第三章 第二節 蜃気楼は歪む
挿絵 3-2
https://kakuyomu.jp/users/unskillful/news/16818622177259552747
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“正午を回りました。ここからはお昼のニュースです。小倉での空間崩壊から2か月が過ぎようとしています。
依然として増える、Λ粒子高濃度汚染者の隔離政策をめぐり、各地で抗議デモが続いています。
家族や知人の所在が確認できないまま、一切の連絡が絶たれたケースも多く、不安と批判の声が高まっています。“
「高濃度汚染者を解放しろー!」
「解放しろー!!」
「軍の横暴を許すな―!」
「許すな―!!」
今日もハンドスピーカーの叫び声が聞こえる。
「さすがにこう毎日だと、嫌になっちゃいますね」
「…うん」
本を読みながら、ミナモに小さく返事をする。
「ね、カナタちゃんもそう思うよね?」
「え…。まあ、…はい」
「ねー」
抗議の声がうるさいのか、気温が高くなってきたせいか、
ミナモはちょっと不機嫌そうだ。
柳原さんは、背の高さとは裏腹に、大人しくて口数が少ない。
繊細さんなのかもしれない。
「収容施設は、この基地から離れてるのに、何で此処でやるんですかね?」
「ここだけじゃない。あっちこっちでやってんだろう」
橘先輩が新聞をパラっとめくりながらミナモに返す。
「そういうことじゃなく、ですね。軍には私たちみたいな高濃度汚染者がいるって、みんなわかってやってるんですか?」
「どうだかな。適合者の情報は、メディアでもほとんど報道されないからな」
「だから言ってるんです! なんで此処でやってるのかって! 崩壊した小倉からも遠いじゃないですか!」
ミナモの大きな声に、うんざりしたように橘先輩が溜息を吐く。
「はあ…。汚染者の隔離に駆り出されるのは軍の連中だ。基地に抗議もしたくなる」
「それじゃあ、まるで八つ当たりじゃないですか」
「そうかもな。小倉以降、北九州から関西全域で、反隔離政策のデモが連鎖的に広がっている。誰が先導していやがるか知らねえがな」
「は~」
ミナモが大きい溜息を吐く。
隣で聞いていた柳原さんは、居心地が悪そうにモジモジとしている。
「柳原さん、よかったら食堂で休憩しない?」
「あ、はい」
「あー、ハルカちゃん! 私も行くー!」
「うん」
「…河嶋。補給された装備の確認は終わったのか」
食堂へ移動しようとした私たちに、水野先輩が釘をさす。
「あー、いや~。後でもいいですか?」
「だめだ」
「くぅ~ん…」
肩を落として力なくうなだれるミナモ。
「あ…。じゃあ、後でね」
小さく手を振って、柳原さんと警戒室を出た。
お昼時の食堂は混み合っている。
定食のトレーを持ちながら、きょろきょろとうろつき、窓際の端に並んだ席を確保する。
「この時間は混むね」
「はい」
「そういえば。柳原さん、お歳は?」
「17です」
「ああ、ミナモと同い年だね」
「はい。有瀬さんは一学年上ですよね」
一学年という言葉の慣れなさから、少し戸惑った。
社会から隔離された時間のほうが、それ以前よりも長いのだから。
私はこの生活に馴染んでしまっているのかもしれない。
“家族を返せー”
“返せー”
遠くから聞こえる抗議の声。
「有瀬さんは…。家族と離れて、寂しくないですか?」
「……。多分みんな死んじゃったと思うから」
「あ…。ごめんなさい。そんなつもりじゃ…」
「んーん。この話も慣れっこ。柳原さんは?」
「私は、家族で私だけが汚染されちゃって…。両親も、弟も、みんなで引き留めてくれたんですけど…。4年以上前のことです」
「…。そう」
「なんか…、あの人たちの言ってること、他人事じゃないなって、思ってしまって」
「……。うん、そうだね」
窓の外を見つめる柳原さん。
