ヌシの娘の嫁入り
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理由なく雨を降らしてはならない
「理由なく雨を降らしてはならんと、口酸っぱく言うておうたはずじゃが?」
「トト様、ごめんなさ~い」
「ミナモ、反省しておらんな?」
「だって人が困ってるんだよ。助けてあげたっていいじゃない」
私は水鏡池の水底から見上げる。今は先ほどから降り始めた雨のせいで、水面は忙しなく揺れ続けており地上の様子はまるで分らなかった。まあ、私が降らせたのだけどね。村のみんな、喜んでたらいいなぁー。なんて思ってる間もトト様のお小言は続いてる。
「良くないから言っておるのじゃ。不自然なことは軋轢が生み、その軋轢は何かを歪める。その歪みは、けして良い結果を生まぬ。
よいか、道理を安易に曲げてはならん。曲げねばならぬ時は、対価と引き替える事じゃ」
「へーい」
「分かっとらんの!」
「わーい、トト様が怒った(笑)」
「待たんかいっ!」
私はトト様を揶揄いつつ、岸へと向かって逃げた。もちろんトト様は私を追いかけてくるのだけど、元々蛙の化身であるトト様は泳ぐのが得意でない。水鏡池のヌシであるトト様に唯一私が勝っている事である。
私はトト様から無事逃げ切ると、そのまま岸間際の水面から顔だけを出して周囲を見渡した。小舟が岸に繋ぎ留められているぐらいしか気に留めるものは見えなかった。葦などの草が生い茂り、その奥には森が広がっているいつもの風景。今は雨粒を受け止めて揺れる葉ぐらいしか動くものは見当たらない。動物たちも雨の中ひっそりとなりを潜めているようだ。と、森の方で大きく動く影が見えた。目を凝らしてその姿を追う。それはまだ若い男だったが見覚えがない。隣り村の者だろうか。その視線の先には若い女の姿。こちらは知ってる。村の女だ。二人は駆け寄ると互いに抱き締め合い口と口を合わせた。しばらくそうしていたかと思うと、やがて森の中に消えていった。
「てな事があったんだ。あれ、なーに?」
「口吸いとか口づけって言うんだって。たまに大人が隠れてしてるよ」
ちょうどゴンスケが釣りをしに桟橋まで来たので聞いてみた。ゴンスケは村の男の子だ。よく池まで来て釣りをしにくる。こうして私とも話したり遊んだりすることが多い仲良しさんだ。
「何でするの?」
「知らないよ。してるとこ見てたら、子供には早いって怒られたし」
ゴンスケは桟橋に腰掛けて釣り糸を垂らしながら答える。当時の事を思い出したのかちょっとばかし不機嫌だった。
私もゴンスケの隣りに座ると足をブラブラさせる。
「そんな事より、ミナモってばまた雨降らした?」
「なんの事かなー?」
私はすっとぼけたけど、ゴンスケは構わず続けた。
「日照り続きで困ってたから、大人たちは喜んでたけどね。大丈夫?」
「平気だよ。トト様は怒ってたけど」
「理由があるから怒ってるんじゃないの?」
「そんな訳ないよ。アレコレ言ってたけど、私の事を怒りたいから怒ってるんだよ。それか、何かを誤魔化してるか。口づけで怒ってる大人たちと一緒」
「そうかなー?」
ゴンスケはまだ納得がいかないようだった。
「きっと、くちづけもとても良いものだから子供には隠して大人たちだけで楽しんでるんだよ」
適当に話していたけど、それは悪くない考えのような気がした。
「ねえ、してみよっか、口づけ。そしたらする理由が分かるんじゃない?」
「ええ!?」
「たぶん、甘かったりするんだと思う」
「そんな事ないと思うけど……甘くても齧らないでよ?」
「しないよ。ほら、顔をこっちに向けて……ああ、隠れてするものなんだっけ?」
ここからでは池の中から丸見えだ。釣り竿を一旦置くと、私とゴンスケは森へと向かう。池からは見えない場所まで来るとゴンスケは立ち止まり私に向かって顔を突き出した。私もゴンスケににじり寄ると肩を掴んで顔を近づける。そして唇を重ねた。
