その翡翠き彷徨い【第38話 993年、冬】

七海ポルカ

第1話



 聖キーラン暦993年、冬。



 その年の冬の訪れはとても早く、まだ樹々が紅色を残しているうちにサンゴールには雪が深く積もり始めていた。

 国立魔術学院は一年最後の総学試験を控え、学生達にはいつもの活気はなく院内まで雪に埋もれたようにシン……とした空気が張りつめている。

 魔術学院の学生にとってこの一年最後の総学の試験は特別な意味を持つ。

 一年の総合判断が下るこの試験によって、宮廷魔術師団への推薦状が送られる学生が選抜されるのである。

 推薦状が得られるというだけで宮廷魔術師団入団の試験は別に設けられるのだが、とりあえずこの総学試験で一定の成績を収めなければ、宮廷魔術師選定試験すら受けさせてもらえないのだ。


 よって宮廷魔術師を目指す学生はもちろんのこと、ここで優秀な成績を収めると来年度における自分の進路が大きく異なって来るために気は抜けないのである。

 もっとも、この一年の終わりともなれば新入生も総学のテストを何度も経験して、この魔術学院の教育方針がどんなものか身を以て理解するようになっている。すでに浮ついたような学生は消え、一年で最も魔術学院が純粋なる知識の使徒達の学び舎へとなる時期だった。


 メリクはその日、魔術学院の寮の窓辺に座って雪に埋もれるサンゴール城を遠くに見上げていた。


「メリクー 待たせて悪い、準備出来たぞ行こう」

「あ、うん」

 同室の友人イズレン・ウィルナートが厚手のコートを羽織りながら顔を出した。

 二人で部屋を出て鍵を閉めながら話す。

「う~っ寒いなぁ。今年の冬始まってすぐこんなんでこの先どうなるんだよ……ぶえーくしょ!」

「風邪引かないでよイズレン、総学の試験もうすぐなんだから……体調も整えないと」

 メリクが豪快なくしゃみを飛ばしている友に笑いながら、自分のマフラーをかけてやった。

「ありがとう。へへっ総学終わったらさ、また皆で集まろうな」

「うん」

「それとさ、メリクお前年明けに……」


 イズレンが鍵を上着にしまって二人歩き出した時だった。

 前方の方から突然四人ほど、黒い官位服姿の男達が独特の金属めいた足音を響かせながら、寮の廊下を歩いて来ることに気づいた。

 寮内の学生達も何だ何だという目を向けている。

 彼らはメリクの目の前に来ると公官らしい一礼をしてから、一枚の書簡をメリクに対して提示して来た。


「サダルメリク・オーシェ殿。貴方に謀反の嫌疑がかかっていますので、王宮査問会への出頭命令が裁判所より出されております」


 メリクは目を瞬かせた。

 隣のイズレンは呆気に取られてぽかん……と口を開けている。

 周囲にいた学生の間からざわっと波打つようなざわめきが生まれる。

「謀反……」、そんな驚いたような声が聞こえた。


「……謀反の嫌疑とは?」


 メリクが一呼吸後落ち着いた声で聞き返した。


「私を査問会に告発したのはどなたですか」

 メリクが非常に冷静な応対だったので、イズレンの方がその遣り取りにこそ驚いたほどだった。


「先だって執り行なわれたメルローでの神儀において、王族の命を狙う謀反計画が明るみになりましたが、その際未然に防ぎ拘束された者の口から貴方の名が出ています。これは審問ではないので、これについては貴方ご自身の口から査問会で弁明されればよろしいが、現在査問会に必ず臨席されるべき女王陛下は、外遊に出られておりますゆえ帰還される二週間後まで、その身柄を私達査問官が監視させて頂くことになります。よろしいですね」


 有無を言わさずよろしいですねと言って来た査問官に、横で呆然としていたイズレンがハッと我に返る。

「何言ってんだ、冗談止せよ。謀反なんかメリクが企てるわけないだろう。こいつはその女王陛下の庇護で育って来たんだぞ」

「ですから弁明は査問会でなさればよろしい。これも取り決めですので」

「馬鹿言うなよ。いきなり何なんだあんたら。役人なら今、魔術学院がどういう時期が分かってんだろ。総学の試験が一週間後に始まるんだよ。俺達はあんたらなんかに構ってられない。メリク、行こうぜ!」

 イズレンがメリクの手を取って怒ったように歩き出したがザッと男達が行く道を遮る。


「出頭命令状も正式に出ておりますゆえ、我々には貴方の身を確保出来る権限があります。抵抗しないでいただきたい」


「いい加減にしろよ! メリクが王家に謀反なんか企んで何の得があるんだ! 

 密告なんか知るかよ馬鹿野郎! ちっとはその頭で考えてから物言えよ! 

 こいつ連れて行きたいならまずこいつを密告した馬鹿を俺の目の前に連れて来い!」


 イズレンが怒って目の前の査問官を突き飛ばすと、両脇にいた二人が剣を鞘のまま腰から引き抜き、それを使ってガッと廊下の壁にイズレンの両肩を押さえつけた。


 査問官は王立軍部学校と神学校の二つで、一定の評価を得た者から選抜される特別な役職である。彼らはつまり軍人と神官の二種の称号を異例に与えられる存在であり、宮廷魔術師同様王の直轄になる。


 普段は王立裁判所で法政に携わっている者達だ。


 似た官職に大神殿の異端審問官があるが、こちらは大神官の直轄になり神職の者を裁く権限が与えられている。

王宮査問官おうきゅうさもんかん】がこうして派遣される場合、多くは対象が大きな政治犯の疑いがある時とされている。



「やめてください!」



 メリクが査問官の一人の前に進み出た。

 そして彼の目を見たままイズレン達の方を指差す。

「彼は全く関係ない。手荒なことはせずに今すぐ剣を引いて下さい」

 男達が無言のままイズレンからゆっくり剣を引く。

 イズレンは喉を掌で押さえたまま立腹したように乱れたコートを直した。


「……このことを、……第二王子殿下は何とおっしゃっているのですか」


 メリクが尋ねるとイズレンがそうだと言わんばかりにメリクの隣に立って、腰に両手を当てる。

 女王の不在がなんだ。

 メリクはあの第二王子の唯一の弟子なのである。弟子がこんな扱いをされて黙っているはずが無い。イズレンはそう思った。

 あの第二王子の気難しく厳格な気性はサンゴール王宮、いや王都全ての人間が恐れる存在なのである。


 しかし査問官は平然とした顔で答えた。


「無論、殿下にもすでにこのことはお伝えしております。

 あの方は万事我々に任せるとお答えになられました」


「……何だって?」


 イズレンが顔色を変える。

 メリクはじっと床の模様を見つめていたが、それを聞くとやがてゆっくりと頷いた。


「分かりました。好きなようになさって下さい。私は誓って謀反などには関わっていません。陛下がお戻りになれば、自然と嫌疑も晴れると思います」

 査問官は頷いた。


「ではこの時間より二十四時間我々の監視下に入っていただきます」


 三人の査問官がメリクの側に立った。

「おい冗談だろ。こんなの引っ付いてたら勉強も何も集中出来ないだろ!」

 イズレンが文句を言う。しかしメリク自身がイズレンの肩を軽く叩いて彼を制する。


「イズレン、ごめん変なことに巻き込んで。この人達からもう少し詳しく話を聞いてみるから先に行っていて。講義には必ず行くから……」



「……メリク……」



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