ごめんね、私の作品。

 最近、ひとつ気づいたことがあります。

 もしかしたら、物語を書く年季なんて、まだ浅瀬みたいなものだからかもしれません。私は、どの作品を書き終えたときにも、強い「喪失感」や「申し訳なさ」を感じてしまうのです。


 たとえば――猫島の物語が終わったときは、

 自分の力が足りないことが、ただただ悔しかった。

 40話以上続く、美しくて心を揺さぶるような世界を描くには、

 私の想像力も、自然への感受性も、まだまだ未熟で、力が及ばなかった。


 けれど、この物語の終わり方は、最初から決めていた。

 主人公が自分の原点を探し、その旅の果てに初めての小説を書く。

 それが猫島だった。

 だから、きれいに回収できたことがせめてもの救いで、あの時はまだ、「喪失」は小さかった。


『転生林黛玉』が終わったときは、ただ、苦しかった。

 もっとよくできたんじゃないかって、自分に問いかけてばかりいた。

 完璧な結末ではないけれど、抄家の章を書き終えた時点で、この物語は終われると判断した。

 強引に引き延ばすより、ここで止めることに意味があると思った。

 林黛玉が大観園を離れる――それは、転生者としての旅の終わりであり、新しい人生の始まりだったから。

 物語はそこで完結していいはずなのに、それでも私は、どこか申し訳なく思っていた。

 私は無名の書き手で、どれだけ伝えたいことがあっても、最後まで読んでくれた人は、たった10人にも満たなかったから。


『雪の刃』は、私が一番大切にしている作品です。

 そこには私のすべてを注ぎました。伏線も、設計も、すべて――惜しみなく。

 最初は毎日更新して、やがて隔日に変わって……50万字。

 でも、結局最後まで一緒にいてくれた読者は、5人だけでした。

 終わるのは、つらい。

 けれど、終わらせずにいるのも、やっぱりつらかった。

 その痛みは、きっと私が「まだ足りない」からなんだと思う。

 努力も、表現も、広める力も――全部が不十分で、だからこそ、作品をちゃんと届けられなかった。


「最後まで読んでくれる人を、どうやったら残せるのか」

 それが、今の私にとって一番大きな課題なのかもしれません。


『雪の刃』にはたくさんのレビューが届きました。

 どれも、とてもありがたくて、うれしくて。

 けれど、心のどこかで知っているのです。

「読んでよかった」と言ってくれる人がいても、

 実際に最後まで寄り添ってくれたのは、5人だけだったと。


『転生林黛玉』も同じでした。


 二つの作品で80万字を書き、

 最後まで一緒に歩んでくれた読者は、15人にも満たなかった。


 こんなことを言うと、誰かを傷つけてしまうかもしれない。

 同じように、読者が少なくて悩んでいる人にとっては、私のこの気持ちは、ただの弱音に見えるかもしれない。

 でも――

 私は、本当に、悔しいのです。

 だって、私は本気だったから。

 毎日、何十万字、ひたすら更新して、

 そのすべてを込めた物語が、15人にしか届かなかったという現実が、

 今も、胸にぽっかりと穴をあけたままです。


 これはきっと、

「申し訳なさ」であり、

「作品に込めた想いに、自分が応えきれていないという悔しさ」であり、

 そして何より、「喪失感」なのだと思います。


 私は、もっと努力します。

 もっと、もっと書きます。

 今度こそ、私の物語を、ちゃんと届けられるように。

 私自身が、自分の作品に、恥じないように。

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