夕暮れのピエタ

作者不肖

未明 8/6

夕暮れのピエタ 前

 _日本国 京都 夜20時頃


 この世の全ては地獄。生きても死んでも、苦しみ続ける。


 幸福は突然不幸に変わる。何処でそうなるかも分からない、歪な世界よ。


 ___あぁ、赤い…。綺麗な赤い景色。私が好きな黄昏時のよう。


 昼でも夜でもない、曖昧な宵闇の境。

真っ赤な空、真っ赤な炎、真っ赤な手、真っ赤な血…。



 諦めと絶望の後に限って、いつもこの上ない幸運が舞い降りてくる。


 もう一度、望みのない楽園へ、生きながらの死と退屈の中へと、引き戻そうとするかのように。


 ずっと欲しくて、手に入らなかったものは、突然現れた。よりにもよって、こんな時に。


 あぁついにやってしまったかと我に帰ってきた時には、焼けていく多くの臓物の臭いと瓦礫の山があった。今更そんなものに感情が動かされるわけもない。


 

 ただ一つ、この荒みきった心でさえも動かしたのは、崩れたマンションの瓦礫に埋もれた一人の大人の女の死体、その下にある子供の体が見えた時だ。


 その子の存在を感じた。遠くからその子が私を見て、互いに目があった時、私は怒りと憎しみの海から戻された。

 魂が電流のようにビリビリと奮い立っている。肺が熱を帯び、走りきった後のように動悸と息が荒れる。


___この子だ。この子こそが、私が望み求めていた、愛しい人。


 絶望の中でずっと、見つけられなかった唯一の望み、その存在。私が愛せる、唯一の人間。


 …どうして、今になって。どうして私は、この子までもを、手にかけたのか。


 【そなたの望みであっただろう】


 違う。こんな事は、望んでいない。


 【世界への復讐を望んだ。どう足掻いても破滅へ進んでいく世界を、全て無に等しく、滅ぼすことを望んだだろう】


 …では何故、今になってこの子を私の前に出してきた。


 一なる者よ、この星の主よ。分かっていたはずだ。


 【誓約を果たすがよい。もはやそなたに、"片割れ"は必要ない】


 【そなたの魂は我が糧となり、報われるであろう。他の人間、生命とは異なり、そなたは我らと共にあるのだ】


 …そうか。


 結局は…そういう事か。


 なんたる事か。まさに滑稽な結末よ。全て捨て去り、非道に身を投じ、破壊の先へと進んできたその末路が、結局これか。


 戻れないと分かってた。大きなものを動かす為には、全て犠牲にしなければならないと。私の心臓を、得たいの知れない、悪魔か神かも分からないものに捧げるしかないとしても、この道を選んだ私は、今更、引き返すことなど出来ない。


__あぁ、それでも、何故、今になってこんな苦しみを?


 この世にいないと信じきっていた存在が、ここにいるなんて。ましてやそれを、殺してしまうとは。


 ずっと私を蝕み続けてきた絶望が襲ってくる。


 どうしよう。


 助けて。誰か、助けてくれ。


 私を、助けて。


 未だ炎で焼き付くしても、この手で、憎いもの達を殺しても、頭の中の声が消えないんだ。


 私を殺し続けるんだ、罵倒し続けるんだ。切り落とされた右腕の中に封じて捨ててきてもまだ、この身には深く、染み着いているんだ。


 お前はなにも出来ないバカだと。


 可愛げもなく、美しくもない、価値のない女だと。



 皆私を嫌うんだ。皆、私を殺しに来るんだ。ずっと今も、私を囲んでいる。怒りと憎しみと嘲りに染まった、血にもよく似た赤い瞳で。


 私の目と同じ。


 絶望に堕ちて、外道になった私の目の色と同じ。


 助けて、誰か、助けて。



 【もはや誰も、助けなど来ない】



 ……そうだった。分かってる。どれだけ絶望しても、どれだけ心の中で叫んでも、中傷と嘲りに耐えていても、誰も助けになんか、来てくれなかった。


 唯一、どんなことがあっても味方でいてくれていた父は、もう何処にもいない。

あいつらが殺したんだ。この世界に渦巻く不条理が、金が、価値が、病が、人が、殺してしまったんだ。


 私もまた、この炎の中で、多くのものを殺した。どうしてこうなってしまったのか、もはや覚えていない。私の魂はもう、私を兵器へと変えたものに取られてしまっているから、記憶も自我も、だんだん薄れている。


 いつか、ここから消えてしまう。


 今更、後悔などしない。嘆いても、見苦しい、みっともないだけ。悪なら悪のままで、いるしかない。


 …でも、あの子は…あの子だけは。


 私はいい。もうなにも残っていないから。でも、あの子は違う。


 【何をしている?汝よ、ここで助けようなどと思うな。見苦しいぞ。そなたはいつか、その者も全て殺すことになる】


 煩い、黙ってろ。


 【逆らうか。無力無能なそなたに力を与え、この世で最も強く、尊き存在へ変えてやったのは、誰ぞ】


 黙れと言ってるだろう。

全知全能と言われる者が、そうして胡座をかいていた時、虐殺だろうがなんだろうが、全て叶えてやったのは、この私。私は従ってきた。他人の命令にも、使命にも、唯一の神にも。


 だが、私がまだこの世に存在している限り、誰にも私を縛ることは出来ない。たとえお前でもだ、原初の神よ。まだ、私は私だ。やりたいと思うことをする。


 もう、誰の指図も受けない。


 【…】


 それでもまだ不服と言うのなら、私の命が尽きたその時に、この体でもなんでも、好きに持っていくがいい‼


 心臓の中から語りかけてくる声をはね除ける。持っていた血染めの刀を地面に放り投げて、瓦礫に手を掛けた。


 いくらなんでもこの瓦礫の山を動かすのには少し力がいるが、上にのし掛かっている瓦礫を退かすことはできた。


 既に肉体が壊れ、事切れている女はともかく、その下のあの子はまだ息がある。まだ、生かしてやれる。私が持つ、原初エバの力で。


 丸くてさらさらした黒髪の頭、まだ小学生ぐらいの少年。君の体を引き出し、腕の中に抱えた。


……あぁ、ようやくこの時よ。


 嬉しいな、君。もっと時間があれば良かったのに。もっと君を知りたい、君をそばに置きたい。


 でももう、それは叶わないこと。それでも、私は……。


 「お前を、死なせはしない。我が宿命の者よ…」


 絶対に死なせはしない。私に残った魂を切り分けてでも、助けてやる。


 だから、いつかきっと、私を助けて。


 この身を蝕む声から、絶望から。


 君は私を助けてくれる。そんな気がするんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る