第1話 獣人族の付き人


 馬車の揺れる感覚と窓からさす太陽の光の温かさや匂いに包まれて、心地よくまどろむ。

 爽やかな風が頰を撫で、耳の奥では旧友の声がするような気がする。


 夢と現の狭間でうとうととしていると、ふいに御者から声をかけられて私は一気に現実に引き戻された。


「そろそろ到着しますよ。お客さん」

「っ、本当ですか⁈」


 私はパチリと目を開いて、既に少し空いていた馬車の窓を全開に開け放った。窓の縁から身を乗り出し、馬車の行先に目をやる。


「おぉー! お屋敷が見えてきたーっ!」


 道ゆく先にある、大きな大きなお屋敷を目に映す。格式高いバロック建築のお屋敷は、200年以上の歴史を誇るウィテカー伯爵家の持ち家であり、そこが私の目的地でもある。


 私の名前はエル。孤児だから性はない。


 0歳の時に孤児院に置いていかれたそうなので、両親の顔も名前も知らず、私にとっての家族は孤児院の友人や先生たちだけ。

 エルという名前は、孤児院の院長先生がつけてくれて、友人たちから何度も呼ばれてきた大切な名前だ。


 そんなど平民の私が、なぜ伯爵家を訪れることになったかというと……それは、伯爵家の養子になるためである。


 私は昔から魔法学校に通うことが夢だった。


 しかし、学校に入学するには保護者の許可が必要で、現在事情があって、、、、、、保護者がいない私は魔法学校に入学することができない。


 更に魔法学校は完全実力主義が謳われているが、貴族の力が強く、私を守るための後ろ盾はあった方がいいらしい。ということで、今回貴族であるウィテカー伯爵を紹介してもらったのだ。


 私には貴族のことはよく分からない。しかし、ちょうどお子さんを亡くされて跡取りとなる養子を探していたのがウィテカー伯爵だったらしく、魔力の高い私の養子入りが話に上がったのだ。


 というわけで、私はこれから伯爵家の養子になるため、初めての顔合わせに望むのである。


「う〜〜っ、緊張する〜〜っ! 厳しい人だったらどうしよ〜〜。というか、いじわるしてくる人だったらどうしよおおお。“あなたは我が家に相応しくない、出て行きなさい!”なんて言われたりしたら〜〜! でも魔法学校には通いたいし〜〜っ」


 私は「うんうん」唸りながら、頭を抱える。不安で不安で仕方がなくなっていると、ヒヒーンという馬の鳴き声と共に馬車が止まった。


「お客さん、着きましたよ」

「あ、ありがとうございます!」


 私は慌てて馬車から降りて、御者にお金を支払う。そして、私は不安な気持ちを抱えたまま伯爵家へと一歩踏み出したのだった。




 伯爵家で出迎え入れてくれたのは、獣人族の女性だった。


「初めまして、エル様。使用人のシエナと申します」


 艶やかな漆黒の髪を持つ彼女からは、ふさふさの狼の耳と尻尾が生えている。


 客人を前にしても無表情なシエナさんの黄金の瞳は切れ長で、目尻がつんと吊り上がっている。クールビューティーを体現したような人だと思った。


「旦那様と奥様が待っている部屋へとご案内しますので、ついてきて下さいませ」

「は、はひっ」


 緊張で噛んでしまった。


 顔を赤くしつつ彼女の後ろについて行く。ウィテカー伯爵家のお屋敷は広くて、なかなか目的地に辿り着かない。

 暇なので、歩くたびに揺れるシエナさんの尻尾を眺める。


 ふさふさの尻尾は、毛並みが揃っていて美しい。


 きっと触ってみたらモフモフしていて気持ちいいんだろうなぁ〜なんて、ちょっと変態的なことを考えていると、


「触りたいですか?」

「え⁈」


 唐突にそう話しかけられた。驚く私を見て、シエナさんは挑戦的に目を細める。


「いいですよ、触っても」

「いいんですか⁈」


 思わず勢いよく聞き返すと、彼女は一切顔色を変えずに頷いた。


「はい。その代わり私の質問に答えていただけますか?」

「え、答えます答えます! なんでも聞いてください!」


 私はよく考えずに何度も首を縦に振った。モフモフの誘惑には抗えないのだ。さっそくモフモフの尻尾に手を伸ばした、その時。


「なぜ、あなたは、恩賞で魔法学校に入学したいと願ったのですか?……《魔法兵器》様?」


 その名前に、伸ばしかけていた手が止まる。私は手を引っ込めて、へらっと笑った。


「あ、あはは。その名前をご存知でしたか……」


 魔法兵器。数ヶ月前まで私は確かにそう呼ばれていた。


 魔法を誰でも扱える魔族と違って、人間は一部の才能ある者しか使うことができないものだ。ゆえに戦争では人間側は誰でも扱える魔法兵器をいくつも創り出し、自由自在に魔法を操る魔族に対抗していた。


