第33話 非業の魔王の帰還〈1〉

「助けて……」

「タすケ、て」

「タ、スケ、テ……」

 異形とも言える魔物たちの咆哮は鳴りやむことなく地響きのように洞窟内の空気を揺らし続けた。


 俺は必死に耳を押さえた。しかし、いくら強く拒んでもその声はとどまるどころか、その勢いを増した。俺の魂に向けて、じかに数百、数千、おびただしい数の声が押し寄せているかのようだった。


(やめろ、やめてくれ)

 その言葉は声にならず、ただ激しい呼吸の乱れとなってこぼれた。


 今にもその声の圧力によって、自分自身が内から破裂してしまいそうに思えた。やがて、それが内臓すら蝕んで、激しく迫り上がり、俺は膝をついて嗚咽し、とめどなく嘔吐した。周囲には吐瀉物が散らばり、口の周りに嫌らしくこびりつく。しかし、俺は、それを止めることができなかった。


「兄さん!」

 青白い顔のイーサが俺に駆け寄って、恢復魔術を用いたが、それもあまり効果をなさなかった。それでも彼女は続けた。

「ありがとう、イーサ。少し落ち着いた」

 俺は何とかそう言って、妹の手を止めた。


 前方を見定めると、彼ら──異形の魔物たちは、肉が裂け、血を流れてもなお、出口を目指し岩壁をよじ登っている。

「お兄ちゃま、……わらわ、全部ばらばらにするのだ?」

「待て、フェリム」

 俺は立ち上がったフェリムを制止した。


『──王国中の成人に近づいた子供たちが誘拐されるという事件が相次いでいます。これに王国中枢の人間が深く関与していると、ハイネは推察します。目的は恐らく勇者の召喚。……』


 ハイネの手紙。王国の情勢……


『勇者の召喚のために攫ってきた餓鬼どもの身体に、魔物の魂をごちゃ混ぜにして適当にぶち込んだんだとよ──』


 先ほどの魔族の言葉。


 俺は体の底から再び込み上げるものを必死に堪えながら、地面を力任せに叩いた。昂る感情と共に、左腕が疼くのを感じた。その間中も、俺の内側に響き渡る声は止まることを知らなかった。


「……さっきの魔族が言っていた言葉は真実だと思う」

「私もそう思います、兄さん」

「みゃあ」

 ダーリャも頷く。アイリッシュは不安そうな顔で俺たちと彼らとを交互に見つめる。

「イーサの魔法で、彼らを元の姿に戻してやることはできないか?」

「おそらく難しいと思います……魔物たちの魂が、その器にされた身体を深く飲み込んでしまっていると思います。もし私の魔力が完全な状態でも恐らくは……」

 彼女は悲しげな声で言って、自分の無力を嘆いた。俺は自分の浅慮を彼女に詫びた。


「お兄ちゃま。やっぱりわらわが……ばらばらって」

「頼む、待ってくれ、フェリム!」

 俺は思わず声を荒らげた。


(考えろ、考えるんだ。)


 すると一体の魔物が、他の魔物を踏み台に勢いよく飛び上がった。俺は驚いて尻餅をつく。そいつは涎の滴る歯茎を剥き出しにして俺にのしかかった。激しく放たれる臭気が鼻をついた。必死に抵抗する俺の両腕に鋭い爪が深々と食い込み、血が溢れ出して、激痛が走った。痛みは、叫びとなってこぼれた。


 みなが、俺にまたがる魔物に一斉に敵意を向ける。

「待て、待ってくれ……!」

 俺は声を振り絞って言う。

「あと少し、少しだけ、待ってくれ……」


 俺には目の前のこいつが、どんな姿をしていても、涙を流しているのがわかった。どうしてかはわからない。でも、悲痛な嘆きと、溢れんばかりの涙が、その魂から溢れている。その涙の一粒が、俺の頬へと、いや、荒れる呼気の行き着く先、この胸の奥の一番深いところにある何かに向けてゆっくりと滴り落ちた。それは、焼けるように熱く、俺の魂を濡らした。


 意識が遠のいて、俺の視界は途端に暗くなる。


❇︎


 俺は気を失ってしまったのだろうか? 真っ暗な空間が広がる。ここはどこなのだろう? 暗闇に反響するように、ひとつの声だけが響いている。思わず、耳を塞いでしまいたくなる。何度も、何度も、何度も、繰り返すように、同じ言葉だけが響く。


「助けて……」


(少年の声だ。泣いているのか? 俺はこの声に聞き覚えがない……だけど、どこか懐かしくも思える)


 俺は暗闇を、声のする方へと進む。すると奥の方で、暗がりから、突然、明るみが滲み出ている場所が見える。声はそこから聞こえている。俺は警戒しつつ、ゆっくりと歩みを進める。


 そこは、日だまりだった。やわらかな日が落ちて、一面には黄色い花が咲いている。爽やかな風が吹いて、俺の髪を揺らした。少年が一人、その中央で膝を抱えてうずくまり、しくしくと啜り泣いていた。


「……大丈夫か?」

 俺は咄嗟に駆け寄って、声をかける。


 すると少年はゆっくりと顔を上げた。歳は俺と同じくらいに見えた。目元に涙の跡がくっきりと残り、頭には拙いが、可愛らしい花冠をのせていた。その顔には懐かしい面影あった。やはり、どこか見覚えがある。その面影を見ていると、胸の奥に、焼け付くような痛みが走った。

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