32、真夜中の鏡実験と、寮母の反撃
作戦会議を終えた僕たちは、早速行動に移った。
消灯時間前とはいえ、夕食後は楽器の練習が禁じられた時間帯だ。僕は音を立てないように注意して、椅子を移動した。クローゼット横の壁にかけてある姿見の前へ持って行き、椅子に登る。背伸びして、鏡の上部をのぞきこんだ。
「やっぱり壁に打ち付けた杭にかけてあるんだ」
「取り外せそう? 私、下から支えているわ」
「やってみる」
僕は重い鏡を持ち上げて、壁の杭から金具を慎重に外した。
上階の談話室から時折聞こえていた少女たちの笑い声も、いつの間にか聞こえなくなっている。
鐘楼から鐘の音が響き、消灯時間となった。
静かに扉をひらき、ネグリジェ姿のリタが灯りも持たずに廊下へ出る。窓から差し込む月光が、長い廊下に整列する物言わぬ扉たちを照らしていた。
廊下の隅に立つリタの白いネグリジェが、青白い月明かりに浮かび上がる。
僕は大きな姿見を両手で支え、室内の定位置に着いた。
息をひそめてしばらく待つと、今夜も暗闇の中、足音が近づいてきた。
部屋の中で待機する僕の方を向いて、リタが小さくうなずく。サイドテーブルのランプはついたまま。ドアも開け放っているから、僕たちの部屋から廊下へと、ぼんやり黄色い灯りが漏れている。
「一体そこで何をしている?」
廊下から、寮母のしわがれ声が聞こえた。僕の位置からその姿は見えないが、彼女が持っているであろうカンテラの灯りが、廊下の床に黒々とした文様を描く。
「部屋に大きなムカデが出たんです」
リタが両手で自分の腕を抱きながら答えた。
「ムカデだって?」
「ゲジゲジかも。私、見分けがつかなくて―― でもムカデだったら毒を持っているでしょう? シニョーラ・カーザ、見てくださらない?」
「まったく」
不承不承、リタの頼みを聞き入れた寮母の足音が間近に迫る。姿見を支える僕の手のひらに、汗がにじみ出たとき、カンテラの光と共に、寮母が部屋の前に立った。
鏡のうしろにいる僕には、寮母が映っているのかいないのか、分からない。
だが、寮母の肩越しにのぞいたリタが、ひっと声を上げた。
「本当に、映っていない――」
カンテラの灯りの中、愕然として口元を押さえるリタの姿が浮かび上がった。
「何を馬鹿なことを!」
寮母はカンテラを投げ捨て、廊下へと逃げ出した。
「暗くて映らなかっただけじゃないか! あたしの目にはお前さんの姿も、鏡ん中にゃあ見えなかったがね!」
物音と怒鳴り声で目を覚ました隣室の生徒が、扉を開けて顔を出す。
寮母はカンテラも持たずに階段の方へと逃げ去った。
「とっととお休み! 本当に人間のガキってなぁつまんないいたずらをして嫌だねえ!」
カンテラを部屋に持ち帰った僕とリタは、薄闇の中でうなずきあった。
「明日、ルッチ楽長に報告しよう」
だが翌朝、さっそく寮母の反撃が始まった。
朝食時、食堂に集まった僕たち全生徒の前に、いつもは姿を現さない寮母が立った。
「清らかな乙女である皆さんに、今日は悲しい報告をしなければなりません」
寮母がしおらしい演技をする。
「昨夜、騒ぐ声を聞いた人もいるでしょう。私たちの仲間だと信じていたリタ・フィアンマとノエル・クローチェは、口にすることも
「ええっ!?」
僕は思わず声を上げた。
周囲から冷たい視線を浴びるかと思いきや――
「口にすることも
「きっと乙女にしか分からない秘密の関係よ!」
「あらやだっ、リタさんとノエルさんてば、ふ・し・だ・ら!」
食堂中に少女たちの黄色い声が飛び交う。
なんだこれ!?