 私は色々、、あって魔法を使えるようになり、自ら選んで戦地を駆け回るようになった。12歳の時のことだ。


 無尽蔵な魔力を持つ私は戦地で重宝されたし、自ら創り上げた私にしか使えないオリジナル魔法は対魔族に効果的だった。必死に戦地を駆け回る中で、知らぬ間についていたあだ名が「魔法兵器」だった。


 私は戦地における切り札として正体を秘匿されていたので、公には年齢も名前も性別すら明かされていない。戦場では常に認識阻害魔法をかけており、戦いが終わったらすぐに別の戦いに駆けつけることもあった為、私の素顔を知る人は意外と少ない。

 ただ「魔法兵器」という名前だけが独り歩きしており、巷では「屈強な男性」だとか「老齢の魔女」だとか様々な憶測が飛び交っているらしい。


 そのため、シエナさんが私の正体を知っていることに驚いた。しかし、彼女は当然とばかりに頷いた。


「知っているに決まっています。あなたはこれから奥様と旦那様の娘になる方ですから、事情は聞かされております」

「そうなんですね」

「とはいえ、知っているのは信用できる一部の者のみですので、ご安心を。あなたが正体を隠したがっていることは了承済みです」

「ありがとうございます!」


 前に国王陛下に謁見した時、私は恩賞として何でも与えると言われた。そこで私はすかさず「正体を隠した上で、魔法学校に入学させて欲しい」ということを願った。

 戦地入りして以来、保護者のいない私は学校に入学することができないからだ。ちなみに、その願いを叶えるためにウィテカー伯爵を紹介してくれたのは、国王陛下である。国王陛下の気遣い、ありがたい。


 私がそんなことを考えていると、シエナさんがずいっとこちらに身を乗り出してきた。


「で、さっきの質問です。なぜ恩賞として魔法学校の入学を望まれたのですか?」

「そんなに気になりますか?」

「気になります。だって、あなたほど手柄を立てた人なら貴族位や領地、金銀財宝だって、何でも手に入れられたのに。わざわざ魔法学校に通いたいだけだなんて、なんて無欲なんですか」

「うーん」


 正直、地位にも名誉にも興味がない。私がやりたいことは、ただ一つ。


「私、学校という場所で青春を送りたいんですよ」

「青春を?」

「はい。私は孤児出身で、12歳からは戦地を駆け回っていたので、学校に通ったことがないんです」

「……っ!」


 シエナさんが息を呑む。


 私は柔らかく笑って、言葉を紡いだ。


「友達と一緒にバカみたいなことで笑って、授業だるいなぁって思いながら学んで、時には喧嘩とかしてモヤモヤしちゃったり、泣いちゃったり……私は、そんな当たり前の青春が送りたいんです。……で、あわよくば恋もできればいいな〜なんて。えへへ」

「そう、なんですね」


 シエナさんの言葉に私は力強く頷いた。そして。


「はい。そう書いてありましたから! 魔法学校には突然始まるロマンスやライバルから始まる素敵な友情、やがて芽生える愛の物語があると!」

「ん?」

「この! 魔法学校物語〜愛と友情とロマンスは突然に♡青春ワンダフルライフ〜 に!」

「は?」


 私は懐から一冊の本を取り出した。幼い頃からの愛読書で何度も何度も読み返しているため、表紙の角は削れていてボロボロになっている。孤児院でこの本を読んで以来、私は魔法学校に通うことに憧れていたのだ。


「悪役令嬢にいじめられていたら金髪碧眼の王子様に見染められちゃったり、幼なじみ騎士とすれ違いながら愛を育んだり、ライバル令嬢と海辺で殴り合いをして友情を深めたり〜」