しかし何も感じない。ゴンスケの少し荒れた唇のガサガサした感触がするだけだ。まだ足りないのかと思い、より強く唇を押し当ててみる。やはり変わらない。ならばと吸ってみた。
「……ン」
驚いたのかゴンスケから変な声が漏れた。その目が揺らぐ。近すぎてゴンスケの目から逸らす事もできない。ゴンスケもまっすぐコチラを見返してくる。互いから目を離す事もできず、徐々に気まずくなってくる。ああ、この距離で見るとゴンスケの目、案外綺麗だなと場違いな感想を持ってしまった。もう、じれったくなったのでゴンスケの唇を舐めた。
「うひゃぁ!?」
舐められて驚いたゴンスケは私から飛び退くと大声で文句を言った。
「舐めるなんて聞いてないよ!」
「ごめん。でも甘くなかったね」
ゴンスケも頷く。
「うん。ちょっと生臭かった」
「私生臭くないし! ゴンスケこそ鼻息くすぐったかったし!」
「な、ミナモこそ! それに息止めろなんて言わなかっただろ!」
「何を~!」
掴み合って互いを罵り合っていたものの、でも結局二人の意見は同じ内容で落ち着いた。
「でも、いいものじゃなかったね」
「うん、いいものじゃなかった。なんで大人はするんだろ?」
「ね? 何でだろ」
いいものではなかった。でも、何故だろう。
胸だけはやたらドキドキした。
それから月日は流れた。何度かの日照り続きや、何度かの川の氾濫といった事もあったけど、村も池も平和なものである。
あれから成長した私は口づけをする意味も分かってきた。
村の女の子達から入ってくる断片的な情報をまとめた結果、どうやら親密な関係の者同士でその親密さを確認し合うためにするものだったらしい。なるほど、分からん。
でもそうか。親密な間柄でするものだったのか。ゴンスケに悪い事しちゃったな。いやでも当時も今も仲良しだし。許してくれるよね。子供の頃に意味も分からずしたのだから、数のうちに入らないだろう。恋人ができたらちゃんとしたのをやり直してくれ。ただその、年頃になったゴンスケに一向には恋人の出来る気配がない。おかしいな。村の女の子たちからは「ゴンスケかっこいい」という話は聞くのにな。互いにけん制し合ってるのかな? かといってゴンスケが女の尻を追ってる様子もない。むむむ、人の心の機微は分からないな!
まあ、私には関係ないか。ゴンスケが女の尻を追いかけ回す代わりに池に良く釣りしに来てくれるから、むしろありがたいぐらいだった。
今日は天気がよく、風もなくて穏やかだ。水面に僅かに立つ波が、水中に差し込む光の帯を微かに揺らしている。時折それが魚の群れの鱗に反射してキラキラ輝いて綺麗だった。
「お前を拾うてから随分経つが、いつまで経ってもミナモは幼いままじゃな」
トト様がボヤいた。
「体、大きくなったよ?」
「だから尚更心配なんじゃ。体ばかり分不相応に成長しおって中身は子供のまんま……」
「力も強くなったし大丈夫だよ」
「いつも力で解決できる訳なかろう? ああ、益々心配じゃ。こんなんで一人でやっていけるものか」
「トト様、死んじゃうの!?」
「死なんわ馬鹿者。だがこの狭い池にずっと一緒にいるわけにもいかん」
「ええ、ずっと一緒でいいじゃん?」
「できんわ馬鹿者。甘ったれに育ちおって。いずれ独り立ちせねばならんのじゃぞ?」
「できる気がしないなぁ」
「できくんてもやるんじゃよ。ヌシは一か所に一人じゃ。どちらかはいずれ他所に移らねばならん。というわけで、しばらくワシは移住先候補を探しに旅に出る」
「え、聞いてない」
「今言うた。ではしばらく留守を頼んだぞ」
「そんな! トト様のいけず! 私を置いてかないで~」
トト様は無情にもそんな私を置いて池から流れ出る川を下って行ってしまった。行っちゃった。
……まあ、いいや。今までも変わり映えしない毎日だったんだ。突然何か起こったりなんてしないしない。それよりもトト様がいない間は怒られる心配がない。伸び伸び過ごせることを楽しもう。
