第14話 決別
志明との別れから、三か月。
真衣は、彼の仕事場にいた。
生前、志明は家を売却しろと言っていた。でも、真衣は処分することができなかった。
皇族だった和泉宮正志が、『作家志明』として生きた証が失われてしまう。
それだけは、どうしても受け入れることができなかったのだ。
和泉宮正志が亡くなり、同一人物である志明もこの世にはいない。
ひと月ほどで未亡人となってしまった真衣だが、夫である堀田誠司(志明)の死亡を証明するものは何もなく、今も書類上は婚姻関係が継続されている。
そのため、目下の悩みは、定期的に入ってくる印税の取り扱いだった。
◇
志明の遺品はすべて真衣の家で大切に保管されているため、この家には空になった書棚や座卓などの家具しか残されていない。
それでも、真衣は店の休業日のたびにここを訪れては掃除をし、家から持参した本を読むことが日課となっていた。
「ついに、読み返しも終わっちゃった」
志明から譲り受けた初版本を出版順にゆっくりと読み進めていたが、ついに読み終えてしまった。
今日読んでいたのは、真衣が志明の代理として版元に持ち込んだ本の初版本だ。未完の作品を除けば、志明の遺作となってしまったもの。
店主の真田からいろいろとダメ出しをされたことが、つい昨日のことのように思い出される。
「あちらの世界では、許婚の方と幸せになっているといいな……」
正志の死後、彼に関する様々な記事が紙面を飾っていた。
そのほとんどが許婚との逸話で、真衣もハナが持ち込む各紙をすべて読ませてもらった。
記事によると、二人は政略結婚となるのだが周囲に仲睦まじい姿を見せていたとのこと。
婚姻の儀も間近と言われていた中で起きた今回の悲劇に、関係者だけでなく国民も嘆き悲しんでいた。
「志明さんは、許婚の方が心配だったのね」
急に姿を見せなくなった時があったが、きっと許婚のもとへ行っていたのだろう。
理由があったとはいえ、形だけでも志明と夫婦になっていたことが、とても申し訳なく感じてしまう。
「それにしても、人を使うことが上手な殿下だったわね」
クスッと思い出し笑いをした真衣は、本をしまうと立ち上がる。
次の休業日は友人の恵美との約束があり、ここへ来ることができない。
そのため、今日は家中の窓を全開にして入念に空気の入れ替えをしていたのだ。
家の戸締りをすべて終えたころ、真衣のお腹がグーと音を立てた。
今朝、朝食を食べたあとは何も食べないまま、もうすぐ夕刻になろうとしている。
読書に夢中になるあまり食生活を疎かにしていることを、君江だけでなく志明からも注意をされていた。
心の中で「志明さん、ごめんなさい」と猛省しつつ、真衣は玄関の引き戸を開ける。
玄関先に、耕一と鈴代が立っていた。
◇
「良かった、ここに居たのね。想像より遥かに小さい家だけど、別宅なのかしら……」
「店にいなかったが、今日は貸本屋の休業日なのか?」
「そうですけど……お二人は、どうしてここをご存じなのですか?」
志明の仕事場の場所は、誰にも話していない
それなのに、耕一と鈴代はなぜ知っているのか。
「明夫が調べてくれたのだ。叔父が姪の嫁ぎ先のことを把握するのは、当然だろう?」
「ですが、私はもう村雲家とはとっくに縁が切れています」
他でもない。耕一自身が言った言葉だ。
「あの発言は、撤回する。おまえは、今でも村雲家の人間だ」
「だからね、お金を貸してもらえないか旦那に頼んでほしいのよ」
「売り上げが減って、店の運転資金が底を尽きそうなのだ。おまえも村雲家の一員なのだから、協力するのは当然だろう?」
「…………」
この二人は、昔から当たり前のように自分の都合を押し付けてきた。
真衣の都合など、一切お構いなし。
いつだって、自分たちが中心だ。
叔母や明夫は、そんな二人の行動を止めることもしない。いつだって、無関心。
「とにかく、旦那に会わせてくれ。私のほうから、融資をお願いする」
「金持ちなんだから、問題ないわよね? 君江伯母さまにだって、貸していたのだし」
今後も、この関係が変わることは決してないだろう。
これまでは、命令されることに
君江も志明もいなくなってしまった今、真衣を守れるのは真衣自身しかいない。
「お断りします」
自分でも驚くほど、すんなり言葉が口をついて出た。
「……えっ?」
「なに!?」
「お金を貸すことはできません。あと、縁は切れたままで結構ですので」
志明のお金は、志明だけのもの。これからも、それは変わらない。
以前は生活費などを貰っていたが、今の真衣には貸本屋の収入がある。
一人暮らしであれば、十分暮らしていける。
言いたいことを告げると、真衣は家に鍵をかけ帰途につく。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
「金を貸してもらわなければ、店が潰れる。もしかしたら、鈴代が身売りすることになるかもしれないのだぞ!」
「……私は
真衣の同情を買おうとしたのだろう。
しかし、心には届かない。
もう、自分を束縛するものは何もないのだから。
振り向きざまに、以前、耕一から投げつけられた言葉を言い返したら、少しスッキリした。
◇
家に戻ってきた真衣は、店の前に人が立っていることに気付く。
大きめの鳥打帽を目深に被った、背の高い若い男だった。
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