第39話 〝あ行〟の人
39 〝あ行〟の人
「――〝あたし〟は――〝アカシックレコード〟を〝得る〟――」
「くっ……つっ!」
それは――上紙折紙にとって死刑宣告に等しい詠唱だ。
これで鹿山多知は〝あ行〟に加え、〝か行〟に〝さ行〟に〝た行〟に〝は行〟が使える様になった。
それは〝あ行〟と〝か行〟が使えない折紙にとって、致命的とも言える戦力差である。
この時点で戦況は覆され、折紙はもう敗北を待つしかない。
事実、鹿山多知はその猛威を振るった。
「――〝超反応〟を〝得る〟――及びに〝大陸間弾道弾〟の〝速度〟で〝動く〟」
「――あ」
この時点で多知は、折紙の反応速度と運動速度を大きく上回る。
もう挽回出来ない程の戦力差を見せつけられ、折紙はもう一度喘ぐ。
次の瞬間、敗北するであろう自分の姿を、折紙はただ幻視した。
「ああああ」
だが、違う。
この時、上紙折紙は別の事を考えていた。
そうだ。
網場薫は、言っていたではないか。
アカシックレコードの事は、第三者に説明できない、と。
ならば、何故自分はその事を知る事が出来た?
網場薫は何でその事を、上紙折紙に伝える事が出来たのか?
「あああああああああああ」
恐らくそれは、アカシックレコードを得た人間だけは別だから。
アカシックレコードを得た人間になら、網場薫はアカシックレコードの事を説明出来た。
けれど、アカシックレコードとは何の関係もない上紙折紙は、何故その事を知る事が出来る?
いや。
そんな事は分かり切っていた。
そのカラクリはもう数日前に、形成されたのだ。
「ああああああああああああああああああ」
即ち――鹿山多知が上紙折紙を生き返らせた時点で彼女達には繋がりが生じた。
その繋がりを通じてアカシックレコードの関係者になった折紙は、アカシックレコードを知る権利を得た。
ならば――彼女はその繋がりを通じてアカシックレコードの力を引き出すのみ。
事実――彼女はいま高らかに謳い上げる。
「――〝オレ〟は――〝アカシックレコード〟を〝得る〟!
及び〝超反応〟を〝得て〟――〝大陸間弾道弾〟の〝速度〟を〝得る〟!」
「な、にっ?」
驚愕する、鹿山多知。
だが、両者はこの時、初めて同等の戦力を以て正面からぶつかり合う。
刀という〝武器〟を〝得て〟両者共に斬り合う事になる。
その速度は秒速八キロに及び、最早、常人が干渉できるレベルの戦いではない。
デッドパープルさえ打破したその業は――しかし戦況の均衡を生むだけだった。
(つっ!
まさか――この土壇場で私と同等の力を得た?
やはり――上紙折紙は危険!
私は今ここで彼女の全てを奪わなければ――きっと後悔する!)
そう痛感して、デッドパープルと戦った浜辺まで行き着いた多知は大きく息を吐く。
上紙折紙は泰然とその場に立ち、ただ呼吸を整えた。
「やはり――本気なんだな、鹿山多知。
あんたは――オレを犠牲にするつもりで戦っている」
「そう?
そう見えた?
いえ。
そうね。
実は、私はきみに殺される為に戦っていると言ったら、信じる?」
「………」
多知のその笑みを見て、上紙折紙は覚悟を決める。
「そう、か。
オレが好きだった彼女は、あの鹿山多知さんは――本当に死んだのか。
なら、オレは両親の為にも、オレ自身の為にも――あんたを殺さなければならない」
上紙折紙は刀と共に、最後の迷いも捨て去る。
それ見て、鹿山多知も応じた。
「ええ。
そろそろ、決着をつけましょう。
これで終わりよ――上紙折紙!」
大陸間弾道弾と同等の速度で疾走する、多知。
それと同格の力を以て走り始める、折紙。
ついで多知は――こう詠唱する。
「――〝あたし〟は――〝超常的〟な〝武器〟を〝得る〟――!」
常識を遥かに超えたその武器を使い、多知は折紙の意識を奪おうとする。
だが、ここで両者の意識の差が、発想の差も生む事になった。
折紙を生け捕りにしようとする多知と、多知を殺そうとしている折紙。
多知は折紙を殺せないが――折紙は多知を殺せるのだ。
よって、多知から宇宙は一つではないと聴かされた彼女は、こう詠唱する。
「――〝オレ〟は――〝一個〟の〝宇宙〟を〝圧縮〟して〝武器″に〝転化〟する――」
「なっ……はっ?」
それは次元違いとも言える、暴挙。
アカシックレコードを得た今の折紙が使える、最強の一撃。
事実、その業は多知の能力を圧倒して、彼女に迫る。
両者の戦いはいま決着がつき、鹿山多知の敗北で終わった。
いや――本当にその筈だったのだ。
〝――折紙さん〟
「……ああ」
その声を聴き、その無表情な顔を思い出した時、上紙折紙は意図して拳を止める。
その瞬間、鹿山多知の一撃が――容赦なく上紙折紙を切り裂いた。
◇
「……な、ぜ?」
自分の武器が折紙の体に、致命傷を負わせる。
だが、そんな筈はない。
折紙なら今の一撃は、避け様と思えば、避けられた筈。
いや。
それ以前、上紙折紙は鹿山多知を確実に殺せた筈だ。
だというのに、なぜ彼女はソレを放棄した?