どこか悲しそうだ。
窓の外からの、たくさんの抗議の声。
きっと柳原さんには、私よりも、ずっと大きく聞こえているんだろう。
日は沈み、夜も更けてくる。
橘先輩はいつものように、新聞を頭にのせ、寝ているようだ。
交代で来た葉山先輩は、ソファーで仰向けに寝ている。
端っこの方で、大きな体を縮こませて、こじんまりとしている柳原さん。
“続いてのニュースです。各地で広がる、Λ粒子高濃度汚染者の隔離政策を訴えるデモ活動が、勢いを増しています。現地の映像です。
―。はい。娘と何年も連絡が取れていません。どこにいるかも教えてもらえなくて― “
柳原さんが、ハッとしたようにモニターを見つめる。
モニターに写る、涙を流す女性。
別の映像に変わっても、長い時間、何も言わず見つめ続けていた。
「……柳原さん?」
「あ…、はい」
「大丈夫?」
「はい…。すいません、仮眠の時間ですよね」
「うん」
「行ってきますね…」
とぼとぼと、隣の仮眠室に入っていく。
お昼間よりも、一段と元気がない。
柳原さんにとっては、今の自分が置かれた状況より、
家族のことで頭がいっぱいなのかもしれない。
暗い夜。私は一人、真っ黒な窓を見つめる。
「すぅー、はー。すぅー、はー」
明け方の刺すような眩しい光が、トレーニング室に差し込む。
昨日の柳原さん。モニターを一心に見つめる様子。どこか気になる。
「すぅー」
ゆっくりと胸を開きながら、力を緩めていく。
バタフライマシンの錘が、ガチンと音を鳴らす。
「汚染者の隔離をやめろー!」
「家族を返せー!」
カチャ。
警戒室の橘先輩と葉山先輩は、起きる様子もない。
柳原さんの姿がない。まだ仮眠室かもしれない。
時計の針は9時を指す。
「家族を返せー!!」
「返せー!!」
「お前たちが家族を連れ去ったんだろ!!」
「返せよ!家族を!!」
窓の外の叫びが、一段と大きくなるのが気になる。
何かあったのかと外を見る。
柳原さんが、デモの人達が集まるフェンスに近づいていくのが見える。
「あ…、柳原さん…?」
心配になって、私は速足で警戒室を出る。
「おい! なんだよ!」
「声を上げるのは自由だろ! 軍は権利に抗議するのか!」
「お前ら軍人のせいで、家族が離された人がいるんだぞ!」
「人権を無視した、隔離政策を許すな!」
フェンスの前で柳原さんが立ち止まる。
「文句あんのか!! おい!」
「誘拐犯!!」
「返せ!! この人でなし!!!」
沢山の人達の視線を浴びて、うつむいたままの柳原さん。
ぎゅっと拳が握られている。
「……………私、も! 私も…。みなさんの言う、高濃度汚染者です…」
ざわつくデモの人達。
先ほどまでの一体感は消え、混乱しているように見える。
「私も母と引き離されました! かぐや姫を倒す訓練を受けるために!」
「え…、どういうこと?」「こんな子供が…」
ざわつきは一層強まる。
一人の女性が、集団の前に出て、フェンスを挟んで柳原さんの前に立つ。
「あなた…。適合者ですね?」
サングラスをかけた、長い黒い髪の女性。
柳原さんがコクンと頷く。
「何か…、言いたいことがあるのではないですか?」
「はい…。皆さんの中に、柳原という人を知っている人はいますか? 高槻の柳原という人です…」
「…。ごめんなさい。私は知りません。その方がなにか―」
「ちょっと、そこ! 何をしてる!」
警邏の人が駆けてくる。
その様子をみて、私も駆け寄る。
「柳原さん!」
柳原さんはオロオロとしている。
警邏の人が間に割って入り、黒い髪の女性を睨む。
「柳原さん! 大丈夫?!」
「下がりなさい!」
警邏の人に押されるようにして、後ずさりする柳原さんの肩を受け止める。
肩がふるふると小刻みに震えている。
表情は若干青ざめたような顔。
柳原さんをデモの人たちから隠すように、
速足で警戒室の方へと誘導する。
