第56話 聖女の癒やし

 S級魔獣『鋼鉄のグリフォン』の討伐。

 その戦果を引っ提げて、俺たち家族は王都の冒険者ギルドへと凱旋した。


 ギィィ……。


 重い扉を開けた瞬間、それまで喧騒に満ちていたギルドの中が、水を打ったように静まり返った。

 酒を飲んでいた屈強な冒険者も、依頼書を眺めていた魔術師も、カウンターで談笑していた受付嬢も。

 そこにいた全員の視線が俺たちに突き刺さる。


 やがて、誰かが呆然と呟いた。


「……帰ってきたぞ」


 その一言が、引き金だった。


「うおおおおおおっ!」

「本当に、あの『鋼鉄のグリフォン』を討伐しちまったのか!?」

「信じられねえ! Aランクパーティですら手も足も出なかったっていうのに!」


 静寂は、一瞬で爆発的な歓声と熱狂に変わった。

 冒険者たちが、俺たちを取り囲むように駆け寄ってくる。

 称賛の嵐。

 中には、興奮のあまり俺の肩をバンバン叩いてくる奴までいる始末だ。


「おいおい、落ち着けって」


 俺は、そんな熱狂を苦笑いで受け流しながら、人波をかき分けてカウンターへと向かう。

 討伐の証であるグリフォンの爪を、どさりとカウンターの上に置いた。

 それを見たギルド職員の目が、驚愕に見開かれる。


 ああ、そうだ。

 俺はもう、ただのCランク冒険者じゃない。

 この子たちの、父親なんだ。

 胸を張って、この称賛を受け止めてやろうじゃねえか。


 だが、そんな熱狂の渦の中、一箇所だけ、ぽっかりと穴が空いたように、暗く沈んだ一角があった。

 Aランクパーティ『竜の牙』の連中だ。


 彼らは、俺たちに深々と頭を下げた。


「ダンスタン殿……。我々のリーダーの仇を討っていただき、本当に、感謝する」


 赤髪の剣士が、絞り出すような声で言った。

 その声には、感謝と共に、どうしようもないほどの悔しさと、悲しみの色が滲んでいた。


「事前にお前に相談しておけばよかった」


 彼の視線が、ギルドの奥にある医務室へと向けられる。


「リーダー……。あいつの冒険者生命は、もう……。最高位の神官様ですら、匙を投げたんだ。グリフォンの爪で受けた呪詛付きの傷は、もう二度と治らない、と……」


 その言葉に、他のメンバーたちも、やりきれないといった表情で俯いてしまう。

 ギルド中の賞賛の嵐が、嘘のように遠く聞こえた。


 分かる。

 その痛みは、俺にも痛いほど分かる。

 仲間を失う絶望。

 目の前で、仲間が未来を奪われる無力感。

 かつての俺が、毎日、毎晩、酒で紛らわそうとしていた、あの痛みだ。


 俺が、かけるべき言葉を見つけられずにいると。

 それまで俺の後ろで黙っていた、小さな影が、一歩、前に進み出た。


 ピヒラだった。


◇◇◇


「あの……」


 か細い声が、静かに響いた。

 『竜の牙』のメンバーたちが、驚いたように顔を上げる。


 ピヒラは、絶望に沈む彼らの目を、まっすぐに見つめ返すと、はっきりと、そう告げた。


「その方の傷、私に見せてもらえませんか?」


 その、あまりにも予想外の申し出。

 ギルドの中が、再びざわめき始める。


「おい、あの子は確か……ダンスタンの娘のエルフだよな?」

「子供に何ができるって言うんだ……」

「最高位の神官様ですら、治せなかった傷だぞ? 無茶だ……」


 ひそひそと交わされる、疑念の声。

 『竜の牙』の連中も、困惑した表情で、俺とピヒラの顔を交互に見つめている。

 無理もねえ。

 彼らにとっては、藁にもすがる思い、というよりは、子供の無邪気な戯言に聞こえただろう。


 だが、俺だけは違った。

 俺は、娘のその翡翠色の瞳に宿る光が、ただの同情や気まぐれではないことを、知っていた。

 あれは、ヒーラーとしての、確かな覚悟を決めた目だった。


「本当に治るかどうかはわからんが、こいつには不思議な力がある」


 俺は、隣に立つ、小さな一番弟子の頭に、ごつごつした手を置いた。


「俺の娘は、この王都の誰よりも、どんな高位の神官様よりも、優秀なヒーラーだ」


 俺の、絶対的な信頼を込めた言葉。

 それに、ピヒラはこくりと力強く頷き返した。


「この子に見せてやってくれねえか」


 『竜の牙』のメンバーたちは、半信半疑のまま、俺たちを医務室へと導き始めた。


◇◇◇


 ギルドの医務室は、薬草の匂いで満ちていた。

 ベッドの上には、一人の男が横たわっている。

