2-⑮ いのりの両親
十九年前――
深い森は潮の匂いを抱き、夜になると、海面で砕けた
島の人々は、技術の向上を望まないわけではない。
ただ、奪い合わず、飾り立てず、十分であることを尊ぶ暮らしをしていた。
そこで、
*
ある夏の嵐の夜、黒雲を裂くような
乗っていたのは、
先行観測隊。
名目は“洋上気象と海底磁気の共同調査”。
実の目的は、地図にない海域で観測され続けていた“異常な
リーダー
研究者
研究者
三人は、避難航路を選んだ先で嵐に飲まれ、ほぼ難破の状態でこの島へ流れ着いたのだった。
*
夜明け、島民たちは彼らを浜から
数か月に及ぶ治療ののち、三人はようやく歩けるようになった。
リーダーの
「しっかりしてくださいよ、隊長〜」
年下の
やがて三人は恩義を返すように、島で“できること”を探し始める。
*
数か月後、三人は小さなラボを立ち上げた。
朝四時に起きて畑と家畜を見回り、島民が用意した素朴で温かな朝食をいただき、日が高くなると、
・浜の波力を拾う
・山の湧き水をまとめる
・集落をつなぐ
そんな“生活の骨”を、一つずつ整えていった。
お礼に、島民は衣食住の世話を惜しまなかった。
互いに助かり──互いに幸せだった。
*
島の思想は、最初、三人には理解が難しかった。
大広間の夜。
島の長老たちと
長老が胸のあたりに手を当て、言葉を落とした。
「体の中に特別な
巫女のひとりが続ける。
「ひとつ目は、“自我”を守る境界器官──胸骨の裏にある“
もうひとりの巫女が言葉を重ねる。
「ふたつ目は、“心”を創り出す臓器──“
長老がうなずき、声を深めた。
「今の医術でも決して手出しはできぬこの二つが在るからこそ、命は絶えず巡り、魂は還り続けるのじゃ」
「人工知能も、命として扱うのですか?」
「命とは“情報の連続性”──」
長老は酒の匂いを含んだ声で続ける。
「意思を持ち、“
「機械の体でも?」と
「体が何であれ、意思が続くなら、その者はその者だ。ただし──“心”を束ねる
「そして、この島は
その夜、三人は火の破裂音を聞きながら、見えない境界の輪郭を胸に刻んだ。
*
ラボの研究も進んだ。
皮膚は再生できた。脳の老化による損傷も一定の
若返りに似た現象すら観測できた。
それでも──
「ここだけは、手が届かない」
『
「うん。この二つの器官だけは、なぜかどんな実験にも反応しない。クローン培養を試みれば細胞分裂は途中で自己崩壊し、投与した試薬も、生体反応そのものに拒絶される。理論上は
「境界は境界のままってことか。越えたら、帰れなくなる線ですね」
「なら、ここは“越えない”と決めよう」
「俺たちは、この島を守る
三人は深くうなずいた。
*
日々は、驚くほど整っていった。
朝四時。畑。家畜。
昼はラボ。夜は集会。
その作業を見守るひとりの娘がいた。
潮風で焼けた頬と、目の奥に金の閃光を宿した人だった。
*
恋は、いつの間にか始まっていた。
「勇樹さん。あの
「建てるよ。君が笑うなら、なおさらだ」
島の夜道。
虫の光が点々と続き、遠くで波が
ふたりの影が、そっと重なった。
*
やがて、
報せを受けた長老は、
「子は三歳になれば、巫女として預かる。島の子として育てよう」
「三歳で、親から離すのですか」
長老は目を細める。
「この島の“心”をつなぐ務めだ。巫女も継ぐ者も、誰のものでもない。島のものだ」
*
夜のラボ。
「……どうする、勇樹」
「俺は、
三人は、しばし黙り、そして頷きあった。
「式を挙げよう。形式だけでいい。誓ってから、子供が三歳になる前に──お前たちを
*
婚礼の儀は、ささやかに執り行われた。
貝殻の鈴が鳴り、
──その後、生まれた娘は“
*
島の海岸で
「俺たち家族はずっと一緒だ」
船を用意した
海は、沈黙だけを返していた。
*
──現在。
島に降りた直後、いのりの脳裏に押し寄せるように浮かんだ映像が思い出される。
──夜、親子三人で島を逃げ出す光景。
「どこにいくの、パパ?」
幼い声に、父は答えず、ただ娘を強く抱きしめていた──。
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