〔4〕

 昼休みを知らせるチャイムが鳴り、ようやく神崎は息苦しい時間から解放された。

 と、言っても午後もまた、何人かの学生を相手にしなくてはならない。警察の応対を任された高津秀代教務主任が、学食と売店を使ってくださいと言いに来てくれた。

 かつて自分も利用していた学食には懐かしさを感じたが、今の立場で学生達と机を並べるわけには行かない。外に食事に行くにしても、一番近い店までかなりの距離があった。

 売店で学生の間に並ぶのもまた、気恥ずかしさがある。

 昼抜きを覚悟したところで、濱田が弁当の包みを二つ持ち図書館に入ってきた。

「おう神崎、売店で弁当買ってきたぞ。近くの弁当屋が入ってるんだってな。ガキどもにお勧めを聞いたら、コロッケ弁当がうまいんだってよ。それにしても安いなぁ。ひとつ三百五十円だ」

 濱田は遠慮や気後れとは無縁らしい。

「あっ、有り難うございます濱田さん。それじゃあ車の中で……」

「うん? ああ、そうか。ここでというわけにはいかんな。食堂でいいんじゃないか? お茶があるそうだぞ」

 すっかり学生と一緒に食べるつもりでいる濱田に、神崎は苦笑する。

「いえ、自分は……」

 遠慮します、と、言おうとしたとき。図書室の入り口から秋本遼が顔を出した。

「あの……神崎さん、お話ししたい事があるんです。ちょっと、写真部まで来てもらえませんか?」

「写真部に? ……構わないけど」

 濱田が神崎に目配せした。

「学生は、おまえに任せた。この弁当じゃ足らなそうだから俺は学食に行って、うどんでも追加するかな」

 濱田は包みを一つ持って図書室から出ていった。

「僕らも、これから部室で昼ご飯食べるんです。お茶くらい出せますから、神崎さんも一緒に食べませんか?」

「ありがとう、じゃあそうさせてもらうよ」

 神崎は遼と連れだって、三階にのぼっていった。

 アキラにお茶を入れてもらい、神崎は遼と向かい合って弁当の包みを開いた。

 濱田が学生から聞いた通り〈コロッケ弁当〉は味も量も値段の割に満足のいく物で、二段になった入れ物の一つに白飯が、もう一段に山盛りの千切りキャベツとコロッケが三つ入っている。

 コロッケは学生達に美味しく食べてもらおうという店の思いやりなのか、揚げたてでまだ熱く、さくさくとした軽い歯触りが嬉しかった。

「これは旨いな。僕が学生のときは学食しかなくてね、それもカレーか肉うどんの二者択一さ。弁当持ってきてる奴らが羨ましかったな。館山からバスで通ってたから朝早くて、お袋は弁当作ってくれなかったんだ」

 学生のように白飯を頬張る神崎に笑う遼は、その弁当屋のレタスとハムがたっぷり挟んであるサンドイッチを牛乳と一緒に食べている。

「海岸沿いの道から表通りに出る道に入ってすぐの左側に、コンビニがあるでしょう? あの裏で、おじさんとおばさん二人でやってるんです。以前は千葉で弁当屋さんをしてたそうですが五年くらい前に戻ってきて、今はこの学園とコンビニのお弁当だけ作ってるみたいですよ。でも運動部の合宿とか大会なんてときは、いつも美味しい弁当を用意してくれるんです」

