2-⑥ 嵐の前

味気ない朝食が、食堂の空気をさらに重くしていた。


誰もが寝不足で、ぼんやりとした表情のまま口を動かしている。


やや遅れて、操縦室にいた天野 梓あまのあずささんが食堂に入ってきた。

「おはようございます」と、東條 瑛士とうじょうえいじ先輩が声をかけ、みんなが続けて挨拶をする。


天野あまのさんは頷きながら、周囲を一瞥いちべつする。


そして、しんちゃんと御影 良臣みかげよしおみさんがやけに近い距離で並んで座っているのに気づき、首をかしげた。


「予定通りなら、明日の昼頃に島へ到着予定だと思うのですが、航路は順調ですか?」

東條とうじょう先輩が尋ねる。


「はい。現在のところ、気圧・風速ともに基準範囲内で推移しています。航行自体に支障は出ていません。ただ……」


天野あまのさんは端末を操作し、画面を軽く指ではじく。

「夕方から強い気圧変動が予測されています。おそらく、嵐になりますね」

淡々と、栄養バーをかじりながら言う。


「さっき、操縦室に東條とうじょうくんが来てくれて、昨晩は“船酔い”が多数出たと聞きました。今夜はもっとひどくなるでしょうね」


「薬とか能力とかで、どうにかできないんですか?」と、真尋まひろが半分懇願こんがんするように尋ねる。


「——あっ!」

かえでが声を上げた。


「私“睡眠最適化”の機能しか今使えないんだけど……それ、もしかしたら船酔い防止にも応用できるかも!」


「なるほど。確かに理屈は合ってるな」と、東條とうじょう先輩がうなずく。


「“睡眠最適化”は、睡眠中の自律神経系を整える効果があるんだ。乗り物酔いも、自律神経の乱れが原因なら——あり得る」


「えー!? 裏切り者!」

真尋まひろがわざとらしく指を差す。


「じゃあ、食べ終わった人から解散しましょうか」

御影みかげさんが声をあげた。


「みんな寝不足なんで、ちゃんと仮眠を取らないと体調崩しますよ」

その一声で、カップや空になった袋が音を立ててまとめられはじめる。


しんちゃんが立ち上がり、私の腕をとった。

「仮眠取ったら、その後は一緒にいよう」


心弦しんげんくん、部屋で待ってるよー」

御影みかげさんがニコニコしながらしんちゃんの肩をぽん、とたたく。


しんちゃんは応じず、私の返事を待っている。


「うん」

私がそう返すと、彼はやわらかく笑った。



それぞれが部屋で仮眠を取り、簡単な昼食も済ませたころ。

私は、迎えに来たしんちゃんと一緒に、甲板かんぱんへ出た。


時刻は夕方四時ごろだった。


甲板では、比較的元気な藤代 青空ふじしろ あおぞらくんと赤坂 太陽あかさか たいようくんが、どこから見つけたのかボールで遊んでいた。


「あ、心弦さん!あとでバスケしましょうよ!」

と言って、ぺこりと頭を下げ、甲板の奥へと駆けていった。


しんちゃんと二人、船の柵に寄りかかりる。

東亜帝国とうあていこくにいるお父さんに連絡を──そう思って、端末からメッセージを送るが、返ってくるのは無機質むきしつなエラーメッセージだけ。


「不安だよ……」

つぶやくと、しんちゃんがそっと私を抱き寄せた。


私は、ぐっと気持ちを切り替えるように一歩踏み出して、柵に寄りかかる彼の前に立つと、両腕を伸ばしてその左右を塞ぐように柵へ手を置いた。


「ん?」

しんちゃんは嬉しそうに微笑んでいる。焦った様子はまるでない。


「しんちゃん、朝、廊下で『つ』って言いかけたよね?なぁに?『つ』って」


「えっ」

しんちゃんは、ふいに目をそらした。


私は普段、大人しいし、いつも彼に守られているけど──やるときは、やる。

観念したように、しんちゃんは両手を私の腰に回し、ぽつりと呟いた。


「いのりの出生地に行って、いろいろ終わって……俺たち兄妹じゃなくなったら──付き合う?付き合いたい?って聞こうとした。その、『つ』だよ」


「……ふーん。そうなるよね、私が付き合いたいって言うから付き合うんだよね、しんちゃんは」


彼が何か言い返しかけたそのとき—— 甲板の扉が開き、天野あまのさんが姿を現した。


私はしんちゃんから一歩下がり、距離を戻す。

……ああ、私のレアな“攻め”ターンが、終わってしまった。


「いのりさん、体調はどうですか?」

「体調はいいです。ありがとうございます。あの……」


そうだ、今なら聞ける——

天野あまのさん、私のことを“見守っていた”って、どういう意味ですか?」


天野あまのさんは伸びをしながら、ゆるく会話を受け止める。


「詳しくは島に入ってから、島主しまぬしから説明があると思います。今は、なるべく心身を休めていただきたいのですが——」


天野あまのさんは進行方向をじっと見て目を細めた。

「もう、雲行きが怪しくなってきましたね」


言葉通り、遠くの空に黒い雲がどんどん湧き上がっていた。雷鳴が走るのが見える。


素人目にも、“とんでもない嵐が来る”と直感でわかる空だった。

「もしあの雷が落ちたら、この船は……私たちは……」


大粒の雨が、甲板をたたきつけるように降り始めた。

「いのり! 中に入るぞ!」

しんちゃんの声が飛ぶ。


横殴りの雨に全身が濡れる。それでも稲光いなびかりに目を奪われ、私は立ち尽くしていた。 ——その瞬間、視界が白に弾けた。閃光せんこう残滓ざんしが、まっすぐ目の奥を貫き、脳の裏側を震わせる。 自分と“光”が、どこかで繋がった気がした。


「……今のは……」

隣で天野あまのさんが、息を呑んだ。

「この距離でいのりさんが“島に認識された”……やはり、さすがですね」


「え……?」


心臓がバクバクと鳴り止まない。しんちゃんが驚いたように駆け寄り、私の前にしゃがみこむと、そのまま背を向けてかがみ、私を背負った。


「さあ、ふたりとも。中に入りましょう。嵐はもう大丈夫で——」

そのとき、不意に天野あまのさんの言葉が途切れた。彼女の表情がぴくりと強ばり、視線が——しんちゃんの顔に向けられる。けれどすぐに私のほうへ視線を移し、なにもなかったようにうなずいた。


その夜——私は高熱を出し、朝まで目を覚まさなかった。

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