第5話 保育園への第一歩

 シンは、叔父である自分にもまともに懐かないモレナを初対面で抱っこしたマリーを真剣なまなざしで見ながら、その言葉を繰り返す。


「ほいくえんで働きたい?」

「そう、保育園で働きたいの。大丈夫! 経験はあるから、すぐにでも働けるわよ」


 マリーは得意げに言うと、シンは不思議そうな顔をして尋ねた。


「ほいくえんってなんだ?」

「保育園は保育園よ。子供預かって、面倒を見る所よ」

「それって、親の役目だろう。もしくはベビーシッターだろう」

「そうね。でも子育てってあなたが思っているよりずっと大変なのよ。それにベビーシッターって、お金がかかるから、普通の人には金銭的にきびしいのよ。だから、多くの子供を一カ所で面倒を見る方が効率的なのよ」

「マリー、お話難しくて、モレナわかんない」


 マリーの肩にちょこんとアゴを乗せているモレナが不満の声を上げる。

 そうだった、先のことは後からゆっくり話せば良い。今の自分の役目は全力でモレナと遊ぶことだと思い直したマリーは、モレナにおでこをちょこんと合わせる。


「ごめんね、モレナちゃん。何して遊ぼうか」

「えっと、えっと、モレナね……」


 初対面のモレナと仲良く遊び始めたマリーを見て、シンの姉は不思議そうに弟に尋ねた。


「おい、シン。この子は誰?」

「ああ、さっき海岸で拾った”捨て人”だよ。なんか、面白そうだから拾ってきた」

「……信用できるんだろうな」

「俺の言葉より、愛娘の態度を信用したらどうだ?」


 シンは楽しそうにマリーと遊ぶ、姪っ子を見ながら答えた。

 その笑顔は心を許した人にだけ見せる、満点の笑顔だった。

 そして、同じように緊張がほどけたマリーは、シンの姉に話しかけた。


「お母さん、モレナちゃんが食べられないものとか、疾患とかありますか?」

「特にないわよ。健康そのものよ。それと私の名前はレベッカよ。じゃあ、娘をよろしくね」

「わかりました、レベッカさん。ほら、モレナちゃん、ママがお出かけよ」


 マリーがそういうと、モレナはちょこんと立ち上がると、とことことレベッカのところに近づいた。

 レベッカは『ママ、行かないで』と泣き始めるのではないかと心配する。モレナは一度、泣き始めるとなかなか泣き止まない。これから大事な会合に出なければならなく、時間がないのにそれは困る。

 しかし、そんなレベッカの心配は杞憂に終わった。


「ママ、行ってらっしゃい。モレナ、マリーと一緒に遊んでるね」

「え、ええ。じゃあ、いい子でね。愛してるわよ」


 そう言って、レベッカは会合に行ったのだった。

 そうして、レベッカが戻ってくるまで、マリーとモレナは散々遊び尽くした。

 その上、レベッカが戻ってきても、『モレナ、帰らない』とだだをこねるほどで、疲れ果てたモレナが眠ってしまうまでシンの屋敷にいたのだった。


~*~*~


「シン、保育園を作りたいのだけど、どこに相談に行ったら良い?」


 通常、保育園を作ろうとした場合、役所に相談するのだろうが、はっきり言ってここではどうしたらいいかわからない。

 だったら、ここのことをよく知っているであろうシンに聞くのが一番だろうと、朝食をとりながらマリーは尋ねた。

 ちなみに昨夜は、マリーが危惧していたことなど何もなく、マリーは与えらえれた部屋で朝までぐっすりと眠ることができたのだった。

 そんなマリーの質問に、シンはスクランブルエッグを乗せたトーストを飲み込んで答える。 


「そんな所はない。昨日、保育園について、どんな物か聞いたが、そんな物はここにはない。無いから相談出来るような所はないぞ。だから、好きに作れば良いんじゃないか?」

「じゃあ、形を作ったあと、承認してもらえば良いかな。まずは場所がないことには、話が進まないよね」

「部屋か?」

「ええ、ただ部屋があれば良いだけじゃないわよ。最低、個室と体操が出来る広間、それに子ども達が走り回れる庭がいるのよ」


 ミルクたっぷりの甘い紅茶を飲みながら、しばらく考え込むと、シンは明るく答えた。


「あるぞ。個室はもちろん、ダンスホールに庭つきだ。よし、今から見に行くか」

「え!? 今から?」


 これだから陽キャの行動力は怖いとマリーは思いながらも、連れられるままに街に出る。昨日とは違って二人で町中を歩くと、街の人々はシンに対して気軽にあいさつを投げかけてくる。その隣にいる人間であるマリーのことなど、全く気にする様子もなく。

 昨日、馬車の中で心配していたことが馬鹿馬鹿しくなるような、街の人々の気さくさにマリーは驚いた。

 しかし、それはシンと一緒にいるからだからか、もともと街の人々がそうだからなのかわからないまま、ある屋敷の前に到着する。

 その大きさと豪華さにマリーがあ然としていると、シンは気軽に門を開けてマリーを中にいざなった。


「ここなら、条件に合うんじゃないか?」


 綺麗に手入れされ、色とりどりの花が咲いている庭には、ガーデンパーティーが出来るようなスペース。屋敷の中にもパーティールームや、ダンスホールがあり、二階には宿泊も可能な個室が完備されている。

 明らかに高貴な客をおもてなしするためのゲストハウスだと、マリーは気が付いた。


「いやいや、ここは贅沢すぎるでしょう」

「こんな街中につくって、たまにしか使わないなんてもったいないだろう。せっかくだから使ってくれよ」

「使うって言っても、庭も室内も子ども達が好き勝手に動き回るのよ。こんな高価な品々が壊れでもしたら、弁償なんて出来ないわよ」


 十分な教育が行き届いた淑女紳士を迎え入れる設備に、自由気ままな子ども達を解き放ったら目も当てられないことになる。汚し、壊し、傷つける。こんな所を保育園にしたらマリーの寿命がいくらあっても足りない。


「そうか? じゃあ、マリーの好きなように改造したらどうだ? 言ってくれれば大工を呼んでおくぞ。彼らに指示してくれれば、ほとんどやってくれるからな。腕もいいし」

「……ねえ、シン」

「なんだ? マリー」

「なぜ、あなたはここまで、私の世話を焼いてくれるの?」


 マリーはたまたま会っただけの人間に対して、獣人のシンが住むところを提供してくれるだけでなく、何かと世話を焼いてくれることが不思議でしょうがなかった。その上、夜も特に手を出してくるでもなく。

 その上、シンは保育園が何かよくわからないにもかかわらず、手助けしてくれる。

 身寄りの無い女性を可哀想に思い、生活を見てくれるのは、彼のきまぐれか金持ちの道楽なのかもしれない。

 しかし、この立派な屋敷を庭ごと保育園にするとなると、話は違ってくる。

 気まぐれでどうにかなるレベルではない。

 裏がある。

 伯爵令嬢としてのマリー・アーネットの本能が叫ぶ。

 マリーに取り入ることで、このゲストハウスなどくれてやっても良いほどの利益が転がり込んでくると、シンは考えているのだろうか。元貴族令嬢であるマリーにそれほどの価値があると。しかし、元貴族だとはシンには話していない。そもそも元貴族だとしても、ここに流された時点で、マリーには何の力もないことは、シンもわかっているはずだ。この男は何を考えているのだろうか?

 そんな、マリーの考えを見通したように、シンはニヤリと笑って答えた。

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