【完結済】期限を終えて帰ったら、元恋人の魔導士が病んで魔王になってしまった。

キノア9g

第1話 異世界転移と始まりの出会い



 日本の高校では、近頃ちょっとした「流行り」があった。


 それは、留学でも修学旅行でもない。もっと突き抜けた、スケールの大きい体験――異世界転移だ。


 もちろん、誰もが気軽に行けるわけじゃない。選ばれた者だけが、神によって異なる世界へと導かれる。


「お前さ、この前転移したって聞いたけど、どんな世界だったんだ?」


 なんて会話が、放課後の教室で飛び交うのは日常茶飯事だった。


 みんな異世界を救ってきた経験を、まるで文化祭の武勇伝みたいに語り合う。まるで、新作ゲームのレビューでもしてるみたいに。


 日向悠斗。高校一年生。彼もまた、そんな日常にすっかり慣れきったひとりだった。


「いやー、マジでヤバかったって!剣と魔法の世界で、魔物がガンガン出てきてさ。俺、火炎魔法のチートもらったんだけど、それがもうド派手で!」


 隣の席の健太が、身振り手振りで熱弁をふるう。悠斗はうんうんと頷きながらも、心のどこかでうずうずしていた。


 次は、自分の番だからだ。彼の異世界転移は、いよいよ来週に迫っていた。


 転移の前には、神との面談がある。これも、現代の高校生にとっては当たり前のルーティンだった。


 白く光るローブをまとい、どこかユーモラスな雰囲気を持った神様が、にこやかに語りかけてくる。


「さて、日向悠斗。君の異世界での役割だが……うん、君は明るく、どんな環境にも適応できる柔軟性がある。そして何より、“楽しむ心”を持っているね」


 柔らかな声に、悠斗はちょっとだけ照れくさそうに笑った。


「あの……チート能力って、どんなのがもらえるんでしょうか?」


「ふむ。君には、“あらゆる魔力に適応できる能力”を授けよう。どんな魔法も瞬時に理解し、己のものとして使いこなせる。そして“高速治癒”も加えておこう。君の資質なら、多くの人々を救えるはずだ」


 悠斗の目が輝いた。あらゆる魔力に適応――つまり、どんな魔法でも使えるってことじゃないか。しかも回復まで。まさに万能チートだ。


「すげぇ……!ありがとうございます、神様!」


「うむ、それと……君の滞在期間は三ヶ月。これは定められたルールだ。期間が終われば、必ず元の世界に戻ることになる。短い時間だが、その分、濃く生きなさい」


 三ヶ月。その“常識”を、悠斗もちゃんと理解していた。


 だからこそ、みんな気軽に異世界へ行ける。深く考えすぎず、まるで季節限定イベントに参加するように、楽しむ。それが現代の転移者のスタイルだ。


 悠斗も、同じ気持ちだった。異世界での三ヶ月の“ゲーム”を、思いきり楽しんでやると決めていた。


 そして――その日は、やってきた。


 自室のベッドに横たわりながら、悠斗は白い光に包まれる感覚を味わっていた。体がふわりと浮かぶ。そして、次の瞬間、視界が一変する。


「うわぁ……」


 青く澄みきった空。果てしなく広がる森。遠くにそびえる壮麗な城。


 足元には、見たことのない草花が咲き乱れ、空気は驚くほど澄んでいた。まさに、ファンタジーの世界そのもの。


「日向悠斗様ですね。お待ちしておりました」


 背後から、落ち着いた声が響く。振り返ると、漆黒のローブをまとった青年が立っていた。


 すらりとした長身、端正な顔立ち。知性と冷静さを漂わせつつ、どこか近寄りがたい雰囲気を持っている。年齢は、悠斗より少し上くらいだろうか。


「はい、日向悠斗です!えっと……あなたは?」


「私はアルベール・グランヴィル。この国の魔導士です。神託により、あなたが“救世主”として召喚されると告げられました。そして、あなたの案内役を務めるよう命じられています」


 教科書でも読むように、淡々と告げるその声に、悠斗は一瞬気圧された。


 けれど――


「アルベールさんか!よろしくお願いします!俺、日向悠斗です!」


 すぐに明るさを取り戻し、元気よく手を差し出す。アルベールはわずかに戸惑ったような表情を見せたが、静かに頭を下げた。どうやら、握手の文化はないらしい。


「まずは、王城にご案内いたします。救世主の召喚は、この国にとって最も重要な儀式の一つですので」


 アルベールはそう言って、静かに歩き出した。その背中は凛としていて、どこか孤独を背負っているようにも見えた。悠斗は少し間を置いてから歩を進め、そんな彼の背を追う。これから始まる三ヶ月の「ゲーム」に、胸の奥がわずかに高鳴った。


