僕と月ノ瀬の怪異録
及川稜夏
超常少女と飛来物
朽葉学院中等部二年A組。
中途半端に消した黒板に光が反射し、舞ったチョークの粉が教室の埃っぽさを強めていた。
昼だが、半日で帰りだったために教室の人影はまばらで、窓から差し込む陽の光は弱く薄暗い。少し遠くを見れば、散りかけの桜が見える。
僕はちょうど、日直の仕事で教室に残っていた。出席番号が早いといいことがない。帰ってゲームがしたいくらいだ。そのとき、近くの雑談が耳に入ってきた。
「冴ちゃんって噂多いよな」
「当たり前だよ。アイツの家、相当な超常現象マニアらしいし」
「やべーじゃん。でもモデルみたいな美人らしいだろ」
学ランを着た、目の前の男子二人組。片方は黒髪で眼鏡をかけた生真面目そうな顔をしているほうが、ヘラヘラとしたもう一人に眉をひそめる。名前は確か雪村と立花だったはず。彼らは教卓前の机で話し合っている。
思わず黒板を消す手が止まる。さえちゃん、あたりまえ、ちょうじょう。初めて聞いた言葉の羅列。いや、確か一週間ほど休み続け、未だ一度も見かけたことのない生徒の名前は確か……。
二人に声をかけずにはいられなかった。
「超常現象? 面白そうじゃん」
「お、涼介も興味ある?」
立花が明るい声色で誘ってくる。雪村は落ち着いた声でこれまでの話をまとめてくれたが、言葉の端に興奮を隠し切れていなかった。
「今、月ノ瀬さんの話しててさ、お前知ってる?」
それが月ノ瀬冴という人物について初めて知った瞬間だった。根も葉もなさそうな噂話。けれどあの出来事に繋がるとは、この時の僕は思いもしなかった。
♦︎
ゴールデンウィークが終わってから、登校初日。朝の会が始まるよりまだ20分ほど早い時間。教室に人が集まりかけ、人によっては旅行の土産を配り始める。
今日も今日とて僕、五十井涼介は月ノ瀬に声をかけていた。
彼女は、僕が立花や雪村から噂を聞いた数日後から登校している。月ノ瀬を見かけるたびに話しかけるのがすっかり僕の日課になっていた。
席は窓際の最後列。日差しが苦手なのか、常に月ノ瀬の横の窓にはカーテンが閉められている。
「月ノ瀬、今日は朝からいるんだな。珍しーじゃん」
「生憎、無駄に話さない主義なの、わかっているでしょう。五十井くん、要件は?」
冷たく感情の乗らない声。月ノ瀬はこちらを向く。
「月ノ瀬、『超常現象マニア』なんだろ?」
要件など、決まりきっている。
「もちろん、超常現象につい……」
消しゴムが勢いよく僕の顔をめがけて飛んできた。全然関係ない空いた机からだ。またなのか。
当の本人、月ノ瀬は淡々と教科書を揃えながら、呆れたような顔で答えた。
「却下」
♦︎
数日後、僕はあの話を振ってみる。
「なあ、月ノ瀬。最近やたら物が飛んでくる気がするんだけど」
「そう」
けれど、予想と反していつもと変わらない反応だ。
朽葉学院の制服をモデルのように着こなした彼女は、僕に一瞬だけ見透かすような目を向けては、メモ帳に何か書き付ける作業に戻ってしまう。
『超常現象マニア』とまで噂されているから、話に飛びついてくるかと思ったけど。
「だんだん飛んでくる物がデカくなってる気がするんだよ。最初は小石だったってのに、さっきなんて箒だ」
「そのうち五十井くん、車にでも轢かれるんじゃない?」
その言葉まで淡々としてなくてもいいと思うのだけど、本当に興味がないのだろうか。それとも彼女なりの冗談なのか?
時計を見れば、あと数分でチャイムが鳴りそうだ。このまま続けても、どうしようもないかもしれない。
「悪かったよ」
僕が立ち去ろうとした時、後ろから問い詰めるような声がかかる。
「あなたは、私に何を求めているの?」
その時、チラリとメモ帳が見えた。そこに書かれていたのはどれも、僕の相談していた内容である。
「お前、この前却下って言ったじゃん」
「あんな言い方されたら、本気の要件だなんて思わないわ」
月ノ瀬は悪びれもせずに言う。
「五十井くんに消しゴムが飛んできたのは確かに見たけれど」
見てたのかよ。
「……月ノ瀬なら、原因とかわかるんじゃねーかなって」
月ノ瀬はしばらく考える素振りを見せた。そして口を開く。
「そうね、あなたは知らなくていい。あと数日もすれば飽きて止めるはずよ」
「えっ。 はぁ?」
いつになく真剣な声色の彼女は切長の目を向けた。僕の位置より少し離れたところに、子供でも立っているかのように。
聞き返すのを遮るみたいに、始業のチャイムが鳴り響く。
数日後、消しゴムも箒も、まして車も飛んでくることは無くなった。
この時からすでに、僕の運命は決まっていたのかもしれない。
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