フェンス越しに私たちを見つめる、黒い髪の女性。
「適合者…。柳原…ね」
アスファルトの照り返しがきつい。
陽炎がゆらゆらと揺れていた。
「面倒を起こしてくれるな…」
二藤陸佐の部屋。
橘先輩が気だるそうにして、ソファーに座っている。
柳原さんと私は、気を付けの姿勢で並んで立つ。
二藤陸佐は立って、窓の外を眺めている。
「何をしていたんだね?」
「…。あの」
「…」
「家族が…。心配で…。誰か知っている人がいないかと…」
うつむきながら話す、柳原さん。
二藤陸佐の眉間に皺が入ったように見える。
「…そうか」
二藤陸佐が橘先輩の方を向く。
「待機に戻りなさい。…部下のケアは任せるぞ」
橘先輩が片手を上げて、のっそりと部屋を出ていく。
私たちも陸佐に会釈をして、そそくさと部屋を後にした。
「あ、あの…。橘先輩。その…柳原さんは…」
「…気にするな」
いつも通りの橘先輩。
柳原さんはずっとうつむいたまま、私たちについてくる。
次の日。
昨日までの騒ぎはなかったかのように、人影が見えなくなった。
「なんだか急に静かになりましたね」
ミナモが不思議そうに窓の外を見ている。
「ん…。あ、おい、これ」
「どうしたんですか?」
葉山先輩が小さいタブレットで映像を見ている。
ミナモも葉山先輩の頭を、どけるように覗き込む。
「え、これ…。カナタちゃん!!」
「はい、なんでしょうか?」
柳原さんも控えめに、二人のうしろからタブレットを除く。
“私も…。みなさんの言う、高濃度汚染者です…”
“私も母と引き離されました! かぐや姫を倒す訓練を受けるために!”
“皆さんの中に、柳原という人を知っている人はいますか?”
“下がりなさい!”
昨日の柳原さんが遠めに映る動画。
かぐや姫狩りに子供を使う!鬼畜な軍の実情!!柳原って誰!?
動画にはこうタイトルがつけられている。
バッと口元を押さえる柳原さん。
私の心臓もバクバクと鳴る。
橘先輩は、何も言わず窓の外を見ていた。
“隔離された子供使ってるってホントなん?”
“人でなしとしか”
“前から言われてた。今更だろ”
“メディアはなぜ報道しない”
“これ役者使っただろ”
“そんな訳がない、反政の工作員やめろ”
“デモする暴徒共の前で名前出すとか頭おかしいんか”
柳原さんが映る動画は、1万回以上が再生されている。
コメント欄には、色んなことが書き込まれているようだ。
「んーなんだかな」
「なんか、腹立ってきました。葉山先輩、ガツンと言ってやってください!」
「あのなー、できねーの。俺らの端末は制限かかってんだから」
「なら上に、直談判に行きましょう! 制限解除要求です!」
「そんなもんできたら、苦労しねーわ」
葉山先輩とミナモが、コメント欄を見ながらぼやく。
柳原さんは手で顔を覆って、端っこでうずくまっている。
私は何も言えずに、柳原さんの背中を撫でるしかなった。
「…あの、…失礼します」
力なく立ち上がって、出ていこうとする柳原さん。
「どこへ行く?」
「…。休憩…。してきます」
「だめだ。まだ交代じゃない。お前の持ち場はここだ」
橘先輩が目もくれずに注意し、
柳原さんは一層暗い表情で、端のほうにうずくまった。
夕方になっても動かない柳原さん。
あの時の必死な叫び。
それが話題の種として扱われている。
様々な人が、思い思いに意見を投げ合う。
そのどれもが、彼女の思いと違うことだけはわかる。
コポポポポポ。
橘先輩が、ポットから急須にお湯を入れる。
「この季節は、昼は暑いが、夜は冷えてくる」
橘先輩が小さな椀を取り出し、お茶を入れ、
私に差し出した。
「ありがとうございます」
柳原さんにも椀を渡す。
「…。ありがとう…ございます」
熱いお椀から湯気が昇る。
「…今回の件。私は…処罰されますか」
「…。気にするだけ無駄だ」
そういって、橘先輩がずずっとお茶をすする。
「柳原、昼間には、窓の外をよく見ておくといい」
