ひかりあれ

さいか

第0話 ひかりあれ

 怒りが人を殺した。愛執が人を殺した。

 傲慢が人を殺した。独占が人を殺した。


 義憤が人を駆り立てた。情愛が人を狂わせた。誇りが人を惑わせた。

 そして、分け与える者はすべてを失った。


 悪徳が人を殺すのに、善性は人を救わなかった。


 だから。

 待てなかった。


 天からの彗星も七つのラッパも竜華樹りゅうげじゅの下の悟りも、人は待てなかった。


 扉が開かれる。


 扉の先。

 そこはくらくてひかりがない。

 地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあった。


 そこは、前であった。

 αであり、始まりであり、最先であった。

 三世十方さんぜじっぽうを貫く因果の道理すら捻じれ曲がる泥の只中である。


 いと高き御座におわす方が始まりのことばを述べられたそこに。


 人が歩を進める。

 男であるか、女であるか。

 究める者か、祈りし者か。

 ひとりであるか、ともがらであるか。


 そのいずれもが瑣末である。

 全ては扉の中に足を踏み入れたときに失われた。


 けれどもわずか。失われず残るものがある。


 それは道理だ。

 それは言だ。


善因即是善果ぜんいんそくぜーぜんか悪因即是悪果あくいんそくぜーあっか

願わくばこの道理を普く一切におよぼし、衆生の皆共に正道を成ぜん」


 暗闇のなか響くそれは願いそのもの。

 善行には祝福を。悪逆には裁きを。

 そのように世界があるようにと願い、また今まさに始原の泥に打ち込まれる楔である。


 すなわち、そのように。


「ひかりあれ」


 そして世界は崩壊した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る