Welcome とゅー ザ あべこbe ワールド
揺らぎ
第1章 逆さまの迷宮
おむすび ころりん、スットントン……。
庭で遊んでいると、背後から不思議な歌が聞こえてきた。振り返ると、突然、地面に大きな穴が現れた。その中から同じ歌がまた響いてくる。
「少女がころころスットントン…少女が穴から落ちてきた……」
好奇心に駆られ、恐る恐る穴を覗き込んだ。次の瞬間、足元が崩れ落ちた。暗闇の中で体が宙を舞い、頭が下向きになる感覚に襲われる。
恐怖と混乱の中で、手足をばたつかせながら、
「ここはどこ?」と震える声で呟く。
気がつくと、天井に立っていた。周囲は波打つように揺れている。
「どうして……」
困惑しながら一歩踏み出すと、足元がふわっと浮き上がる。すると、目の前の壁からニヤニヤ笑うチェシャ猫が現れた。チェシャ猫の付けている銀の鈴が鳴り響く。
「新参者が方向音痴だにゃ。ここじゃ右は上、上はお腹ぺこぺこだぞ」
チェシャ猫はしっぽを振りながら言った。
「そんなこと言われても……」
意味の分からない言葉に眉をひそめながらも、目の前に広がっている薔薇の壁を見つめた。6枚、5枚、4枚……花弁が一枚ずつ散っていく中、何かの光が花の奥にあるのに気づく。後の1枚が散ると緑色の光る小石が現れた。
小石には文字が浮かび上がっている。
「木の下って……」
天井に突き刺さった逆さまの木を見上げた。根元には小さな青い扉があるのが見えた。
深呼吸をして扉を開けると、鏡の海が広がっていた。足元が鏡に映り、姿が逆さまになる。
「どうやって進むの?」
戸惑いながら呟いた。どこからかチェシャ猫の声が響く。
「自分自身を信じることが大事にゃ。自分の影を見つめてみな」
鏡面に映る影を見つめるうちに、ふと何かが閃いた。覚悟を決めて、大きく息を吸い込み、鏡に向かって走り出した。鏡が割れ、白い光が広がる。
目が覚めると、何もない真っ白な空間にいた。またあの不思議な歌が聞こえた。
「おむすびころりん、ぽんぽんぽん……」
どこから聞こえるのかと耳を澄ませる。下に落ちている、小さな鏡から音がしているようだ。
摩訶不思議であべこべな意味のわからない世界に少し不安を抱える。
「また、あの世界に戻るのかしら?」
と小さな鏡に手を伸ばすが、寸前で尻込みする。
しかし怖気づいていても仕方がないのだと、決意を固めた。
「もっと賢く、勇敢に立ち向かうわ!」
指先が鏡に触れると、また新たな冒険が始まった。
足元がふわりと浮いた。心臓がドキドキして、息が詰まる。またこの逆さまの世界に戻ってきたんだ。
今度は方向感覚が完全に逆転していた。北が南、東が西になる中、迷宮のような道を歩き始めた。
途中、鈴の音が風にまぎれて響き、その音とともにチェシャ猫の笑顔が木の上に現れた。
「影が二つあるってどういうことだい?」
考え込みながら進んでいると、気づいた。自分の影が二つ、一つは普通に、もう一つは逆さまに映っていた。その瞬間、全てがつながった。
「影は二つ……だから、自分自身と向き合わなければならないんだ!」
決意を固めて進むと、大きな扉が現れた。開けると広大な庭園が広がり、再びあの歌が響いていた。
「おむすびころりん、スットントン……」
笑顔で一歩踏み出すと、突然足元が揺れ始めた。周囲の景色が歪み、巨大な鏡が立ち塞がった。チェシャ猫の声が再び聞こえた。
「最後の試練だにゃ。自分の心を見つめろ」
鏡の中には、怯える自分の姿が映っていた。深呼吸をして、怖がらずに前を見据えた。
「私は強く、勇敢になれる」
その言葉と共に、鏡が割れ、道が開けた。
しかし、まだ終わりではなかった。鏡の向こう側に飛び込むと、再び逆転世界に足を踏み入れた。今度は迷宮の奥深くへ進む決意だった。
――――――
体がふわふわと宙を漂う感覚。耳に響くのは聴き慣れてきた不思議で陽気な調べだ。
「少女がころころスットントン……少女が穴から落ちてきた……」
何故か羽毛のベッドに横たわっているような浮遊感がする。目を開けると、空が足元に広がっていた。
「また落っこちてきたの?」
チェシャ猫の笑みが目の前に浮かんでいる。でも、その枝は天井から生えている。いや、天井なんて存在しない。四方八方が森の景色で、地面と呼べる平面は見当たらない。
よろめきながら立ち上がろうとする。右足を踏み出すと、視界がぐらりと回転した。
「本当に全てがあべこべなの?」
チェシャ猫のしっぽがくるりんと回る。
「ここでは右を見上げ、上を歩くのさ。ただし月曜日と金曜日は東西逆転だから要注意だぜ」
前方に三つの扉が現れた。松・竹・梅の木札がぶら下がっている。松の扉に手を伸ばすと、札が梅の扉に張り付いた。
「選択肢変わるの!?」
「選ぶ前に選ばれる、これがあべこべの基本」
チェシャ猫の声が鈴の音と共に、風に乗ってくる。竹の扉の取っ手に触れた瞬間、足元が凹んだ。頭上の苔むした石畳が近づいてくる錯覚に思わず後退る。
「左に行けば上に、下を見れば右が見える」
独り言のように唱える。掌で額を押さえつつ、思い切って松の扉に飛び込んだ。体が回転する感覚の中、最初に消えた松の札が梅の扉の裏側に透けて見えた。
次の部屋には七つの時計が逆回転している。
チリンという音とチェシャ猫の影が壁を横切り、
「時間は後ろ向きに流れるけど、思考は前へ進めなきゃね」と囁く。
最も遅い時計を止めると、天井にハートの鍵穴が浮かび上がった。
突然現れた帽子屋が紅茶のポットを振り回す。
「その鍵は昨日のクロケット用だよ。今日のはマーマレード樽の底にあるはずさ」
ため息をつきながら袖をまくると、肘にかかったリボンが蝶々のように舞い上がった。視界がひっくり返るたびに、過去の選択肢が壁に投影されていく。松・竹・梅の扉が無限に連なり、決断の痕跡が道標となる。
「分かったわ」
そう言って駆け出した。右腕を天に突き上げ、左足を斜め後ろへ踏み出す。空間が折り畳まれ、最初の部屋に戻ってきた。チェシャ猫が拍手している。
「見事な逆方向ショートカット!」
木の扉の縁に光る脈を見つけた。メロディーを口ずさみ、リズムに合わせてノックすると、「スットントン」と応答が返ってきた。鍵穴が虹色に輝いた瞬間、全ての扉が一斉に開いた。
チェシャ猫が消えかかりながら囁いた。
「選択しないという選択こそが、あべこべ世界の最高の逆説だもの」
足元に通常の重力が戻り始める。落下感覚の中、最後に見たのは逆さに生えた白いバラだった。
次に目を開けると、また新しい逆転世界の入り口に立っていた。
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