「いや、それ大丈夫か? 不測な事態に対処できるか?」
「なんで? 不測な事態ってなに? まあ、何とかなるって。あ、引いてるよ」
一緒に桟橋に腰掛けながら、ゴンスケは釣竿をあげる。魚籠の中の魚と合わせるとこれで3匹目だ。ゴンスケは釣竿を片づけ始めた。今日はこれで終わりらしい。ちぇ、つまらないの。ゴンスケ、次はいつ来るんだろ。
「ヌシ様はいつ帰ってくるんだ?」
「わかんない」
「そっか」
ゴンスケは帰り支度を終えると、また座り直してコチラに体を向けた。
「あれ、帰らないの?」
「あ、迷惑だったか? その、一人で退屈かなーって。俺ももっと話したかったし」
「う、ううん! 全然迷惑なんかじゃないよ! あ、なんか出そうか! お酒飲む!?」
「いや、さすがに村からの御供え物は飲めねーよ……でも、前から不思議だったんだがお供え物って酒でホント良かったのか?」
「うん、トト様喜ぶんだ」
「ああ、ヌシ様のためだったんだ」
「うん、怒られた時に差し出すと機嫌が早く治るんだ」
「その残念な理由は聞きたくなかったなぁ」
それからしばらく他愛もない話をして「また明日」とゴンスケは村に帰って行った。それからゴンスケは約束通り、毎日顔を出してくれる。
私のこと、心配してくれてたのかぁ。うん、不安とか寂しさとかは確かにあったけど、毎日ゴンスケと会えるなら悪くないなぁ、とそんな風に思い始めた矢先の事だった。
厄介事が舞い込んできた。
その日はゴンスケが帰ったので池でチャプチャプしてると村長が籠を担いでやってきた。
「いつもすまんねぇ~。これ、少ないけど今回の御供え物」
と、どさりと籠を波打ち際に置く。
「そんな、私が好きでやってる事なんだから気にしなくていいのに」
「そうも如何よー、おかげですっごく助かってるんだから。ミナモ様、本当にありがとうございます」
と、ニコニコ笑顔でお礼を言う。と、そんな長閑にやりとりをしていたら、馬の蹄の音が近づいてくる。何ごとかと思いそちらに目を向けると、腰に刀を差した男どもが馬に乗ってやってきた。その中で、一番上等そうな着物を着ている男が怒鳴った。
「おい、ヌシはおるか!」
男の不躾な物言いに困惑する。私がどう返答しようか考えていると、代わりに村長が答えてくれた。
「お侍様、この池のヌシ様は只今留守にしております。一体どのようなご用件でしょうか?」
その侍は、見下した目で村長を一瞥すると不機嫌さを隠しもせず舌打ちした。
「わざわざ来てやったというのに無駄足を踏ませおって。ええい、戻ったらすぐさま噛成沼に来いと伝えよ」
その随分な物言いと内容に、私と村長は開いた口が塞がらなかった。が、やがて村長が聞いた。
「確かにお伝えしますが、しかしそれだけでは……」
「俺が言うてもか」
私と村長は誰だコイツと思っていたけど、口にはしなかった。
「はぁ。もう少しヌシ様をお呼びする理由をお教え頂けませんと」
「ふむ……。聞けばここのヌシは日照りが続けば雨を降らすそうではないか。こんな辺鄙な土地に無益に降らすよりも、我が土地を潤すのに役立ててさせようと思ってな」
村長はその説明にふむふむと頷く。まあ、理由としては勝手さは置いておいて納得はできた。ただまあ、捨て置けないこともあった。
「なるほどなるほど。ヌシ様も移住先を探しておりましたからきっと」
「待ちなよ」
私は話をまとめようとした村長を遮って、その侍を睨みつけた。
「なんだ、小娘」
「噛成沼にも確かヌシ様はいた筈。そのお方はどうした?」
侍は鼻で笑った。そして腹をポンと叩く。
「食ってやったわ。あの化け物ナマズ、雨を降らせと命じたのに出来ぬの一点張りだったからな。まあ、そこそこ美味かった。傷の治りも早かったからその点だけは役に立ったな」
そこまで話すと今度こそ大声で高笑いをあげた。
「何という事を」
「ミナモ様、ここは穏便に」