 王城の謁見の間は、想像を遥かに超えて豪奢だった。磨き上げられた大理石の床、天井に描かれた荘厳な壁画、宝石のように煌めく装飾。まるでテーマパークのセットのようで、思わず辺りを見渡してしまう。


 玉座に座る王は、悠斗の出現を心から歓迎してくれた。そして、世界を脅かす魔王の存在と、救世主としての役割を一つひとつ丁寧に語り聞かせた。


 悠斗は真剣な面持ちで耳を傾けながらも、内心では冷静だった。


(なんか……RPGのオープニングイベントみたいだな、これ)


 自分がどこまで本気でこの役割に向き合えるのか、まだ分からない。ただ、物語は確実に始まっていた。


「日向殿。君はまだこの世界の事情に不慣れだろう。アルベールには、君の相談役として、この世界での生活と活動を全面的に支えるよう命じてある」


 王の言葉に、アルベールは恭しく一礼した。


「承知いたしました、陛下。日向様の支えとなれるよう、最善を尽くします」


 その声音は相変わらず静かで、抑揚も少ない。けれど、悠斗の胸の奥にはふっと温かいものが灯った。


(この真面目な人が、これから三ヶ月、俺と行動を共にするのか。……なんだか面白いことになりそう)


 その日から、悠斗とアルベールの共同生活が始まった。王城の一室が悠斗に与えられ、アルベールは毎日のようにそこへ通ってきた。


「こちらは、この国の文字です。読み書きは生活の基本となります」


「これは魔物図鑑です。各地の魔物の特徴や弱点が記されています」


「魔導書の基礎はこちらです。まずはこれから始めましょう」


 アルベールは律儀に、大量の資料と課題を持ち込んできた。真面目というより、もはや教師のようだ。


「アルベール先生、そろそろ休憩しましょうよ~」


 難しげな顔で魔導書を広げる彼の肩をぽん、と軽く叩くと、アルベールは一瞬だけ肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。


「……先生、ですか?」


「うん! だって、なんか先生っぽいじゃん。ね?」


 にこやかに笑いかけると、アルベールは困ったように眉を下げた。


「私は教師ではありません。ただの相談役です」


「いーじゃんいーじゃん! 俺、先生って呼ぶね。ね、先生、ちょっと外行こうよ。この国の街並みとか、まだちゃんと見てないし!」


 悠斗は腕を掴んでアルベールを引っ張ろうとした。アルベールは、その行動に驚いたように目を丸くしたが、なぜか振り払うことはしなかった。そして、小さく息を吐いた。


「……仕方ありませんね。ただし、すぐ戻りますよ」


 その口元に、ごく僅かな笑みが浮かんだように見えた。悠斗はそれを見逃さなかった。


(あれ、意外とチョロい……?)


 そんなふうに思ったら、なんだか余計に嬉しくなった。



 二人は城下町を歩いた。通りには色とりどりの露店が並び、人々の声が賑やかに響いている。異世界の空気に包まれながら、悠斗は目を輝かせて辺りを見渡した。


「これ、なんですか? 先生!」


「それはルーチェの実です。疲労回復の効果があります」


「へー! 一口ちょうだい!」


 腕をつついてねだると、アルベールは一瞬きょとんとした顔になったが、ためらいなく手に持っていた実を差し出した。悠斗は遠慮なくかぶりつき、甘酸っぱい味に思わず目を細めた。


「美味しい! 先生も食べてみなよ!」


 悠斗は満面の笑みでアルベールに勧める。アルベールは戸惑いながらも、小さな一口をかじった。その瞬間、彼の表情が少しだけ緩んだように見えた。


 それから「先生」という呼び名はすっかり定着し、アルベールもあえて訂正しようとはしなかった。依然として彼は真面目で冷静なままだったが、悠斗との日々の中で、少しずつ表情や言葉に柔らかさが見えるようになっていった。


