03、極秘任務には女装が必須!?

「任務の詳細を教えてください」


 僕はなんとか声を絞り出した。


 満足そうにうなずいたサルヴァティーニ隊長が、執務机の上に身を乗り出す。


「学園理事会の報告によると、眠りについた少女たちは、何日も何か月も目を覚まさないという。だがその肌はみずみずしさを保ったまま、肉体が衰えることはない」


 だから怪事件なのか。


「魔獣か何かが関わっている可能性が高いということですね?」


 僕の質問に、聖騎士隊長は重々しくうなずいた。


「最初のうちは、聖女学園に医師が派遣された。だが彼らには解決できぬ問題だと分かっただけだ」


「そこで聖騎士隊の出番だと」


「うむ。昏睡する聖女は皆、スペリオーレと呼ばれる最上級クラスに所属している。ノエル、お前はノエル・クローチェと偽名を名乗り、最上級クラスに入学するのだ」


 首を縦に振ったあとで、僕はハッとした。


「確か聖女たちは聖楽器を演奏して、美しい音楽を捧げることで聖獣を召喚するのではありませんか?」


 城壁に守られた聖王都では、魔獣が街の中に現れることはめったにない。でも故郷の村では、悪天候が続いて皆の気持ちがすさんでくると、海から魔獣が出現することもあった。教会所属の聖女様が聖なる横笛を吹いて聖獣を召喚し、魔獣を撃退するのを見たことがある。


「でも僕に楽器演奏の技術なんて――」


「ああ、そこは心配していない」


 隊長は僕の言葉を制して手のひらを向けた。


「君を推薦した者が――」


 だが隊長が皆まで言い終わる前に、ノックの音が響いた。


「サルヴァティーニ殿、私です」


「ああ、入ってくれ」


 隊長の声に応えるように扉が開く。執務室に入って来たのは、赤い髪をした四十過ぎの男だった。服装から聖職者と分かる。


「新入生の受け入れ準備が整いました」


 彼の声を聞いた瞬間、僕はドキッとした。この人、確か――


 僕が気付くと同時に、隊長が赤い髪の聖職者を紹介した。


「彼はアントーニオ・ルッチ氏だ。五年ほど前からマントゥス公国で宮廷楽長をしていたが、去年、聖女学園理事会が呼び戻した作曲家にしてマルチプレイヤーだ」


 隊長の紹介に、ルッチ氏は軽い調子でひらひらと片手を振る。隊長は構わず、真面目な口調で続けた。


「ルッチ氏は聖女学園の音楽関係を総括する、マエストロ・ディ・コンチェルトの役職を務めていらっしゃる」


 ルッチ氏は僕に近づき、右手を差し出した。


「十年以上前になるけれど、聖女学園で講師をしていたことがあってね。去年、マエストロ・ディ・コンチェルトとして古巣に戻って来たってわけさ。気安く楽長と呼んでくれたまえ」


 楽長の大きな手を握り返しながら、僕は一生懸命笑顔を作ろうと努めた。だが、心の水面みなもが波打つのを止められない。


 マエストロ・ルッチ――よく知っている。少し髪が薄くなったけれど、僕が王都聖歌隊に入ったころに指導者だった男だ。聖歌隊の先輩から聞いた記憶がよみがえる。マエストロは元聖女学園の講師だったが、その才能ゆえに聖歌隊指導者に抜擢されたのだと。


 マエストロ・ルッチがどうか僕を忘れていますように! あのころの輝いていた自分と、今の落ちぶれた姿を比較されると思うと、口の中に苦いものがあふれ出す。


 ルッチ楽長は僕に背を向け、聖騎士隊長に向き直った。


「ではサルヴァティーニ殿、ノエルくんをお預かりしてよろしいですかな?」


「もちろんだとも。打ち合わせ通り、厳しく訓練してやってくれ」


 なるほど、と僕は納得した。これからルッチ楽長に音楽を学び、猛特訓され、なんとか聖女学園に入れるレベルまで引き上げられるってわけか。


 執務室を出た僕は、ルッチ楽長のうしろについて廊下を歩きながら、こっそり溜め息をついた。歌から逃げて聖騎士隊に入ったのに、結局僕は音楽からのがれられないのか。


 聖騎士見習いになれたのも、サルヴァティーニ隊長が過去の僕を覚えていたからか?


 五年前、聖王猊下の前で御前演奏を披露した日、演奏後のパーティーで確かにサルヴァティーニ隊長に会っている。隊長は音楽に興味はなさそうだし、ボーイソプラノの世界なんて移り変わりが激しいから、僕のことなど覚えていないと思っていたんだけどなあ。


「さあ、入って」


 物思いにふけっていたら、応接間の前まで来ていた。


 ルッチ楽長に従って応接間に入った僕は、思わず部屋の中を見回した。楽器がない。音楽の特訓をするんじゃないの?


 扉を閉めた楽長はすぐに、部屋の隅に置かれた大きなトランクを開けた。


 中から出てきたのはヴァイオリンでもフルートでもない。


 楽長の肩越しに見えたのは、レースの襟がかわいらしい絹のブラウスに、水色のスカーフ。そして同じ色の――プリーツスカート!?


「わっ、ルッチ楽長、女装するんですか!?」


「なんで俺が?」


 楽長が怪訝そうに僕を振り返った。サルヴァティーニ隊長の前では「私」と言っていたのに、口調が急にぞんざいになった。


「これはお前が着んだよ、ノエル」


「ひえぇ」


 僕は扉に向かってあとずさった。


「おっと、逃げるなよ」


 背の高い楽長が大股に近づいてきて、僕の頭上の壁にドンと腕を置いた。


「聖女学園の制服さ。かわいいだろう? ノエルなら間違いなく似合うね」


 自信たっぷりにウインクして見せた。


「いやいやいや」


 僕はぶんぶんと両手を振ったが、楽長は構わず僕に制服を押し付けた。


「着替えてくれたまえ」


 顎で隣室に続く小さな扉を示す。応接間の次の間として作られた控室を、更衣室がわりに使えということらしい。


「サイズは聖騎士見習いの制服に合わせたんだが、入学前に確認しないとな」


 新品の制服を胸に抱いたまま固まっていると、ルッチ楽長は部屋の隅から大きな姿見を持ってきた。


「どうした? 見習い聖騎士のままでは任務を遂行できないぞ?」


 そんなことは分かっている。沈黙する僕に、


「サルヴァティーニ隊長から聞いたと思うが」


 楽長はさらに言葉を重ねた。


「学園には厄介な結界魔法が張ってあってな。若い男子が近づくと、蔓性つるせい植物が足元から伸びてきて、毒を持った花がパクっと股間のものを――」


「ぎゃーっ、着替えますっっ」


 僕は幻の痛みに飛び上がって、応接間の奥にある更衣室へと駆け込んだ。




─ * ─




次回、ノエルくんが女の子になります!

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