村長が私を思い留めさせようと衣の裾を引っ張る。と、そこで侍は私に興味を示した。
「……様? お前、何者だ?」
「この池の眷属だ」
侍は、馬から降りると歩いて私にあと数歩というところまで近づいてくる。そして私をつま先から頭のてっぺんまで舐めるように見回していく。
「美しいな。気が変わった。ヌシはいい。お前が来い」
「……なんと?」
「俺の嫁になれ。そしてお前が雨を降らせよ」
「なぜ私がお前の言う事を聞かなきゃなんない?」
侍がニタリと笑うと、スルリと刀を抜いた。そして村長へその刃先を向ける。
「理由が必要か。簡単さ、色々と失う事になるからさ。ここの村を襲ってもいいし、池の堤を崩してもいい。やりようはあるし、俺はやる時はやる男だ」
ハッタリ、ではないんだろうな。噛成沼のヌシ様はけして弱い存在じゃなかった。男は刀を鞘に納める。
「花嫁衣装はコチラで用意してやる。すぐ贈るからそれを着て俺のところに来い。楽しみにしてるぞ」
そう言い残すと男は馬にまたがり、仲間を連れて去って行った。
「……村長」
「はい」
「厄介な事になったよぉー(泣)」
「そうですな」
私は膝から崩れ落ちた。なぜトト様がいない時に限って、もぅ! もぅ!
「どうするんです、ミナモ様」
「どうするもこうするも。私が行けば円く収まるんでしょう?」
「いえ、でも」
「とってもイヤだけどね!」
「ですよねぇ?」
「まあ、でも行くだけ行くよ。もし私が戻らない間にトト様が帰って来たら事情を伝えてね」
「畏まりました」
「ああ、それとゴンスケになんだけど」
「はい。あやつにも伝えておきます」
「ううん。絶対知らせないで」
あの侍の屋敷に来た。あの侍の名前? 知らね。
案外仕事は早いらしく、すぐに届いた。白無垢だ。……え、衣装だけ渡されても。着付けできねーよ。やっぱりあいつ仕事できねーよ。仕方なく村の女の子何人かに声を掛けて着付けて貰う。
女の子たちは、悔しそうに歯噛みする者、涙目で別れを惜しむ者と様々だったが、皆揃って口々にあの侍への文句を言い続けていた。文句タラタラ花嫁支度って、私も嫁ぐのイヤだから気持ちわかるけどなんだかなぁー。
私は丁寧な歓待の後に門をくぐると、屋敷の入り口に案内される。玄関ではあの侍が待ち構えていて、私の花嫁姿を確認すると満足げに頷いた。
「美しいな」
「そりゃどうも」
私は被っていた角隠しを取る。
「さあ、近う寄れ」
私はその言葉に従わず、その場に留まって喋り出す。
「あのね、雨の話なんだけど」
「雨がどうした」
「降らしてたの私なんだ。水鏡池のヌシ様はね、ずっと降らすなと怒っていた。だからヌシ様を連れてきてもきっと雨を降らしはしないよ」
「もう関係なかろう。これからはお前が降らすのだから」
「いいや、私も降らさない。なぜ見ず知らずのイヤな事をしてくる相手に施しを与えなきゃいけない? したくない理由ばかり目について、する理由がまるで見当たらないね」
私は懐から村から借りてきた包丁を取り出す。女中たちは悲鳴をあげて逃げ、男たちは腰が引けた。そんな中、侍だけが一歩前に出る。
「そんなちんけな刃物で俺を殺そうというのか」
男は腰の刀に手を掛けた。
「まさか」
私は大げさに驚く素振りを見せると持っていた包丁をくるりと返し、自分の首元に当てる。ひんやりとした感触が肌に触れた。
「これで円く収まる」
侍は村や池を襲う理由を失い、私は侍の目的を邪魔できて溜飲が下がる。大人しく嫁になる事も少し考えたがそればかりは勘弁ならなかった。
「この身はあげるよ。元は
私はフフと笑う。でも心まではやらない。
私が犯した罪で起こした事だ。それで周りに迷惑を掛けるのは不本意だ。ならばこの身で片をつけよう。捌かれるのは私だけで十分だ。
でも、そうだな。ふとゴンスケの顔がよぎった。もっと、一緒いたかったな。
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