「…?」
「…日に日に、緑が生い茂る。季節の移り変わりを見ておけ」
暗い窓の外を見ながら、またお茶をすする。
柳原さんは何も言わず、同じ窓を見つめていた。
カチカチと時計の針が進む。
柳原さんは、疲れが溜まっていたのか、
端の椅子に座ったまま、頭を垂れて寝ている。
私は私物のブランケットを取り出して、彼女の肩にかけ、
また本を読む。
「おはようございます!」
「…。おはよう…ミナモ」
「あ…、ミナモちゃん…? おはよう…」
ミナモが元気に入ってくる。
すこしウトウトとしながら、ミナモに返事をする。
柳原さんがボケーっとしながら立ち上がり、
コポコポとコーヒーを入れる。
「あ、ありがとう!」
「ありがとう。もらうね」
ミナモと私へ熱いブラックコーヒーを手渡してくれる。
「…どうぞ」
「…ああ」
橘先輩は新聞を読みながら、軽く返事をする。
窓の外は人が行きかい、一日が動き出す。
「カナターーーーー!」
ビクっする柳原さん。
窓の外、遠いフェンスの向こうで、叫ぶ女性の声。
柳原さんは窓の外を見ながら、少し固まったかと思えば、
駆け出していく。
「カナタちゃん!?」
私とミナモは、後を追う。
「カナタ――――!!」
「お母さん! お父さん!」
「カナタ!!!」
フェンスの向こうには、女性と男性が立っている。
網の隙間から指と入れて、柳原さんと繋ぐ。
「カナタ!!」
「はあ、はあ、はあ、会いたかった!! お母さん!」
「よかった! カナタ! よかった!」
柳原さんの荒い息遣い。
お母さんが涙を流す。
感極まったのか、柳原さんも泣いている。
「ここで何をしてるの? 汚染の治療? そうよね?」
柳原さんは、ぴくりと肩を震わせる。
小刻みに肩を上下させ、呼吸を整える。
「…。う、うん」
「元気そうだし、順調なのよね?」
「…」
「そうよね!? どうなの!?」
「お、お母さん、私―」
「おい! 下がりなさい!」
警邏の人が走ってくる。
私たちも反対方向から走っているが、
状況を察して距離を保ったまま、ゆっくりと歩き出す。
「フェンスから離れて!」
フェンスの外にも警邏の人たちが走ってきて、
立ちはだかるように母親を押し、下がらせる。
「やめてください!」
「ここから先は立ち入り禁止だ!!」
「さがれ! 早く!」
警邏の人に肩を押されるように、後ずさりする柳原さん。
「カ、カナタちゃん!?」
私たちは柳原さんの両腕を掴む。
警邏の人に睨まれ、ゆっくりとその場を離れていく。
柳原さんはグズグズと泣きながら、
心配そうに、何度もフェンスの方へ振り向いた。
警戒室に戻ると、橘先輩は何事もなかったかのように、コーヒーを飲んでいた。
「あの…、カナタちゃん…」
「…。両親でした」
「そ、そう…。よかったね。会いに来てくれて…。」
「はい…」
ばつが悪そうな柳原さん。
ガチャ。
警戒室のドアが開く。
二藤陸佐と数名の軍人が入ってくる。
その姿を見て、ビクっとする私たち。
「…。なにかあったかね?」
「…何もねえが、どうしたんだ、二藤さん」
「そうか…」
窓の外を見たまま、目も合わさない橘先輩。
二藤陸佐は、固まったままの柳原さんを見る。
「何もない…か。すまない。邪魔をしたな」
「り、陸佐!」
「ん? なにかね?」
「い、いえ! 失礼しました!」
「何も問題は起きてはいないようだが。そうだな?橘」
「ああ」
突っかかる軍人の言葉を遮り、二藤陸佐は部屋を後にした。
私たちはしばらく固まっていた。
ずずっとコーヒーを飲む音が響く。
次の日から、警邏の人数が増えた。
デモの声も聞こえない。
柳原さんは窓の外を、ぼーっと静かに見つめていた。
※ 次回 2025年7月16日 水曜日 21:00 更新予定
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