抜粋資料 ⚫︎の偉人・寺坂日登と霊界
寺坂日登(てらさかにっとう)と言えば、日本人で知らぬ人はいないだろう。寛政15年3月19日に旧⚫︎藩の陣屋町である霜積(しもつみ)町に生まれ、慶安29年の10月20日、講義中に脳梗塞で緊急搬送されるまで、「時間論考」「未既並列論問答」「時即程説総括」など現代まで残る多くの書籍を残した量子力学者だ。
正保6年、遊学のために江戸を訪れた際に相対性理論に触れ、強い感銘を受けた日登は、以後「時間」という概念の研究に生涯を捧げることとなる。
日登の時間論は現代人からするとやや風変わりなものであり、「時間とは即ち距離である」とする「時即程」理論に基づくものであった。
日登の理論をやや平易に説明した「時空間初学教書」には以下のように記述される。
「元来時間と距離は同一である。江戸から⚫︎まで何日かかる、と語る時、その“日”とは経過時間であると共に距離そのものだ。何歩かかる、とは歩く回数のことである。
ある一つのものが異なる場所に移動した時、その移動距離分の時間が経過し、経過時間分の距離が変化している。遅いとは距離に対して経過時間が長いことであり、早いとは経過時間に対し距離が長いことである。
故に走っているものと歩いているものの時間は異なっている。人は互いに同じ時間の中を生きていると考えるが早いものは早い時間を生き、遅いものは遅い時間を生きている。
また一個の人間においても、観測する時間と細胞一つ一つが生きる時間は異なり、内臓それぞれの時間は異なる。
時間とは、同じ“場”に対して複数に存在しているのである」
日登によれば過去と未来は本来前から後ろに「進む」ものではなく、過去は過去、未来は未来として常に並列上に存在しているという。寺坂はこの理論をよく、オランダから輸入された天球儀に準えた。
「斯様に星々は縦も横もなく同時に存在し、そして互いに干渉し合いながらも互いを完全に観測することは大方不可能である。時は正しくこの星のあり方に似て、軌道に沿って近づいては離れ、重力によって相互に干渉し合う」
さらに、日登はこう続ける。
「過去や未来は常に不定であり、その影響によって常に変化し続ける。過去に発生した事象によって現在が構成されているのではなく、過去によって現在・未来が変化し、現在・未来によって過去もまた変化する」
のちに弟子の大武間進(おおたけかんじん)が記した「日登先生講義録」にて、新しい生徒たちを前にすると寺坂はまず必ず自らの時間論を説明した後、やや熱っぽい調子で以下のように語ったという。
「故に過去も未来も可変である。諸君らは未来に絶望しているだろうか?あるいは過去を悔いているだろうか?されど、過去も未来も全ては不定のものである。過去が常に同じであると語る我々は、既に変化した過去の上の現在にいるかも知れぬではないか。観測しえないことがないとするのが生活であるのなら、観測しえないことを理論によって推測するのが学術である。諸君は生活者ではなく、学術者であれ」
さて、そんな科学の徒、日登であるが、実はオカルティストとしての側面があることはご存知だろうか?むしろ、その面こそが日登の本質であるとする見方もある。
知られざる名著「霊界観想雑記」にて日登は霊界・冥界を「異時同図方的」「時間を完全に相互観測可能な位置」としている。
曰く、死者とは「観測可能な一個が過去方向に現地点からは観測不能なほど離れた状態」であるとし、翻って、霊界とは異なる座標の「過去」同士が相互観測可能な距離で並存している環境を指すとしたのである。
そして、幽霊とは「現在位置と過去位置が接近する際=ある地点が霊界となる際に互いを観測する現象」であるという。
この理論に基づき日登は「現在位置と過去位置が接近することによって、“まだ死んでいないものの幽霊”が観測されることもありうる」とした。
日登の幽霊観を形作ったエピソードとして、幼少期のある体験がある。
「霊界観想雑記」によれば寛延5年、当時4歳であった日登は自室で眠っている際に幽霊を見た。
その幽霊は、天井いっぱいに引き伸ばされた女の顔であった。
歯の抜けた中年の女で、似合わない煌びやかなかんざしをつけていたと日登はのちに語っている。
動けない日登を嘲るようにして、女は薄い膜のようになった唇をヒラヒラとはためかせ、生ぬるい息とともに女は「あら、いやだ」といった。しばらくすると、女は女自身の鼻の穴に吸い込まれて消えた。
その8年後、12歳の日登は夜道で夜鷹に買ってくれと迫られ、のしかかられる経験をしている。この時日登が見上げた夜鷹の顔はあの時の女の幽霊そのもので、まだ若いながらも「なるほど、あの時の幽霊は今の自分が見たものであったのか」と理解した。後に夜鷹は首を吊るが、その死体は2日前まで腐らずに垂れ下がっていたという。