「へえっ、いいなぁ。僕は陸上部だったけど、大会の時の弁当が不味くてね。実力が発揮できなかったよ。そう言えば今日、優樹君は一緒じゃないんだね」

 遼の顔色がさっと変わったのを、神崎は見逃さなかった。

 部室にはアキラと遼の他にも数人の学生がいたが、その中に優樹の姿がない。てっきり一緒にいると思い込んでいたのだが。

「そんな、四六時中つるんじゃいませんよ。気が向いたら来るんじゃないかな?」

 遼にかわってアキラが答えた。

「……それもそうか」

 当初感じた優しそうで心許ない見かけとは違う、秋本遼の芯の強さが度重なる事情聴取で徐々に解ってきた。

 比べて何事にも表に立ち、自分だけで解決しようとする篠宮優樹。

 第三者から見ても明らかに性格の異なる二人の間で、事件の捉え方による壁が出来たのかもしれないと神崎は思った。

 友達から先に進むために、多くの壁を乗り越えなくてはならないことを神崎は知っている。だがその度に信頼と絆は深まっていくものなのだ。

 ふと、妙に肩入れしている自らが可笑しくなって、神崎は頭を切り換えた。

「それで、話って何かな」

 アキラがコーヒーを神崎と遼の前に置くと、別の机で他の学生と話をしていた佐野が席を立ち、連れだって部室から出ていった。

 遼はしばらく神崎を見つめていたが、やがてコーヒーを一口飲み、決意したように口を開いた。

「神崎さんは……僕の姉、榊原江里香と、どういう関係だったんですか?」

 単刀直入に聞かれ、神崎は狼狽えた。

「どういう関係……と言われても。被害者と、刑事、かな?」

「誤魔化さないでください。姉は、違うと言っている」

「えっ?」

 神崎には、遼が何を言っているのか皆目見当が付かなかった。死んでしまった人間が、話をするわけがない。

 それに今回の事件がなければ姉がいた事自体、遼の知る事とはならなかったはずだ。

「言ってることが、解らないんだけど」

「石膏像が見つかった日、僕は貴方の足下が水に包まれるのが見えた。その時、神崎さんにも見えたはずなんです。姉さんの姿が」

 途端、神崎の顔から血の気が引いた。

「まさか……あれは、懐かしさから僕が観た幻覚みたいなもので……」

 言ってしまってから失言に気が付く。榊原江里香を知っていると白状したようなものだ。

「幻なんかじゃない。榊原江里香はそこにいて、貴方に何かを伝えようとしていたんです」

「馬鹿な!」

 思わず声を荒げそうになったが、神崎はそれを抑えた。

 記憶が呼び起こした幻ならば、遼が同じ物を見たと言うわけがなかった。だが、あり得るのだろうか。

 神崎の両親は神事を重んじる方で、時にうるさく感じるほど方位や吉凶日にこだわるところがあったため、それを日常として受け止め大人になった。

 だが自身は、それほど信心深くはないので身近に霊の存在や超常現象が起こりうるなどと思ったことはない。

 突拍子のない話に言葉を失い戸惑いながらも、神崎は冷静になろうと勤めた。

 榊原江里香の姿が見えるなどと言って、カマをかけているのか? 

 しかし何故? 

 訝しむ目で見つめたが、遼の真摯な表情は変わらなかった。

 神崎の反応を伺うように、須刈アキラが空いたカップに二杯目のコーヒーを注ぐ。

「にわかに信じてもらえるとは思っていません。でも秋本に、ちょっとした能力があるのは本当で、そのせいで子供の頃から結構つらい思いをしていたらしいんです。現に参号倉庫では山本葉月が殺されるところが見えたようだし……石膏像に何かあるとわかったのも、美術室で榊原江里香のヴィジョンを見たからなんです」

 アキラの言葉は、単なる探偵ごっこで倉庫に赴いたのでは無いと主張していた。

 熱く香りたつコーヒーに口をつけながら神崎は、信じられないと思いながらも興味をそそられた。

「秋本くんの話が本当だとしたら、彼女は僕に何を伝えたかったのかな? 君達は、僕から何を聞き出そうとしてるんだ?」

 油断なく探りを入れると、遼が必死の表情で訴える。

「もしかして姉さんは、神崎さんの恋人だったんじゃないですか? だから神崎さんは……」

 胸に微かな痛みを覚えながら、神崎は感情を押し殺す。

「悪いが……見当違いだ。確かに彼女の事は学生の時、知っていた。何しろミス叢雲だったからね。君達は僕の学生時代の話を持ち出して、警察の掴んだ情報を聞き出すつもりかい? 忠告しただろう? 余計な首を挟むな、と……」

「姉さんを殺した犯人を知りたいと思うことが、余計なことなんですか! 姉さんは、きっと僕に犯人を捕まえて欲しいのだと思う。だから今までしばらく出てこなかったあの能力が、また現れたんだ。神崎さんは、本当に姉さんと知り合いじゃなかったんですか? 神崎さんに会うたび、姉さんの姿が近くに見える。最初に見た苦しそうな表情ではなく、優しく微笑んでいる姿が……」

 神崎は驚いて、遼の視線の先に目を向けた。しかし何も、見えなかった。

「……いい加減にしたまえ、大人を、からかうんじゃない。犯人逮捕は我々警察に任せて、君達は学生のやるべき事をやるんだ」

 僅かばかりの期待を抱いた自分に胸の内で苦笑しながら、神崎は空になった弁当の包みを手に持ち席を立った。

「コーヒーご馳走様、とても美味しかったよ。事件が解決したときにでもまた、飲ませてくれるかな?」

「そう言わず、いつでもどうぞ」

 成り行きは予想できたと言わんばかりに、アキラが肩を竦める。

 遼は俯いたまま、神崎を見送ろうとはしなかった。

 部屋を出ようとして神崎は、振り返り部屋を見渡す。

 だがやはり、何も見る事は出来なかった。

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