だが、あっけにとられたのは僕だけではない。寮母もあんぐりと口を開けている。
「美少女同士だからお似合いよねえ」
「わ、私っ、うらやましいですぅ」
「アリーチェちゃんたら大胆!」
我に返った寮母がパンパンと手を打ち鳴らした。
「静粛に!」
しつけのよい少女たちは、ちゃんと口を閉じて寮母の方へ向き直った。
「リタ・フィアンマとノエル・クローチェは、懲罰室行きにしたいと思います。朝食が終わり次第、連れて行きますからね」
ルッチ楽長に報告させまいという作戦か!?
しかしすぐにリタが右手を挙げ、許可も得ずに、すっくと立ち上がった。
「お言葉ですが、シニョーラ・カーザ。寮母にそんな権限はないわ。寮則をご存知ない?」
ぎりりと歯嚙みする寮母に、さらに畳みかける。
「生徒を懲罰室に送る場合、本来は理事会の許可を取るべきです。しかし急を要するなら、私の担当教官であるシスター・アガタと、ルッチ楽長のサインが必要です」
理路整然としたリタの発言に、おおー、と感嘆のどよめきが起こった。
「くっ」
悔しそうに顔をゆがめた寮母は、三年生の机の最前列に向き直った。
「チェステ・チェスティ、あなたはどう思いますか? 寮内は自治が認められている。生徒会長として責任ある意見を」
ちっちゃな生徒会長の姿は見えない。だが彼女はすぐに椅子の上に立ちあがった。
「ノエルとリタ、
いまだ立ったままのリタと、その隣に座る僕へ問いかける。
「えっとぉ――」
うわずった僕の声をかき消して、
「ふしだらな関係なんかじゃないわ」
リタが言い切った。少しだけ腰をかがめ、僕を立たせると、
「私は純粋に、ノエルを愛してる」
言うなり僕の頬に唇で触れた。
食堂の皆が息を呑み、そこかしこで声にならない悲鳴が漏れる。
「愛に性別は関係ないわ」
皆を見回し、堂々と宣言した。
途端に、食堂中が蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
「キャー! 素敵!!」
「さすがリタさんだわ!」
「やっぱり秀才! 私だって思っていたのよ、愛は魂の結びつきだって!」
どうやら秘密の恋慕を抱く女子生徒が相当数、存在していたらしい。リタの言葉は彼女たちを肯定し、勇気づけたのだろう。
生徒会長は椅子の上で頭を抱えている。
僕の斜め向かいで、アリーチェは真っ赤になって気絶しかけていた。
「私も…… ノエルさんの頬にキス、してみたいですぅ――」
小さなつぶやきが聞こえて、僕の胸もつい高鳴ってしまう。
一向に収まらない騒ぎの中、
「静かになさい!」
寮母は金切り声を上げた。
「寮全体の風紀を乱します!」
生徒会長は盛大な溜め息を吐いたあとで、
「多数決を取るじょ!」
と宣言した。
「二人を懲罰室送りにちゅべきだと考える者は挙手を」
食堂内は再び、水を打ったように静まり返った。誰も手を挙げないことを確認してから、生徒会長は再び口を開いた。
「二人を許しても構わない者は拍手を」
いの一番に手を叩いたのは、なんとリタ自身だった。すぐにアリーチェが続き、誰もが拍手をする。
「お二人さん、おめでとう!」
「末永くお幸せにね!」
「応援しているわ!」
なぜか口々に祝福の言葉をかけてくれる女子生徒たちの間を縫って、寮母はこっそりと食堂から去っていった。
僕たちは愛の力で寮母の反撃を
─ * ─
次回からは第四幕。いよいよ敵の全貌が明らかに!
ノエルは戦いに勝利できるのか!?
第三幕もお読みいただき、ありがとうございました!
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