十四、
曰く、奥森では子が消える。
曰く、奥森には獄女が住まう。
曰く、獄女の祟りは気が狂う。
これらの曰くは、獄女蛇と呼ばれる新種の毒蛇によるもの。
「手帳の写真、残ってるか?」
「いや……」
僕の問いかけに短く応じた智也が、髪を掻き上げる。
「意図的に誰かに消された、ってことだよな」
「たぶんな。だがそこは智也さん。無理やり思い出してやるさ」
そう呟いた智也が、ふらふらと歩き出す。必死に失われた、変えられた過去を思い出そうとしているのだろう。
「整いました!」
「さすが」
「まずは情報のすり合わせだ。話しながら細部を思い出すかもしれない」
ふらふらと歩いていた智也が足を止め、同意を求めるように視線を向けてきたので頷く。
「……俺らの記憶が改竄されてるのは、獄女蛇から抽出したViratoxin-Xを使用して作られたViratoと、脳神経管理システムNEUSによるもの」
「そこ、までは僕もなんとなく思い出してる」
「NEUSってのはさ、Viratoxin-Xで変質した脳の神経回路を制御するために作られたナノマシンシステムだ。つまり獄女蛇に侵された脳の神経系を制御するために開発された。その開発に成功したことで、獄女蛇による神隠しは激減──ってわけだな」
智也の言葉に触発されるように、僕の頭の中にも当時の記憶が蘇ってくる。「そのNEUSの開発者が──」と口を挟むと、智也は「Yes!」と言って指を鳴らした。
「長谷川の父だ。そもそも長谷川家は山園村の怪異、獄女蛇の研究のためにこの地に移り住んできた一族。だからこの地を離れない。佐伯さんも外来研究員として関わっていた」
「だけど佐伯さんは──」
再び僕が口を挟むと、智也が「Yeah! That's great!」と指を鳴らす。ウザすぎて、「ウザ」と本音が漏れてしまった。
「佐伯さんは騙されていたんだ。NEUSは獄女蛇の被害を減らすために開発されている、ってね。実際はViratoxin-Xを使用して作られたViratoを人体に投与し、脳神経管理システムNEUSによって記憶の改竄、支配を行うもの。だけど佐伯さんは疑ってはいた。表向きではない極秘の研究施設があるはずだ、ってな」
「つまりあの日、佐伯さんは調査のために山園村を訪れて──」
言葉の途中、智也と目が合ったので、「ウザ絡みしたら殴る」と釘を刺す。おそらく指を鳴らそうとしていた手で髪を掻き上げ、話し始めた。
「まあつまり、鶏首山のどこかに極秘研究施設の入口がある。そこで開発されていたのがViratoxin-Xを使用して作られた薬物、VT-13、通称Virato。Viratoを投与された人物の脳、側頭葉や海馬、扁桃体が特定音源に反応するようになる。その反応を微弱電流でコントロールするのがNEUSってわけだ」
「……NEUSは特定音源を任意の音源にすることを可能にする」
「そそ。もっと正確に言うと──ある人物の声に対して、だな。要するに、設定された声に対しては逆らえなくなる。命令されれば従ってしまうし、記憶の改竄も可能」
「それで山園村──いや下園町も、長谷川家によって管理……、いや、洗脳されていた、ってわけだな。いわばこの山園村は、巨大な実験施設として機能していた」
「基本的に記憶の改竄を施すのは高校卒業前くらいだったみたいだな」
「成長期の脳への負荷を考慮して──だったか?」
「まあ親が洗脳されてるなら、子供はそのタイミングでもよさそうだ」
誰もが記憶を改竄されていた。もしかすれば、長谷川家が懇意にしている議員というのも──
「……問題はこの佐伯さんも知らなかった真実を、俺たちがなんで知っているか──だな」
智也がまたふらふらと歩き始める。
「智也も……思い出せないのか?」
そう訊ねながら、自分の中の違和感を改めて噛みしめた。ViratoやNEUSに関する情報は思い出せた。けれどそれをどこで、どうやって知ることになったのかが、すっぽりと抜け落ちている。
「そうなんだよ。その部分だけ、まだ靄がかかったみたいに見えないんだ」
智也の声にも迷いがあった。いつものように茶化すこともなく、眉間に皺を寄せたまま歩き回り、何かを掴もうとしているようだった。
「なんか簡単に思い出すスイッチでもあれば──」
