第4話 仕事場にて
婚姻届を提出した日の夕刻、真衣は仕事場へ案内するという(自称)志明の後ろを歩いていた。
志明の自宅へ行けば、彼の治療をしている主治医たちがいる。
彼らへ自分のことをどう説明をすればよいか頭を悩ませていたところ、執筆をしている場所は別にあるとのこと。
君江の店から徒歩で移動できる場所にある、閑静な住宅地にひっそりと佇む平屋の一軒家。
表札は『堀田』となっている。ここが志明の仕事場のようだ。
彼の指示のもと、庭石の下に隠してあった鍵で戸を開けた。
「ここには昼間ばかりで、このような時間に来るのは初めてだが……こんなに暗いのか」
辺りをきょろきょろと見回しながら、志明はどんどん家の奥へと進んでいく。
霊と違い『足』のある真衣は、まず玄関で履物を脱ぐ。それからランプで周囲を慎重に確認をしつつ後をついていった。
「ここだ」
ある部屋の前で立ち止まった志明に「失礼します」と一声かけ、
畳敷きの部屋の中は壁一面が書棚になっており、中央にある大きな座卓の上には紙やペン、インク壺などが整然と置かれていた。
「ここだけを見ると、作家の部屋っぽくはありますね……」
「私は、本物だぞ」
志明はそう言うけれど、君江からは簡単に人(霊)を信用してはいけないと教えられてきた。
ぐるりと座敷の中を眺めていると、自然と書棚へ目が留まる。
ランプを手に近づくと、これまでに出版された志明の本がずらりと並べられていた。
「わあ! もしかして、全部揃っているのですか? 私はこれと、これは読みました。こっちは、まだですね……えっ、こんな本も出ていたの? さっそく、買……」
気付いたら、真衣は夢中で本の確認をしていた。
後ろから「フフッ」と含み笑いが聞こえてくる。
どうやら、
「あっ、ごめんなさい! つい……」
「いや、構わない。そこにあるのは全て初版本だが、良かったら家へ持ち帰ってくれ。ここで誰にも読まれず朽ち果てるより、真衣に読んでもらえたら本たちも喜ぶ」
「そんな貴重なものは頂けません。それに、その……万が一のときは、ご親戚がどなたかが引き取ることになりますよ」
君江の遺品は、すべて相続人である真衣が引き取っている。
「真衣が、書類上では私の奥さん……一番近しい家族なんだけどな」
呆れた視線を送っているであろう志明から、ついと目を逸らす。
たしかに書類上では配偶者だが、まだ全くと言っていいほど実感はない。
「周囲は私が執筆活動をしていることは知らないし、興味もない。まあ、それは昔から変わらないが……」
もはや諦めの境地に達しているのだろうか。
志明が苦い笑みを浮かべているのが、なんとなく気配でわかる。
話を聞いているだけでも胸が痛む希薄な人間関係に、言葉もない。
「私は幼いころは体が弱く、ずっと家族と離れて生活をしていた。この家は、そのころ世話になった祖母が晩年を過ごしていた家だ。他に身寄りがないから私が管理をしていたが…………ここも、いずれは整理しないとな」
最後にぽつりと呟いた志明。
こちらへ視線を向けると、先ほどとは打って変わりにこりと微笑んだように見えた。
その雰囲気だけで、『誰でも』『嫌でも』察する。
真衣は、おもむろに片手を上げた。
「私が、あなたに代わりまして諸々の手続きをすればよろしいのですね……旦那様?」
「真衣は察しが良くて、本当に助かる。こんな優秀な秘書がいたら、私の執筆活動もさぞかし捗ったのだろうな」
うんうんと頷いている志明は、実に満足げな様子だ。
つい、「あなたは、人を使うことにかなり慣れていらっしゃるのですね?」とお上品に嫌味を返したくなる。
真衣が口を開こうとしたそのとき、外で物音が聞こえた。
「あの、いま何か聞こえ───」
「シッ! 私が様子を見てくるから、真衣はここに居て」
そう言うと、志明は壁をすり抜け出ていったが、すぐにまた壁から顔だけを出した。
「どうやら、泥棒らしい」
「えっ!?」
「安心してくれ、私が撃退してやる。この家の物を盗むなど、許しがたい所業だからな……」
言いたいことだけを告げると、再び志明は姿を消す。真衣に発言の隙を与えなかった。
しかし……
「姿が見えない霊なのに、どうするつもりなのかしら?」
一人残された部屋に、真衣のひとりごとだけが響いていた。
◆◆◆
泥棒は、兄貴分の弥平と弟分の治郎の二人組だ。
「なあ兄貴……こんな古びた空き家に、金目の物なんてなんもねえと思うが」
「ここは昔、
「なるほど……床下とか天井裏に金の詰まった壺が隠されているかもしれない、ってことか。さすがは兄貴だ!」
「うるさい! 静かにしろ!!」
「……すんません」
彼らは家の玄関戸をこじ開けようと懸命になっているが、なかなか開けることはできない。
志明によって、防犯対策が万全に施されていた。
玄関からの侵入を諦めた二人は、家の裏手へと回る。
庭に落ちている石を掴み、今度は窓を割って部屋に入ろうと試みた。
ここで大きな音を立てれば静かな住宅街に響き渡ってしまうのだが、あいにく彼らにそこまでの知恵はまわらない。
治郎に窓の破壊を任せ、弥平が周囲に気を配っていると、「ひぇ~!」と情けない悲鳴が上がる。
弥平が振り返ると、治郎が腰を抜かし尻もちをついていた。
「おまえ、大きな声を出すんじゃねえ! 近所に気付かれるだろうが!!」
「で、出た……」
「何が出たんだ? 犬か? 猫か?
弟分よりも自身の声のほうが遥かに大きい。弥平はそれに気付かず、早口でまくし立てた。
治郎が指さす方向へ視線を向ける。
窓の奥にある締め切られた障子に、淡くぼんやりとした人らしき影が映っていた。
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