第23話 母への電話
大阪のアパートに帰り着いた東動は、改めて今日一日の出来事を思い返していた。ラジオ局での仕事、そして何よりも久しぶりに訪れた神戸の住んでいた町、そして「グリル天月」での天月夫妻との再会。特に、ナオの訃報は、彼の心に重くのしかかっていた。両親もナオのことをよく知っていたはずだ。すぐにでも電話で報告しようと、東動はスマートフォンを手に取った。実家の電話番号を押し、コール音が響くのを待った。
間もなく、母が電話に出た。
「もしもし、母さん?元気?」と、東動は電話口に向かって話しかけた。
電話の向こうから、明るい母の声が返ってきた。「ああ、裕方?どうしたの、こんな時間に。何かあった?」
「今日、仕事で神戸に行って、そうしたら、急に思い立って、子供の頃に住んでた町に行ってきたんだ」と、東動は話し始めた。「それで、懐かしくて、よく家族で食べに行ってた『グリル天月』を探して行ってみたんだよ」
電話の向こうで、母が少し声を弾ませた。「まあ、天月さん!懐かしいわねえ。まだやっているの?」
「うん、ちゃんと営業してたよ。ただね、ちょっと寂しい話があって…」と、東動は言葉を選びながら続けた。「あそこの娘さんのナオちゃん… 覚えてるよね?」
一瞬の沈黙の後、母の声が少し震えた。「ナオちゃん… ええ、覚えているわよ。可愛らしい女の子だったわね。どうしたの、ナオちゃんに何かあったの?」
東動は言葉を選びながら答えた。「俺たちが引っ越してからしばらくして、病気で亡くなってしまったらしいんだ。今日、お店に行って、ご両親に聞いたんだ」
「そう、神戸で暮らしていた時は、本当に仲の良い二人だったわよね。『
「それとなんだけど」と、東動は続けた。
「神戸に行ったのは、神戸の放送局でラジオの新番組の構成作家の仕事が入ってね。しばらくの間は、ちょくちょく神戸に行くことになりそうなんだ。それで、来週もラジオの収録があるから、収録後に天月の皆さんと一緒にナオちゃんのお墓参りに行こうって話になったんだ」
「そう… そうなのね…」と、母は少し声を詰まらせながら言った。「それは… きっとナオちゃんも喜んでいるわよ。あなたがまた、あちらへ行くことになるなんて… 何か不思議な縁を感じるわね」
母は、「私たちもなぜか大阪にいるのに、神戸にいた頃の話もしないし、神戸に行こうとも思わなかったのも、考えれば不思議だわ」と言った。
そう言ったのも束の間、急に話は変わり、「それにしても、あんた、まだ売れない芸人続けてるの? もういい加減、会社員だけにしときなさい」と説教が始まった。慌てて裕方は父にも身体に気を付けてと伝えておいてと伝言を頼み、電話を切った。
電話を切った後、東動は少し疲れたようにソファに深く腰を下ろした。母の最後の言葉が、胸の奥に小さな棘のように引っかかっていた。お笑い芸人としての夢は、もう長い間、日の目を見ていない。生活のために始めた会社員の仕事が、今では彼の日常の大部分を占めている。それでも、心のどこかではまだ、あの舞台でスポットライトを浴びる自分を夢見ているのだ。
今回のラジオの構成作家の仕事は、そんな燻っていた情熱に、小さな火を灯してくれたような気がしている。もちろん、お笑い芸人としての活動とは畑違いかもしれない。しかし、誰かの言葉を紡ぎ、それを多くの人に届けるという点では、共通する喜びがある。それに、何よりもナオ達との思い出が詰まった神戸で、こうして仕事ができることにも、不思議な縁を感じていた。
来週の二回目の収録は、初回よりも少し内容を詰めていくことになるだろうか。漆原ユミとの打ち合わせで決まった大まかな構成を、さらに具体的に落とし込んでいく作業が待っている。どんなフリートークが飛び出すだろうかと考えるだけで、胸が少しだけ高鳴った。
今日の神戸での出来事は、東動にとって、忘れかけていた大切な何かを思い出させてくれる、特別な一日となった。ナオの死を知った悲しみ、天月夫妻との温かい再会、そしてコウとのぎこちないながらも心に残る会話と夢の話。
様々な感情が入り混じる中、東動は明日からの仕事に備えて、早めに眠りにつくことにした。神戸での新しい仕事が、彼の人生にどんな色を加えてくれるのか、まだ想像もつかないけれど、確かに何かが変わり始めている予感がしていた。
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