【完結済】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜

キノア9g

第1話 好きになった瞬間、思い出した



 あの日、突然すべてを思い出した。

 自分がこの世界に来る前、どんな人生を生きていたのか。

 どんなふうに、この恋が終わるのか——その結末までも。


 前世の俺は、どこにでもいる普通の会社員だった。

 趣味でBLゲームをプレイしていて、ある日ふと、何の前触れもなく意識を失った。そして目覚めた先が、この世界だった。


 小さな村に生まれ育ち、幼なじみのセスと共に毎日を過ごす穏やかな日々。けれどそれは、ただの幸運ではなかった。



 ここは、俺がかつてプレイしていたBLゲーム『ミスティカル・ラブ・クエスト』の世界——ゲーム本編が始まる、プロローグの舞台。


 主人公はセス。

 平民出身ながら高い魔力を持ち、後に王子や貴族、騎士たちと恋愛イベントを重ねながら成長していく。

 彼の行く先には、数々の出会いと愛が用意されている。運命の相手と出会い、真実の愛を選び取る、それが彼の物語。


 ……そして俺は、そのセスの初期恋人ポジションとして登場する村人モブ——名前も設定もなく、物語の序盤で別れる運命のキャラクター。


 前世でこのゲームにハマっていた俺は、ストーリーを全部知っている。

 どのルートを選んでも、どんなエンディングに辿り着いても……俺は、“背景”に過ぎない。


 それでも、この世界で彼と出会い、言葉を交わし、笑い合ってきた日々は——紛れもない、本物だった。




 ◇◇◇



 春の光はやわらかくて、どこかくすぐったい。草の匂いに混じって、川のせせらぎが優しく耳をくすぐる。


「ほら見ろよ、カエル。ちっちゃいのが、ぴょんって飛んだ!」


 はしゃぐような声とともに、隣を歩くセスが足を止めて、しゃがみ込んだ。無造作にかきあげた栗色の髪が陽に透けて、まるで絵本の挿絵みたいだった。


「また川に落ちるよ」


「落ちねーって。お前じゃあるまいし」


 そんなふうに笑いあうのが、当たり前の時間だった。小さな頃からずっと隣にいて、喧嘩しては仲直りして、何度も一緒に転んで、笑って。

 けれど今日、その当たり前が、ほんの少し違って見えた。


 セスの横顔が、いつもより少しだけ大人びて見えた。

 笑った口元も、眩しげに細めた目元も、全部。どうしようもなく、愛おしいと思ってしまった。


 その瞬間、胸の奥がぎゅっと掴まれた気がして、歩く足が止まった。


(……あれ?)


 なんでこんなふうに思ったんだろう。今までだって、一緒にいて楽しかったのに。今日のセスは、昨日と同じセスのはずなのに。


(——好き)


 言葉にならない感情が、心の奥で確かに芽吹いた。


 それは春風みたいに優しくて、でも、どこか切ない。


 


 帰り道の、少し急な坂の途中だった。


 石畳の影が長く伸びて、遠くの空が赤く染まりはじめている。風の音が耳に触れた瞬間、突然、頭の奥に鋭い痛みが走った。


「——ッ……!」


 膝が崩れそうになる。視界が揺れて、眩暈のように意識が遠のいた。何かが、流れ込んでくる。


 ゲーム画面。立ち絵。選択肢。告白イベント。エンディング。

 そして——モブ、という単語。


 胸の奥にずっと眠っていた記憶が、一気に溢れ出した。


 俺は知ってる。この世界は、前世でプレイしていたBLゲームの中だってこと。

 この手の中にあるのは、運命でも奇跡でもない。——ただの、予定調和。


 セスはこの先、運命の相手と出会って、恋に落ちて、幸せになる。

 俺は、その背景にいるただの村人B。初期恋人ポジション。捨てられる役割。


(……ああ、なんてことだ)


 ようやく気づいたと思ったら、もう全部知っていた。

 この気持ちの行き先が、最初から“終わり”に向かっているってことも——。


 


 家に着くと、母が留守だった。小さな部屋に一人。夕陽の色に染まる天井を見上げて、布の切れ端を握りしめた。


 さっきセスが笑った顔が、まぶたの裏に浮かんで消えない。

 どんな選択肢を選んでも、俺には“セスとの幸せなエンディング”なんてない。

 それでも……それでも、離れたくないと思ってしまった。


「バカだな、俺……」


 そんなふうに笑いながら、目尻が熱くなる。そっと指で拭っても、涙のあとが消えない。


 でも、決めた。どうせ終わりが来るなら、その時まで。

 たとえ最後に捨てられるとしても——。


 「それでも、隣にいたい」


 声に出したら、不思議と少しだけ胸が楽になった。


 部屋の隅にしまっていた布を広げる。セスに似合いそうな、やさしい緋色。

 まだ縫い目もつけていないけど、この想いだけは、もう縫い込まれてしまった気がした。


 ——運命に抗えないなら、せめてこの気持ちは、俺だけのものとして大切にしよう。

 そんなふうに、ひとつ深く息をついた。

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