わたし≠あなたじゃいられない
黒ノ時計
第1話 好きの反対は無関心、なわけない
誰かが、好きの反対は無関心だと説いたらしいけれど、僕が思うに好きの反対は間違いなく嫌いだと思う。
確かに、無関心でいられることは相手にとっては辛いことと感じる人もいるだろう。
けれど、無関心でいる側の人にとっては何でもないことで、感情が揺れ動くことなんてない。
その辺に落ちてる石ころに関心が向かないように。相手を傷つけることや、逆に精神衛生的な観点から相手を無自覚に守れるようなことはあってもね。
これは、明らかに対比じゃない。あくまで一般論だけど、好きという気持ちを表現されて傷つく人はいないだろう。
その表現方法如何によっては難ありかもしれないけれど、普通はそうはならないはずだ。
仮に、好意自体を迷惑に思う人間がいたとしても、そこには必ず何らかのやり取りが発生するはずだ。
例えば、もう関わらないでほしいという拒絶反応だったりとか。
ともかく、気持ちが一方通行であろうとそうでなかろうと、好きという感情を表現したならば彼や彼女の思考や言動に影響を与えるはずだ。
無視し続けるという個人の意思も含めて。
でも、無関心ならどうだろう。これは絶対座標だ。
相手に関心を持っていないのだから、無関心側はそもそも感情が動くことはない。相手の感情は、それでも無差別に、そして無作為に動くのに。
もし、本当に無関心が好きの反対だと表現するのならば、個人の有している感情が絶対に動かないなんてことは起こらないはずだ。
だから、好きの反対は嫌いなのだ。自他共に傷ついたり、あるいは喜ばせられるような可能性を孕んでいる強い感情という意味でね。
なら、どうしてその人は好きの反対は無関心などと言ったのか。他の人の考えは知らないけど、僕ならこう考える。
きっと、嫌いという感情を抱えること自体が煩わしいと思ったんじゃないかって。
嫌いになるって、意外と難しいと思うんだよ。顔を合わせる度に嫌いな人向けの仮面を被ったり、あえて距離を取ったり、あるいは憎悪や殺意みたいな強い負の感情を抱いたりしなきゃならない。
そりゃ、人には好き嫌いの好みはあるだろうし、思うこと自体は思想の自由の範囲内だ。
けれど、それを表に出そうものなら周りの人はどう思うか。同調してくれればまだ良い方だけど、自分が好きな相手のことを悪く言われたら逆に相手も腹が立つかもしれないし、個人の関係性を露見させてる時点で周囲の人間に要らない気を遣わせる可能性すらある。
結局のところ、例え嫌いになっても完全に人間関係を断たない限り関係性は地続きだろうから辛くなるのは却って自分という可能性の方が高い。これは大きなリスクだ。
だから、無関心。人に関心を寄せないことで自分の身を守る最強の盾だ。
最低限の関わりは必要だろうけど、必要以上に物を考えることがなくなって気も楽だ。
それで相手が傷つくかどうかなんて、そんなことすらも考えなくて良いのだから。
前置きが長くなってしまって、申し訳ない。何でこんな話をしたかと言えば、一重にこれこそが僕だと言いたかっただけなんだ。
そう、僕は誰かを嫌いになったりはしない。でも、好きにもなったりしない。
人間関係に関して無関心でいること、これこそが僕の美学。
最低限の関わりしか持たず、余計なことに踏み込まず、波風を立てず、穏やかに変わらない日々を過ごすこと。
何でそんなことをするのかって? だから、言ったじゃないか。
その答えは単純に、煩わしいからだよ。
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