 悠斗の他愛ない冗談に苦笑し、ふとした困りごとには迷わず手を差し伸べる。そして何より、時折見せる微かな笑みが、いつの間にか自然なものになっていた。


「先生、今日なんか機嫌よくない?」


 そうからかうと、アルベールは一瞬だけ固まった後、すぐにいつもの無表情に戻って答えた。


「気のせいです。私は常に平常心ですので」


 けれど悠斗には、アルベールの耳がほんのり赤く見えた。


(ふふっ、やっぱりチョロいかも)


 心の中で小さく笑う。こんな日常も、案外悪くない。


 任務も順調に進んでいた。悠斗の「すべての魔力に適応する能力」は、想像以上に強力だった。魔導書を読めば、即座に術を習得し、自在に使いこなせた。高速治癒も便利で、どんな怪我も瞬く間に癒えてしまう。


 まさにチート能力そのものだ。


 アルベールも、最初は淡々と評価していたものの、次第に驚きを隠せない様子を見せるようになっていた。


 だが、悠斗にとってそれ以上に面白いのは――この異世界で「先生」との距離が、少しずつ、けれど確実に縮まっていることだった。

 

「日向様の魔力吸収速度は……これまで私が見た、どんな魔導士とも比較になりません」


 アルベールは真剣な顔でそう呟いた。悠斗は得意げに笑った。


「でしょー? 俺、天才かも!」


 二人は共に魔物の討伐に出かけ、時には命懸けのダンジョンにも挑んだ。息の合った連携で数々の強敵を打ち破りながら、じわじわと魔王の支配圏を切り崩していった。


 そうして過ごすうち、二人の関係はただの同行者から、もっと深い何かへと変わっていった。アルベールは悠斗にとって、初めて本音で頼れる存在になりつつあった。堅物で、理知的で、それでも時折見せる優しさに、悠斗の心は少しずつ惹かれていった。


 三ヶ月という滞在期限が、もうすぐ終わろうとしていた。


 


 ある夜のことだった。月明かりが静かに差し込む部屋で、悠斗とアルベールはふたり、言葉少なに時間を過ごしていた。


「ねえ、先生さ……俺のこと、どう思ってる?」


 不意に悠斗が問いかけた。アルベールは読んでいた魔導書から顔を上げ、そのまま悠斗を見つめ返す。


 その瞳に、かすかな揺らぎが浮かんだ。


「……日向様は、この世界にとってかけがえのない存在です。魔王を倒すための、希望の光です」


 いつもと変わらない、淡々とした口調。けれど、悠斗が求めていたのは、そんな言葉ではなかった。


「そうじゃなくてさ。俺……先生のこと、好きだよ」


 悠斗は、まっすぐにアルベールの目を見つめた。アルベールの瞳が、大きく見開かれる。


「俺さ、もうすぐ帰っちゃうんだ。元の世界に。あと一週間くらい、かな」


 悠斗は軽く笑った。期限があるからこそ、この気持ちを伝えられたのかもしれない。たとえ断られても、すぐに離れる身なら――そう自分に言い聞かせていた。


「だからさ……その間だけでいい。お試しでもいいから、俺と恋人になってみてよ」


 冗談みたいに言いながらも、その瞳は真剣だった。アルベールは言葉を失い、ただじっと悠斗を見つめていた。その眼差しの奥に、戸惑いと、どこか愛しさのようなものが入り混じっていた。


「日向様が、私を……?」


 かすかに震えた声が漏れた。悠斗はそっと頷いた。


「うん。先生のこと、好き。だからさ、いいかな?」


 微笑んでそう言った悠斗に、アルベールは一瞬だけ目を伏せ、それからゆっくりとまぶたを開いた。そして、静かに――だが確かに、頷いた。


「……承知いたしました」


 その言葉に、悠斗の顔がぱっと明るくなる。嬉しさが、感情のままに表情に表れた。


 アルベールの答えは、彼の胸の奥にあたたかな火を灯したようだった。


 

 その瞬間から、二人の間にはこれまでとは少し違う、甘く、くすぐったい空気が流れ始めた。


 悠斗は「期間限定の恋人」としての時間を、全力で楽しもうと決めた。照れ笑いも、触れる距離の近さも、全部大切にしようと思った。


 アルベールもまた、生まれて初めて得た“特別な誰か”との時間に、言いようのない幸福を感じていた。悠斗が笑えば、自分の心も揺れた。彼が触れれば、自分の内側に何か新しい感情が芽生えた。


 だが、その感情の正体を、彼はまだ知らなかった。


 やがて、その幸せが、アルベール自身を深く、深く蝕んでいくことになるとは――


 悠斗には、まだ知る由もなかった。


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