その意味が分からなくて、鹿山多知は初めて呆然とする。
そんな彼女に、折紙は、更に不可解な事を呟く。
「……そういえば、まだ助けてもらったお礼さえ言っていなかった。
ヘリの乗組員を助けてくれて、ありがとう。
〝は行使い〟を倒してくれて、ありがとう。
デッドパープルから、オレを助けてくれて、ありがとう。
こんなオレと一緒に居てくれて、本当にありがとう……」
「……なっ、はっ?」
後数分もしないうちに、上紙折紙は、死ぬ。
だというのに、彼女の口から洩れた言葉は、鹿山多知に対する惜しみない感謝だ。
「そう、だ。
楽しかった。
例え君が誰であろうと、オレは、本当に君といて楽しかったんだ。
それで、漸く、気づいた」
「……ああ、ああああ」
いや。
鹿山多知は折紙の言葉を聴いて、半ば混乱する。
それ程までに、折紙の遺言は多知にとってありえない物だ。
「うん。
今、分かった。
オレが救わなければならなかったのは、君だ。
オレは誰より、まず君を救わなければならなかった。
上紙折紙は、多くの人を救う必要なんて、無かったんだ。
オレは鹿山多知さえ救えれば、それで、よかった」
「……ああああ、あああああああ」
上紙折紙が、鹿山多知を、救う?
いや。
そんな事は、不可能だ。
上紙折紙は何の落ち度もない被害者で、鹿山多知は彼女から両親を奪った元凶なのだから。
そんな多知を折紙が救うと言うなら、それはもう道理に反する。
それは折紙が両親の命を軽んじる事に繋がるし、そもそも彼女が多知を救う理由など無い。
だというのに、その全ての矛盾をのみ込んで、彼女は告げた。
「そう。
そうだ。
オレはそれを怠った所為で、この様だ。
でも、そうなんだよ。
オレはアカシックレコードを通じて、君の過去を知ってしまった。
環境さえ違っていれば、君はオレが知る通りの鹿山多知になっていた事を知ってしまった。
オレはどうしても、その可能性だけは、否定できない」
「………あああああああああああ、ああああああああああああああ」
「だから、オレは君を救うべきだったんだ。
君を救う事が、きっと父さんや母さんが望んでいる事だ。
ソレを果たし切れないオレを、どうか許してほしい」
笑えない多知の代りに、上紙折紙はいま心から微笑む。
彼女は、最期に告げた。
「けど、アカシックレコードの呪いだけは、オレが受け持つ。
そんな事しかできないけど、それがオレに出来る、最期の仕事、だ。
そうだ。
これで君は、自由だ。
君はどうか君がなすべき事を、なして欲しい」
「………あああああああああああああ、あああああああああああああああああ―――っ!」
その姿を、自分の為に命を捨てた彼女の姿を、鹿山多知は呆然と見つめる。
両親の仇であり、折紙さえ不幸にしようとした彼女を、上紙折紙は幸せそうに眺める。
だから、彼女もまた気付いてしまったのだ。
鹿山多知は上紙折紙を見て――自分は既に誰かを幸せにしていた事を知る。
「……そっか。
私も、貴女と、同じだったんです。
私も、貴女を幸せに出来れば、それでよかった」
ソレは凡そ不可能な事だけど、上紙折紙は、その不可能を可能にしたのだ。
鹿山多知を許す事で、上紙折紙は確かに彼女を救ったのだから。
ならば、自分は――尊すぎるその想いに応えるしかないではないか。
(……ダメージが深すぎる。
やはり、こうしなければ、無理)
何時もの様に冷静にそう判断して、多知はその術を発動させる。
「〝あたし〟は――〝あなた〟の〝命〟を〝救う〟」
「な……に?」
同時に―――鹿山多知の体が崩れていく。
自身の命を懸けて上紙折紙を救おうとする彼女は―――いま塵となって消えていく。
「アカシックレコードの呪いを道ずれにするのは、私の方。
そう。
これが私にとって最後の詠唱です。
〝上紙折紙さん〟――〝貴女〟に〝あ行〟を〝あげます〟。
――これで貴女は私が死んでも、生き残る事ができる。
〝あ行〟を引き継いだ事で、死ななくてすみます」
「……なん、で?」
呆然とする折紙に対し、多知は折紙が知る『鹿山多知』として微笑む。
「……ありがとう、折紙さん。
私を救ってくれて、本当に、ありがとう。
そう。
貴女は私を、救ってくれたんです。
だから、貴女は、どうか胸を張って―――」
それが、彼女にとっての、最期の言葉。
鹿山多知は幸福だった頃の自分をいま思い出し、旅立つ。
その姿を見つめながら、上紙折紙は、ただ震えた。
「……そうじゃ、ねえだろ?
こんなの、ねえだろ?
なんで君は最期まで、オレを救おうとするんだよ?
これじゃ、格好がつかない。
これじゃあ、やっぱり、上紙折紙は鹿山多知を憎むしかないじゃないかぁあああああああああああああああああああああああ――――っ!」
そう怨嗟を漏らしながら、彼女は彼女が去って行った空を見上げる。
上紙折紙はたった四日間、協力関係にあった少女を――こうして見送った。
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