なんとなく呟いた適当な僕の言葉。その瞬間、「That's it!」と勢いよく叫んだ智也が、思い切り指を鳴らした。
その顔は得意気で、引っかかっていた何かが繋がったような、そんな表情。
「そりゃそうだよ。極秘研究施設があるって分かって、俺が黙ってるわけない。探し出したんだよ俺らは。中学に上がってすぐ、鶏首山の奥で。……ほら、あの、大岩の横にあっただろ? 巨木のうろの中の──」
「スイッチ!」
今度は僕が叫び返してしまった。思わず、右手の指を鳴らす。こすれた指が心地いい音を立て、智也と目が合った瞬間、「だよな!」と同時に声を重ねた。
あった。確かに、あった。
鶏首山の奥、沢を越えた先にある大きな岩。その横にそびえる幹の裂けた巨木のうろに、細く銀色の何かが見えていた。木の中にあるはずのない異物。
「押した、よな……俺たち」
「うん……たしか、押した。何度も迷ったけど……最後には、押した。智也がここまで来たら押すしかないって言って」
言葉を重ねるたびに、記憶がざらざらと戻ってくる。断片だった記憶が、ひとつの映像として繋がっていく。冷たい金属の感触。湿った木の匂い。スイッチを押した直後の、空気が反転するような圧。目の前に現れたエレベーター。それから、それから──
──知られてしまったからには仕方ない。少し脳に負担はあるが……。
脳内で再生された長谷川さんの父、
──ここでのことは、誰にも言うな。
──定期的なデータ収集をさせてもらう。
──倫理など問題にならん。これは人類のための研究だ。
──ほう、坂崎の倅は感情が鈍化したな。やはり子供の脳には負荷が強いか。ただ、野瀬の倅は記憶力が向上している。
──ゆくゆくは子供の脳にも負荷なく施術を行えるようにしたい。
──結月も加えて十五人目か。ひとまずこの子らをサンプルとして実験を続けよう。
次々と過去の長谷川さんの父……、いや、嵩月の言葉が鼓膜の記憶を打つ。
「そう、だ……」
僕たちは研究施設の入口を見つけ、すぐさま職員に捕まった。そうして嵩月の元まで連れていかれ──
ViratoやNEUSによる洗脳を受けたのだ。
「ある程度記憶が繋がってきたけどさ……」
思い出した記憶を智也と共有し、ある疑念を口にする。
「……嵩月が言ってた十五人のサンプルって──」
言いながら智也を見ると、いつになく真剣な表情で頷いた。
「直央が思ってる通り、この学校に閉じ込められてるやつらだ。嵩月は狂ってる。娘まで被検体に加えたんだからな。ただ、閉じ込められたのは十六人。数が合わない」
「そこ、だよな。被検体のメンバー、ちゃんと覚えてるか?」
「何人か、だな。そもそも誰が被検体かは聞かされてなかったし、データ収集の時間もばらばら。とりあえず知ってる限りでは長谷川結月、東雲美桜、西野悠馬、高梨里帆、桜井悠里、伊吹玲奈の六人と、俺ら二人を合わせて八人。半分が一致してるとなれば──」
言いながら智也がふらふらと歩き回る。「いや、だけど」「そもそも」「いやいやいや」と呟き、こんな時は邪魔をしないのが一番だと理解している。
しばらくして、智也が口を開いた。
「学校に取り残されたメンバーの共通点はおそらく実験の被検体、及び綾香に恨まれていた人物。もしかすれば一致しない一人は、実験の被検体ではないが綾香をいじめたことがある人物、なのかもしれない。ただ色々と違和感も残る」
「違和感、聞かせてもらっても?」
「一つ、まず直央が入っていることが解せない。俺の記憶、いくら掘り返しても直央が綾香に恨まれる要素が見当たらない」
「やっぱりそう、だよな。僕も本当に身に覚えがないんだ……」
次々と思い出していく記憶。その中に、やはり綾香をいじめた、もしくは恨まれるような記憶はない。無自覚に──ということも有り得るが、それでも自分では思い当たらない。
「これに関しては無自覚に──ということも有り得はするが……、俺はないと思っている。直央はそんなやつじゃない。だろ?」
智也の言葉に、目が潤む。けれど、それを言うなら──
「智也だって、自分の意思で綾香をいじめたわけじゃない。どの口が──とは言われるだろうけど、疑って悪い。智也は、そんなやつじゃない。だろ?」
今度は、智也の目が潤む。髪を掻き上げたあとで拳を握って伸ばしてきたので、そこに僕の拳を合わせた。「Hey Brother」という震えた智也の声に、胸が詰まる。