この時を振り帰って日登は以下のように語っている。
「死せる夜鷹が過去の私の前に現れた、という表現は適当でないように思える。
あの体験において未来位置から過去位置の私に接近していたのは私自身であって、12歳の私の主観が過去の私との接近によって観測されたのではないだろうか。
幽霊がなぜ幽けきものであるのか、それは幽霊とは過去の実体そのものでなく、過去の観測の表出であるからなのではないか」
また日登は鏡に対しても強い関心があり、鏡に幽霊が映り込む、鏡に取り込まれるなどの怪異譚が多く見られるのは鏡が観測不能な距離と観測者の地点を接近させる効果を有するからであるとした。
目に見えない妖魔の姿を映すとされる雲外鏡や照魔鏡などの伝承上の鏡など、鏡の「映し出す」性質は古来より神秘と結び付けられたが、日登はそこから論を発展させ、鏡とは観測の圧縮装置であると指摘している。
「鏡は光を反射することで図像を映し出す。
この時鏡を覗くものにとって通常の視界同様遠くのものは小さく、近くのものは大きく見えるが、実際にはすべてのものは同じ大きさで並列に並んでいる。
鏡に指を近づけても指の先が鏡いっぱいに映らないように、鏡自体はあくまで実際の大きさをひとつの平面上に並べているのである。すなわち観測上は平面でありながら、空間性を内包している。
鏡の中に世界がある、とする空想はまさしくこの性質を主観的には極めて正確に描写していると言えるだろう。
だが、実際には鏡の中に空間はなく、距離は鏡面上では消失する。すなわち距離が時間であるのであれば、鏡に中では時間も消失する──より正確に言えば、それぞれの時間の差異が消失する。
鏡面上には過去も未来も存在しないのである。この圧縮によって時間が一面に集約されることによって、観測不可能距離の存在である怪異や幽霊が鏡に映し出される、と古代の人々は考えたのである」
「時即程説総括」において語られるこの理論は現在は否定されているものの、当時の日本の若い学者たちには大きな影響を与えた。おそらく日登は距離と時間が同質であると主張するように光と時間を同質であると認識していたのであろう。
「例えば星の光の始点を観測することはできない。我々は距離に隔たれた星の幽霊を認識している」
このような悲観的とも言えるロマンチシズムを宇宙に対し抱いていた日登は遠くの星や月の表面を見ることのできる望遠鏡を愛用し、「月まで歩いてゆけば100年かかる。同様に月の光が我々の目に届くまで100年かかる。我々が見るのは、100年の距離を隔てた過去の月である。しかしこの装置を用いれば月を一瞬で観測できる。この装置は、未来に行く装置である」と絶賛した。
また、自らも鏡やレンズの性質を利用して「主観的時間遡行装置」、いわば「認識のタイムマシン」を構想し、スケッチを残している。
結果的にこの装置は完成しなかったが、後の望昔灯の発明に大きな影響を与えており、今もスケッチは⚫︎郡民俗資料館に展示されている。
エジソンやアインシュタインも然りだが、科学者がむしろオカルトに傾倒していくことは珍しくない。その中でも日登はそれらの存在を自らの理論に大きく関連付け、独自の世界観を形成している。
日登の幼少期は決して恵まれたものではなかった。
関東大震災で両親を早くに亡くし、養子として迎えられた寺坂家では腫れ物に触るような扱いを受けた。義両親は自分たちの子供と日登が同じ時間に食事をとることを嫌ったため、日登はいつも皆が食事を終えてからひとり、冷めた料理を口にしていたという。
また、武家の子でありながら下男下女と同じ服を着せられ、夜はひとり離れ座敷で寝るように命じられていた。
そんな中、唯一の楽しみが学問であったという。
嫡男であった虎之助は唯一、日登に好意的な人物で、自らが読み終えた書物をよく貸し与えた。
それを繰り返し読んでいる間だけ、日登は心を安らげることができたという。
そんな虎之助も、元服してすぐに風邪を拗らせて死んでしまった。日登は実の兄弟達よりも嘆き悲しみ、しばらくの間何も喉を通らなかったそうだ。
日登は嘉永2年の初夏、犬に噛まれて発熱し、そのまま帰らぬ人となった。
死の直前、熱でほとんど目が見えていなかった日登は「父様、母様、虎之助どの、本を読んではくださいませんか。まだ、読みかけの本があるのです」と繰り返し口にしていたという。
あるいは日登の時間と霊への執着は、失われた父母や義兄への想いから来るものであったのかもしれない。
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