〔4〕

 海が一望できる『ゆりあらす』の白い板張りのテラスに出た優樹は、田村が作った無骨で頑丈そうなデッキチェアーに腰掛け遠く視線を飛ばした。

 今の時期、山吹色のコスモスが乱れ咲く向こうに遠く広がる青い海が、鮮やかに美しい。

 宿泊客のある日はテラスに入ることが出来ないが、今週末は予約がなかった。

 昨夜から不在の田村に、妻の小枝子は不機嫌な様子だ。それでも優樹が、もう何時間もテラスで海を見ているのを咎めようとはしなかった。

 風が、コスモスを揺らす。

 この花は見た目の儚さとは裏腹に、丈夫で逞しい花なのだと小枝子が言っていた。

 強い風を、ゆらゆらとかわして倒れることもなく、痩せた土地でも群生し立派に花を付ける。

 その、しなやかな強さを自分も持ちたいと優樹は思った。正面から対抗するから、自分も相手も傷つけてしまう。

 しかし、他の方法が解らないのだ。

 握りしめた右拳を、デッキチェアーの肘掛けに叩きつけた。痛みで少しの間でもこの憤りを忘れることが出来るなら……。

「よしなよ、そんなことしてたらいつまでたっても怪我が治らないよ」

 背後に遼の声を聞いて、優樹は振り返った。

「なんだ……俺に用か?」

「それ以外に、何があるのさ」

 遼の笑顔に、優樹は赤面する。

「隣、いいかな?」

 並んだデッキチェアーのもう片方に、遼は腰を下ろした。

「ここからの景色、僕も好きだな。コスモスが綺麗だ」

「あの花は、見た目より強い花なんだってさ。……おばさんの受け売りだけど」

「そうなんだ」

 端正な横顔、風に流された髪を掻き上げる細い腕が山吹色のコスモスに重なり、優樹は目を逸らす。

「おまえの姉さんは、きっと、おまえのこと大好きだったと思うよ……」

「うん……僕も大好きだった事、思い出した」

 二人は言葉を探して、しばらく沈黙した。

 やがて優樹は、決意して口を開く。

「俺のこと、迷惑に思うなら……」

「好きだよ」

 言い終わる前に予想外の返事を聞いた優樹は、よほど狼狽えた顔をしたのだろう、遼が笑った。

「きっと僕は、太陽みたいな君が羨ましかったんだ。僕にとって、君は沈まない太陽だから」

「俺が、沈まない太陽……?」

 優樹は天上を仰ぎ見た。

 澄んだ大気の向こう、紺碧の空に輝く太陽は真夏より、かえって焼き付くように眩しかった。

「俺が太陽なら、知らずに海を干上がらせ花を枯らしてしまうだろうな。誰かを傷つけても、きっと気付かないでいるんだ」

 太陽を睨み付けたまま、優樹は強く唇を噛んだ。口腔内に、血の味がしたが構わなかった。

 痛みで抑え付けたい、何かが胸に込み上がる。

 ずっと居場所を捜し続けてきた。それがどこにあるか解らなかった。

 誰かのために何かをしていれば、自分の存在価値を確認できた。それが自分の弱さだと、知るのが怖かった。

 だが遼に拒絶された時、厭でも向き合わなくてはならなかった。

 どこかで依存してはいなかったか? 

 遼の前に立っていれば、自分でいられるのだと……。

 拒絶されて当たり前だ。

 自分が本当に求めていたのは、欲しかったのは……信頼だった。

「俺は、難しい事を考えるのが苦手だ。思った事を、思った通りにやっちまうんだ。相手がどう感じるかなんて、考えた事もなかった。悪かったな……今まで随分、厭な思いをさせちまった」

 すっ、と、遼は椅子から離れ、優樹の傍らに立った。

「馬鹿だな、そんなわけないだろう? 素直になれなかったのは、僕の方だ。君のことを知ろうともせずに、自分のことばかり考えていた……。僕は、君の力になりたい。君が花を枯らすと言うなら、その前に僕が遮ろう。太陽を覆い隠す叢雲のように。僕が君の居場所に……なれるといいな」

 優樹は顔を上げ、遼を見つめた。

「……ああ、頼むよ」

 心地よい風が二人を包み込み、海の向こうへと吹き去った。

 遼の信頼を得たと理解した優樹に、新しい力が満ちてくるのが解った。



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