 『竜の牙』のリーダーだろう。

 その右腕は、禍々しい紫色の紋様に覆われ、まるで枯れ木のように、生気を失っていた。


 ピクリとも動かない腕。

 これが、グリフォンの呪いか。


 ピヒラは、その惨状を前にしても、一切怯まなかった。

 彼女はベッドの脇に静かに膝をつくと、持っていた小さな革袋から、一つの陶器の壺を取り出す。


 蓋を開けると、ふわりと、森の夜明けのような、清浄な香りが広がった。

 俺たちの畑で育てた、特製の『レクナール草』をすり潰して作った、翡翠色に輝く軟膏だ。


「……少し、冷たいですよ」


 ピヒラは、そう囁くと、その軟膏を指先で少量すくい取り、男の呪われた腕に、そっと、優しく塗り込んでいく。

 その時だった。


 ふわり。


 ピヒラの手のひらが、温かい、柔らかな緑色の光を放ち始めた。


「なっ……!?」


 息を呑む、『竜の牙』のメンバーたち。


 光は、まるで意思を持っているかのように、呪詛の紋様をゆっくりと浄化していく。

 それだけじゃない。

 ピヒラは、目を閉じ、何事かを静かに祈るように呟き始めた。


 それは、言葉ではない。

 歌のような、風のような、森そのものの囁き。

 彼女だけが持つ、生命と心を通わせる、神秘的な力……か?


 彼女の祈りに応えるように、医務室の空気が、震えた。

 窓の外の木々が、ざわめき、祝福の歌を歌っている。

 部屋の隅に置かれていた鉢植えの蕾が、一斉に花開いていく。


 生命の息吹が、この絶望の空間を満たしていく。

 緑の光は、ますます輝きを増し、枯れ木のように黒ずんでいた男の腕に、みるみるうちに血の気を通わせていく。

 裂けていた傷口が、まるで早送りでもしているかのように、ゆっくりと、だが確実に塞がっていく。


 奇跡だ。

 誰もが、言葉を失い、ただ目の前で起きている奇跡を、呆然と見つめていた。


 俺は、そんな娘の横顔を、ただ、固唾をのんで見守る。


 やがて、光が収まった時。

 そこに残されていたのは、傷一つない、滑らかで、力強い腕だった。


「……う、ん……?」


 ベッドの上の男が、ゆっくりと目を開ける。

 彼は、自分の右腕を、信じられないといった顔で、何度も、何度も握りしめていた。


「動く……。俺の腕が、動くぞ……!」


◇◇◇


 男はベッドから飛び起きると、その場で何度も腕を振り、跳びはね、己の完全なる復活を確かめていた。


「治った……本当に、治っちまった……!」


 その、歓喜の叫び。

 それを合図に、張り詰めていた医務室の空気が、一気に爆発した。


「リ、リーダーッ!」

「本当か……夢じゃ、ないのか……!」


 『竜の牙』のメンバーたちが、リーダーに駆け寄り、涙ながらに抱き合う。

 やがて、その歓喜の輪の中心にいたリーダーが、はっと我に返ったように、ピヒラの前に、どさりと膝をついた。


 そして、深々と、地面に額をこすりつけるように、頭を下げる。


「あ、ありがとうございます……! なんとお礼を言ったらいいか……! あなたは、俺たちの命の恩人だ……!」


 その言葉に続き、他のメンバーたちも、次々とピヒラの前にひざまずいていく。


「聖女様だ……!」


 誰かが、震える声でそう呟いた。


「我らが王都に、聖女様がお生まれになったぞ!」


 その声は、医務室の外で様子を窺っていた冒険者たちにも届いていた。

 噂は、熱病のように、ギルド中に、そして王都中に、瞬く間に広がっていく。


 ……さすがに大げさすぎるだろう。


 ピヒラはひどく恥ずかしそうにしており、俺の後ろに隠れてしまった。


「ピヒラ」俺は背後のピヒラにやさしく声をかける。「よくやったな、偉いぞ」


 振り返ると、ピヒラは嬉しそうに、はにかんでいた。


――――――――――――――――――

【★あとがき★】


皆様のおかげで連載はつづいております。


『婚約破棄の責任を負わされ実家から追放された。実は人の【心の闇】が視えるので、辺境で訳ありのヒロイン達を救っていたら、最強のヤンデレ騎士団を率いることになった件。』

という新作も同時連載中です。

興味があれば読んでみてください。

https://kakuyomu.jp/works/16818792436369285224

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