「……俺が綾香をいじめたのはViratoやNEUSによる命令、だ。……けどさ、あぁ……くそ、まじで、まじでさぁ……」
ごめん綾香と呟き、智也の目からぼたぼたと涙がこぼれ落ちた。膝から崩れ落ち、嗚咽する智也の背中が小刻みに震える。
しばらくして立ち上がった智也が、ざっくりと髪を掻き上げて「悪ぃ」と呟く。
「……たとえどんな理由であれ、俺は綾香に最低な行為をした。謝って許される問題じゃないことも分かってる。ただ……、それが二つ目の違和感でもあるんだ。変、だと思わないか? 高一になって急に始まってるし、嵩月がそんな命令出すか?」
そう、僕も違和感を覚えていた。
「それは僕も思う。大事な実験でそんな馬鹿みたいな命令出すのかってところに違和感は残るよな」
「だろ? やってることが子供っぽいよなぁ。それに高一になってからさ、俺らの頭から実験に関する記憶が消されてる。今思い出してるのは小学校と中学校での記憶だ。小中時代はさ、実験されてた自覚も記憶もあったろ? けどそれが高校に入ってからすっぽり抜け落ちてた。つまり高校に入ってから洗脳強度? って呼んでいいかは分からないけど、それが上がった……んだと思うんだよ。しかも『綾香をいじめる』ってわけ分かんない方向でな」
「急激な方針転換だよな」
「もしかすればさ、嵩月は長谷川のためにやった──とか? ほら、こう言うのもあれだけどさ、長谷川って俺のこと好きだっただろ?」
「自分でそれ言うか? ……まあでも、それは有り得るよな。ただ有り得るってだけで、嵩月がそんな幼稚なことをするようにも思えない。となれば──」
「実は嵩月の裏に長谷川がいて、長谷川が嵩月を洗脳している──とかか? それならやってることの幼稚さに説明はつくが……、正直、長谷川がそんなことできるようには思えない。それにそもそも長谷川は被検体だ。やっぱり娘のためにやった──と考えた方がしっくりくるな」
「しっくりくる気はするけど──」
「騙されないぞ!」
「こんな時にふざけるなよ」
「いやいやふったのは直央きゅんでしょうが!」
「たしかに」
しっくりくる気はするけど騙されないぞ、という流れは、少し前に流行ったお笑い芸人のネタ。納得いかない時に、よく智也とこの掛け合いをしていた。
「そもそも、さ。娘を被検体にするようなやつが娘のために──ってのも変じゃないか? 正直、嵩月や長谷川さんじゃない黒幕がいるって僕は思ってる。智也もそう思ってるんだろ?」
「あれ、バレてた?」
「お前が有り得ない推論を並べ立てる時はさ、自分の中の答えを補強したい時だろ?」
「はは、さっすが直央ちゃむは俺のこと分かってますねぇ」
「勝手に人の名前ギャルっぽくするなよ」
「とまあ、ふざけるのはこれくらいにして、黒幕説は頭に入れとかないとな。これはただのいじめじゃない。洗脳されてたにも関わらず、直央だけ知らなくて、直央だけ綾香をいじめていないってのも引っかかるしな」
「僕が黒幕……ってことはないよな? 実は綾香に──」
──ゆるさ、ない。おまえだけ、は、ゆる、さない。さいご、まで、くるし、め。
教室で綾香に襲われた際の言葉を思い出す。焼け爛れた顔で、憎悪の目を僕に──
本当に、本当に僕は、綾香に何もしていないのだろうか。自信が、ない。綾香に言われた言葉を智也に伝えようとして、言葉に詰まる。
「実は綾香に?」
「ああいや……、僕も洗脳されてたわけだし、自信がなくなってくるよ。やっぱり思い出してないだけで、実は綾香に何かしたんじゃないかなって」
言うのが怖くて、誤魔化してしまった。智也に視線を向けると、ゆるゆるとかぶりを振った。
「黒幕に関しては考えても答えは出なそうだからひとまず保留だ。そのうち高校での消された記憶も思い出すかもしれないしな」
「そう、だな」
誤魔化してしまった罪悪感から、智也の顔が見れない。言うなら今だ、今言わなければ──と思いはすれど、言葉が出てこない。そんな中、いつになく真剣な表情になった智也が口を開く。
「……ここまでの流れを踏まえれば、俺らが助かる道は切り開けるかもしれない」
「え?」
予想外の言葉に面食らう。助かる、とは?
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