついた。


自分だけみんなと離れるのは辛い。


その夜、奏汰に聞いた。

「兄ちゃんがいなくなったら、寂しいか?」


奏汰は、言葉にするより先に涙を流し、「どこにもいかないで。兄ちゃんと一緒にいたい」と言ってくれた。


——そうだ。もっといい兄になろう。


勉強して、役に立って、みんなに教えてやれる存在になろう。

そうすれば、両親だって助かるだろう。


「寮には入りたくない」

そう、頼み込むと、母は困ったように笑った。


「そうね。お勉強を頑張れるなら、おうちから通ってもいいのよ」


これで一安心だ。


それでも時折、説明できない違和感が胸をよぎった。

両親が俺より、他の子を大事にしているような気がした。


——いや、それは俺が長男だからだ。


そう言い聞かせた。

子どもが四人もいれば、親も忙しい。

むしろ自分がもっと役に立たないと。


しかし、日々を重ねるうちに、違和感は次第に大きくなっていった。


律が小等部に上がると同時に、父の期待ははっきりと律に向いた。

どんどん忙しくなっていく律の、兄弟や心弦と過ごす時間が削られていく。


ある夜、律が父に呼び出されるのを見て、俺は父の書斎の前でこっそり足を止めた。


四宮しのみや家に伝わる話」だとか、「これから律が背負っていく……」とか。

話し声ははっきりとは聞こえなかったが、父の口調は厳しく、部屋から出てきた律の顔は青ざめていた。


——これは俺が、聞くべき話だったんじゃないのか?


なんだこのすさまじい違和感は。

俺が「出来ない人間」だからか?



「こんにちは。さくくん、よね」

絶望の日々の中、学校帰りに知らない女の人が声をかけて来た。


両親の古くからの知り合いで、遠い親戚と名乗ったその女性は、阿部 奈美あべなみさんと言った。

阿部さんは俺の両親の名前や弟達や妹、父親の仕事なんかも知っていたから、不審者ではないと判断した。


学校の門で阿部さんが待っていて、一緒に帰る。

そんな日々が続いて、いつしか学校帰りに阿部さんと話すのが楽しみになっていた。


「今日は、何があったの」


彼女は、俺の話を遮らずに聞いてくれる。

手をつなぐととてもあたたかい。


「朔は、よくやってるわ」

その言葉が、胸に沁みた。


「お父さんの役に立ちたいのに、役にたてなくてつらい」

そんな話をしたら、阿部さんは「力が少しだけ足りないだけよ」と言った。

そのあと、違法チューナーを紹介してくれた。


「使い方を間違えなければ、誰にも負けないわ」


いけないことだと分かっていた。

それでも、父に認められたくて、律に頼られたくて、惨めになりたくなくて、俺は手を伸ばした。


結果は、知っての通りだ。

海辺で事件を起こし、バグ化しかけた俺は、心弦に返り討ちにあった。


退院後、いったんは帰宅したが、違法チューナーを追及される――その想像だけで、息が詰まった。

俺はすぐに家を飛び出し、逃げる途中で砂浜に落ちているミサンガ・・・・を見つけた。


「奏汰が落としたやつだ……」


奏汰のミサンガを、ポケットにねじ込んだ。


「逃げるっていったって……どこへ行けばいいんだよ」

呆然ぼうぜんと立ち尽くしていると、肩に手が触れた。

阿部さんだった。


彼女は、違法チューナーを紹介したことを涙ながらに謝った。

それから、「大丈夫。私がどうにかしてあげる。いい?おかしいのは、この世の中なの」と、言った。



その後すぐに、阿部さんと黒糸島連邦くろいとじまれんぽうに渡った。


その船の中で、泣きながら奏汰のミサンガを取り出す。

もう家族に会えないのかと思ったら、手が震えてうまくミサンガが結べない。


「貸して?」

それに気づいた阿部さんが、優しく微笑みながら、きつく結んでくれた。



黒糸島連邦には阿部さんの仲間がたくさんいて、彼女はみんなを統率している側の人間だった。


そんな阿部さんが、

「この子——さくは特別な存在です」

と紹介してくれた。


黒糸島連邦にいる人間は、みんな東亜帝国とうあていこくにうらみを持つ人だ。

どんどん思想は偏る。


東亜帝国は悪なんだ。

感情を制御して機能を使いこなせないと、評価されないなんて嘘の世界だ。

俺がバグ化したのも、俺を「役に立たない人間」として切り捨てたからだ。


それから数年して、俺は『王』であることを求められるようになった。

「なんで俺なんかが?」という質問に、阿部さんは言った。


「あなたが“四宮朔”だから。理由はそれだけよ」

そして阿部さんは、俺を強く抱きしめてくれた。



東亜歴とうあれき三十六年六月十七日。

やつらに戦争をしかける前日、阿部さんが言った。


「朔、驚くかもしれないけど、戦争が始まる前に伝えます。あなたは、私の産んだ子なのよ」


「……どういうこと?俺は、四宮しのみやの子じゃないの?」


「ええ。あなたは、間違いなく私の子よ」


彼女の説明では、彼女が俺の本当の母で、俺が生まれる前に実の父は行方不明になったらしい。

その後、父方の祖父母に引き取られ、その祖父母が亡くなってから遠い親戚の四宮家に預けられた、ということだった。


本当の父は誰かと聞いたら、覚える必要はないけどあなたのルーツだから……と、

「キサラギ タカヒロ」という人だと教えてくれた。


複雑な心境になったが、四宮家で感じていた違和感を思い出すと、彼女の言う事は信じられる気がした。


それでも、ミサンガだけは離せなかった。

律との思い出、奏汰への愛情、真尋への後悔。


まるでこれが、俺が兄だった最後の証のような気がして一度も手放すことが出来なかった。



——そして、今。


律の腕の中で、俺は考える。


俺は、本当に三人の兄であれたのか。

誰かの役には立てたのだろうか。

王としては正しかったか。


この人生の中に、幸せと呼べる時間はあったのか。



——その答えを出す資格は、もう俺にはない。

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