EP 3

「飢えと、進化する知恵」

満ち足りた異世界の空気とは裏腹に、リュウの腹の虫が高らかに鳴いた。ぐぅぅ、と腹の底から響く音は、生命の危機がすぐそこまで迫っていることを告げている。

「と、取り敢えず、獲物を探さないと飢え死にする…」

先ほどまでの気絶も、この飢えが原因だ。リュウは覚束ない足取りながらも、自分を奮い立たせて森の奥へと足を踏み入れた。幸い、『リュウ』としての記憶が、この森の案内役となってくれる。

(確か…この辺りには、兎によく似たモンスターがいたはずだ。動きは素早いが、肉は美味い。爺ちゃんが言ってた。名前は確か…ウサギン、だったかな)

『佐々木 龍』だった頃には想像もつかなかった思考。だが今の彼にとっては、それが生きるための羅針盤だった。注意深く地面を観察すると、小さな獣道と、点々と残る真新しい糞を見つけた。間違いない、ウサギンの縄張りだ。

リュウは息を殺し、風下の位置を取りながら慎重に進む。五感が、都会のサラリーマンだった頃とは比べ物にならないほど研ぎ澄まされているのが分かった。木の葉の擦れる音、土の匂い、遠くで鳴く鳥の声。その全てが、森の状況を伝える情報となる。

そして、茂みの向こうにそれを見つけた。

茶色い毛並みを持つ、一見すると普通の兎。だが、ピンと立ったその長い耳は、まるで黒曜石の刃のように鈍い光を放ち、獲物を警戒するようにピクピクと動いている。赤い目が爛々と輝いていた。あれがウサギンだ。

リュウはそっと身を屈め、腰のあたりに括り付けていた石の一つを手に取った。スキル『武器使い』が、自然と発動する。石の重み、投げる角度、風の流れ、ウサギンまでの距離。それら全ての情報が脳内で瞬時に統合され、一本の完璧な放物線を描き出す。

(今だ…!)

射程内。リュウは全身のバネを使って、腕をしならせた。放たれた石は、音もなく空を切り裂き、草を食んでいたウサギンの頭部に見事命中した。

「キィッ!」

甲高い悲鳴を一度だけ上げ、ウサギンはその場に崩れ落ちる。ピクピクと痙攣していた足が、やがてぴたりと動かなくなった。

「…やった!」

駆け寄ったリュウの口から、安堵と歓喜の声が漏れた。これが、この世界で初めて自力で手に入れた食料だった。

リュウは近くの川辺まで獲物を運ぶと、鋭い角を持つ別の石をナイフ代わりに、不格好ながらも必死に解体を始めた。血の匂いと内臓の感触に一瞬顔をしかめたが、生きるためには仕方のないことだと自分に言い聞かせる。

火起こしもまた、サバイバルそのものだった。乾いた木の枝と枯れ葉を集め、『リュウ』の記憶に残る爺ちゃんの教えを頼りに、木の棒を錐のように回転させる。汗だくになりながら続けた数十分後、ようやく燻りだした火種を慎重に育て、小さな焚き火を作り上げた。

串刺しにしたウサギンの肉を火で炙ると、じゅうじゅうと音を立てて脂が滴り落ち、香ばしい匂いが立ち上る。待ちきれずに熱々の肉にかぶりついたリュウは、そのあまりの美味さに目を見開いた。

「うめぇ…! 最高に、旨い!」

塩も胡椒もない。ただ焼いただけの肉。しかし、数日ぶりのまともな食事が、飢えた身体の隅々まで染み渡っていく。涙が出そうになるほどの感動だった。

骨だけになったウサギンの亡骸を丁寧に埋め、満たされた腹をさすりながら火を眺めていると、ふと、ある考えが浮かんだ。

「そうだ…。石を、もっと効率よく投げる方法があったはずだ」

それは、『佐々木 龍』としての知識だった。歴史の授業か、何かで見た記憶がある。

「木を加工して、遠心力を利用する…。たしか、投石棒…いや、スリングとか言ったか? 昔の人が使ってた武器だ」

思いついたら即行動だ。リュウは手頃なしなりのある枝と、丈夫そうな木の皮や蔓を探し出し、石のナイフで器用に加工を始めた。『武器使い』のスキルは、道具の作成にも応用が利くらしかった。どう削れば最も手に馴染むか、どの蔓を使えば一番の強度が得られるか、直感的に理解できた。

やがて、一本の棒の先に、石を包むための皮のホルダーが付いた、原始的ながらも機能的な『投石棒(スリング)』が完成した。

リュウは早速、手頃な石をホルダーにセットし、ぐるぐると頭上で回転させる。風を切る音が次第に大きくなっていき、ここぞというタイミングで石をリリースした。

ビュッ!!!

先ほどとは比較にならない、鋭い音を立てて石が射出される。そして、遥か遠くの木の幹に、ズドン!とめり込むように突き刺さった。

「すげ~…。威力も射程も、段違いだぜ…!」

ただの石ころが、致命的な破壊力を持つ武器へと進化した。リュウは完成したばかりの投石棒を強く握りしめる。それは、この過酷な異世界で生き抜くための、新たな希望の光だった。

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