 その本をシエナさんに見せつけると、彼女は残念なもを見る目で私を見つめた。


「出典そこなんですか。多分、それを参考にするのはやめた方がいい気がするのですが」

「いえ、絶対にこの本と同じような青春を実現させるんです!」

「……まあ、エル様がその気なら止める権利はありませんが……」


 シエナさんは「本と同じことは起きると思わない方が現実的なのですが、まあ、本人の夢を壊すのも忍びないですし……」と何かぶつぶつ呟いていた。


 そんなシエナさんに今度は私がずいっと身を乗り出す番だった。


「で、触らせてくれるんですよね? 尻尾!」

「もちろんいいですよ」

「わーい」


 さっそくシエナさんの尻尾に手を伸ばす。

 尻尾に触れた瞬間、ふわっと手が柔らかい感触に包まれた。撫でるたびに手がふさふさの毛並みに埋もれていく。気持ちいい。顔を埋めたいけど、流石に我慢。


「ふぁぁぁあ、最高です〜〜。ありがとうございます〜〜」

「それならよかったです」


 シエナさんは無表情のままだが、尻尾がぶんぶん左右に揺れているので、彼女も喜んでいるということが分かった。


 かなり打ち解けてきたところで、彼女は扉の前で立ち止まった。


「それでは、この中に旦那様と奥様がいらっしゃいますので」

「え、え、もうですか⁈ ちょっと不安なんですけど……っ」

「大丈夫です。お二人ともお優しいですよ」


 そう言われて、シエナさんに背中を押される。グイグイ押された上にシエナさんは私越しに扉を開けるから、部屋の中が見えてしまった。


 ええい、もう入るしかないと扉を開くと、そこには老齢の男性と女性がにこやかに微笑んでいた。顔にはしわが刻まれていてかなりご高齢なようで、優しそうな人達だ。


 私が緊張で固まっていると、男性の方が一歩前に出てきた。


「初めまして。エルさん。私はチャールズ・ウィテカーです。伯爵家の当主をやっております。こちらは妻のマリアです」

「エルさん、はじめまして。お会いできて嬉しいですよ」

「はっ、はじめまして! 私もお会いできて光栄ですっ!」


 勢いよく頭を下げた私に2人はクスクスと笑う。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。これから私たちは家族になるのですから」

「あの、本当に私が養子になってもよろしいのですか?」

「もちろん。息子が死んでから我が家は寂しくてね。あなたが来てくれて嬉しいんですよ」

「しかも戦地で活躍されていたのでしょう? 私、憧れちゃうわ」

「え、えへへ……」


 2人ともとてもいい人で、伯爵家に来るまでの不安は吹っ飛んだ。


「魔法学校へ通うなら寮生活になるから、普段はこの屋敷には帰ることはないでしょうが、私たちのことは本当の親だと思って下さいね」

「長期休みはもちろん、私たちはいつでもあなたの帰りを待っているわ」

「ありがとうございます!」


 私たちは握手を交わした。よかった。お二人とはいい関係が築けそうだ。


「ちなみに、エルさんの魔法学校に付いて行く従者なのですが」

「え、従者を付けてくださるのですか⁈」

「もちろんです。あなたはこれから伯爵家の娘なのですから。それ相応の待遇を約束しますよ」

「あ、ありがとうございます……っ!」

「それで肝心の従者ですが……そこにいるシエナがいたしますが、よろしいですか?」

「え!」

「改めまして、エル様の従者となります。シエナです。これからよろしくお願いしますね?」


 私はシエナさんの方にフラフラと近づく。


「いいんですか⁈ シエナさんなら嬉しいんですけど」

「……エル様。私はあなたに一つだけ嘘をつきました」

「え?」


 嘘、という言葉にドキッとする。少し不安になっていると、シエナさんは柔らかく笑った。彼女が見せる、初めての笑顔だ。


「初めまして、と最初に言いましたが、あなたと会うのは初めてじゃないんです」

「え?」

「3年前、私の住んでいた獣人族の村が魔族軍に襲われました」

「……」


 獣人族は魔族に虐げられてきた歴史を持つ。ゆえに戦争が始まった際には獣人族は人間側と同盟を結んだ。私自身も戦時中は戦地で獣人族の兵士と共に戦ったことがある。

 シエナさんは言葉を続ける。


「人里離れた私達の村は戦線からは離れていて、平和で穏やかな場所でした。それゆえに、魔族からの襲撃に対して何の準備もありませんでした。だから狙われたのでしょう……。村は略奪され、私以外の全員が殺されましたが、村の中でも一番若かった私は慰み者として連れ帰るために殺されませんでした。本当に怖くて抵抗も何も出来ない中……駆けつけてくれたのがあなたでした」

「わ、わたし……?」

「はい。認識阻害の魔法をかけていなかったのか、あなたの素顔が見えたので間違いありません。急いで駆けつけたからなのか、あなたは一人で戦い、その場にいた魔族を全滅させました。自分が怪我をすることも厭わず、血まみれになりながら戦うあなたは美しくて……これから地獄のような日々が待っているのだと絶望していた私を救ってくれたあなたは、私にとって神様のような人です。それ以来、いつかあなたに仕えるのが私の夢でした」


 彼女は少し嬉しそうに目を細めた。


「今、夢が叶いました」

「……!」

「私を救い、私の夢を叶えてくれたあなたの生活のお手伝いをさせて下さい。あなたの夢が魔法学校で平穏に過ごすことなのだとしたら、その夢を叶える手伝いを。私の人生は、私を救ってくれたあなたのものですから」


 シエナさんの言葉に胸を打たれる。私にとって、魔族に脅かされている人を助けるのは当たり前のことだった。だから、3年も前のことを覚えていて、こんな風に言ってくれるなんて……こんなに嬉しいことはないって思った。


「あの、シエナさん」

「シエナとお呼び下さい」

「し、シエナ……!」


 なんて言ったら、いいのかな。この胸の奥がぎゅっと温かくなるような気持ちを表わす言葉が見つからない。だから、言葉を紡ぐ代わりに、私は彼女の手を強く強く握った。


「これからよろしくね」

「はい。よろしくお願いします」


 こうして私はシエナと共に魔法学校に行くことになったのだった。

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