第29話 モヤモヤ

 朝日が昇る前に目を覚ましたサミューは、汗ばんだ服を着替えると、鏡の前で朝の支度を整えていた。毎朝早起きなサミューだが、今朝は特に早く起きた。その理由は、手紙を届けに来たブラウンに叩き起こされだからだ。


 姉の視線から早く解放され助かった反面、頬がヒリヒリする。鏡に映った自分の顔には、赤い頬の腫れが目立った。その分目の下にうっすらと見える隈があまり目立たず、どこかホッとする。だが誰の目から自身に出来た隈を誤魔化そうと思っていたのか、ふと考えた。


 部下のスミスか? 


 男爵へ引き渡すか決めかねているノルか? 


 姉と引き離す事になるかもしれないチラか? 


 昨日会ったばかりのシダー夫妻か?


 それとも会うことの出来ない姉か?


「(ハッ、誰かに心配してもらえると思っていたとは……)」


 一旦自分の部屋へ戻り荷物を取ると窓は開けず、スミスとの待ち合わせ場所へ向かった。


「アニキ! その顔どうしたんっスか?」


「気にするな、それより要件は何だ?」


「はい、例の件の進捗はいかがっスか? 言いにくいんっスけど、また男爵から遣いが来てせっつかれてるんっス。アニキの姉上がどうなっても知らないぞって……」


「そうか……悪いがもう少し待ってもらえないか? 少しづつあいつ……ノルの信頼を得ている。もっと信頼されれば俺の頼みなら男爵の所へ付いて来てくれるようになるかもしれない。そうすれば俺は嫌われたとしてもあいつが傷つくことは減るはずだ……」


 すっかり心が弱りきったサミューを見てスミスは悲しそうに呟く。


「アニキがそう言うなら従いますが、なんとかあの子を差し出さずに済む方法は無いんっスかね? アニキは以前『希望が見えた』って言っていたじゃないっスか……」


「それはそうだが……」


 サミューは頭を掻きむしる。


 自身に旅の楽しさや人との触れ合いを思い出させてくれたノル。一緒に旅をするうちにノルとチラの事を妹や弟のように大切に思う気持ちが芽生え、揺るぎないものになっていた。


 だがそれと同時に大切な姉を囚われている自身の状況と夢の中の姉の視線を思い出す。


 こんな事なら2人と一緒に旅をしなければ良かった。以前は依頼だと割り切る事が出来ていたはずだ。そう思いつつも心の奥底でこの旅を大切に感じていて、未だどちらを選ぶか決め兼ねていた。


「おっとそうだ……。これはブラウンへの土産だ」


 サミューは無理に微笑むと懐からオレンジを差し出し、スミスへ渡すとペンションへ帰った。


「アニキぃ……」


 その場に残されたスミスはオレンジを持ち、心配そうにそう呟いた。



 ♢♦︎♢



「サミューお部屋にいなかったよー」


 ノルの部屋へ戻って来て残念そうにチラが言った。


「相変わらずサミューさ……サミューは朝が早いね」


 しばらくチラとソワソワしながら窓の外を見ていると、ペンションの階段をサミューが上って来る姿が見えた。


「サミューさ……サミューが帰って来たみたいよ」


 ノルが言い終わる前にチラは部屋を飛び出して行く。その後を追ってペンションの外へ出ると、サミューがアーチのような木を潜り抜けたところだった。


「おかえりなさい。あのね……」


 玄関にいるノルと、薄っすらと雪が積もった芝生の上に立つサミューの目線が合う。目が合うとサミューの視線が少し動揺したように揺れた。


「ただいま。……どうした?」


 エアはああ言っていたが、自分は自分だ。ノルは決心すると、あえて軽く言った。


「あなたの事、これからはサミューって呼ぶわね」


 サミューは下を向くと呟いた。


「──ダメだ、悪いな」


 ショックで固まるノルの横を、サミューとチラが通り過ぎて行く。そのときチラが心配そうにサミューを見上げている事にノルは気が付かなかった。


「(言い方が悪かったのかしら? それとも彼に嫌われているの……? いいえ、そんな事は無いはず)」


 ノルは気にしない事にしつつも、サミューに断られた理由を朝食を食べ終わってもぐるぐると考えていた。そんなノルの様子を見かねてか、はたまた荷物持ちのためかシダーさんに買い物に誘われた。


「買い物、チラちゃんも行く?」


 すると珍しく真面目な顔でチラは答えた。


「ううん、ボクはやる事が出来たから行かない」


「やる事?」


「うん! ペンションの裏にある山へ行くの」


 ノルはケープを羽織るとチラの目線に合わせてしゃがんだ。


「前にも話したと思うけど、チラちゃんが精霊だって事には気づかれないように気をつけて、約束よ」


「うん、わかった約束ー!」


 チラと指切りをするとノルは買い物へ出かけた。



 ♢♦︎♢



 チラには最近気になる事があった。


 サミューからモヤモヤとしたモノが見えるのだ。もしかしたら普通の人には見えないモノなのかもしれないが、それがサミューにくっ付いている。そのモヤモヤへ引きつけられるように、眠っているサミューへ悪いものが送られて来ていた。


 初めてサミューと会ったときから気になっていたのだが、ストンリッツへ向かう馬車の中で、うなされるサミューを見て良くないものだと確信したのだ。チラは大好きなサミューからモヤモヤを取ってあげたかったが、取り方が分からないうえに、強引に取ればサミューによく無い影響が出る予感がした。


 だが幸いな事にペンションの後ろは山で、木が沢山生えている。1本の力は弱いが、沢山の木が集まれば樹齢何百年の木に匹敵する力を発揮出来るはずだ。


 そう考えたチラは山の木達に、サミューに付いたモヤモヤに送られて来る悪いものからサミューを守ってもらえるようにお願いをしに行く事にした。


 ノルを見送るとチラは裏山へ早速向かった。秘密にしているわけではないが、実はチラには瞬間移動の能力がある。ノルもエアも知らない能力だ。


 チラは裏山へ降り立つと目を瞑り意識を集中して周辺の木に話しかけた。


『(お願い力を貸して。ボクの力を分けるからあのペンションへ来る悪いものを跳ね返して欲しいの)』


 チラは雪と落ち葉をかき分けると、地面にかじかんで赤くなった手を付け、ゆっくり力を注ぎ込む。チラの力を養分として吸収した木々はうっすらと輝きながら、求めに応じるように枝を震わせた。


『(ありがとう、よろしくね)』


 チラは木々に感謝を伝えるとペンションへ戻った。



 ♢♦︎♢



「おや、チラちゃんおかえり」


 ペンションの玄関ドアを開けると、シダー夫人が廊下を掃除していた。


「ふわぁ……。ただいま」


 大きなあくびをするチラを見てシダー夫人は微笑む。


「おやおや泥んこだね、こっちへおいで」


 チラはシダー夫人に連れられ洗面所へ行くと、濡らしたタオルで顔についた土を綺麗に拭き取ってもらう。


「うんうん、綺麗になった。すぐにお昼の用意をするから手を洗ってね」


「うん、ありがと」


 うつらうつらしながらも、どうにかチラは手を洗うとダイニングへ行って椅子に座る。だが睡魔には勝てず、昼食を待っているうちにすやすやと寝息をたて始めた。


 普段はパワフルなチラだが、往復の瞬間移動と木に力を分けるという行為はさすがに幼い精霊には堪えたようだ。


「ふふ、どんな冒険をして来たのかしらね」


 シダー夫人は眠っているチラにそっと着ていたカーディガンを掛けたのだった。

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