第22話 『“また来ますね”が、レシートの端に書いてあった』

その日、少しだけ早起きできた。


 朝の光が、カーテンの隙間から静かに差し込んでいて、目覚ましより先に目が覚めたことが、ちょっとだけ嬉しかった。

 とはいえ、起きたからといって予定があるわけでもなかった。

 バイトのシフトも、連絡も、やるべき義務も、ない。


 だから、俺はゆっくりとベッドから体を起こし、昨日と同じ服を羽織って、靴も履かずにベランダに出た。


 朝の空気は、冷たくて清潔で、どこか“生きてる匂い”がした。


 その空気にあてられて、俺は少しだけ「誰かに会いたいな」と思った。

 友達でも、恋人でも、SNSのフォロワーでもなく。

 ただ──

 自分という存在に、気づいてくれる“誰か”。


 昨日の晩、コンビニで温めてもらった弁当。

 あの店員の、あの短い言葉と、温かいハンバーグの記憶が、まだ心の中に残っていた。


 理由はわからないけれど──

 もう一度、あの店に行こうと思った。


 朝九時前のコンビニは、どこか静かだった。

 棚に商品を並べている音と、雑誌コーナーのページをめくる音だけが聞こえる。


 昨日と同じ店員が、レジにいた。


 ほんの少しだけ表情が違って見えたのは、気のせいだろうか。

 もしかしたら、向こうも覚えていたのかもしれない。

 「温めますか?」と聞いた、たったそれだけのやりとりでも、彼女にとって“何か”残っていたとしたら──それだけで、世界がほんの少しだけ優しく思えた。


 手に取ったのは、サンドイッチと紙パックのミルクティー。

 今日は温めない。


 レジに並びながら、なんとなく店員の名前を見る。

 名札には、小さく「山本」と書いてあった。

 苗字だけのその文字が、やけにしっかりと印刷されていて、それだけで丁寧な人だと感じた。


「208円になります」


 彼女の声は、やっぱりどこか変わらなかった。

 機械的でもなく、感情的でもなく。

 けれど不思議と、落ち着く声だった。


 商品を受け取り、レジ袋はいらないと伝え、手渡されたレシートをポケットにしまおうとしたとき──


 そこに、“何か”が書かれているのが見えた。


 レシートの一番下。

 印字された領収部分の、その端に、細いボールペンの走り書きで──


 **『また来ますね』**と、書かれていた。


 一瞬、意味がわからなかった。


 客である俺が書く言葉じゃない。

 「また来てください」ならわかる。

 けれどこれは、“向こう”が、俺に言った言葉だった。


 なぜそんなことを?

 どうして、わざわざ?


 そして何より──その字が、どこか拙くて、でも真剣で、

 まるで“誰にも見せるつもりのなかった手紙”のように、丁寧に書かれていた。


 コンビニの外に出て、歩道の縁にしゃがみこんだ。


 レシートを見つめながら、何度もその文字をなぞる。

 印字ではない、手書きの文字。

 それは、明らかに“誰かが俺のためだけに書いた言葉”だった。


 どんな思いで書いたんだろう。

 なぜ、俺に?


 けれど、きっと──

 それは訊いてはいけない気がした。

 こういう言葉は、伝えた時点で“答え”なんだと思った。


 家に戻って、朝ごはん代わりのサンドイッチを食べながら、

 俺はnoteの新しい下書きを開いた。


 まだ誰にも読まれていない、過去の投稿たちが、そこに並んでいた。

 「いいね」も、コメントも、何もない。


 でも、その空白の中に、“何も届いてない”とは思えなくなっていた。


 その日の午後、スマホに通知が一つ届いた。


 noteの古い投稿に、一つの“♡スキ”がついていた。


 誰がつけたのかは、わからなかった。

 でも、そのタイミングで、俺はなぜか──確信した。


 それは、あのレシートに書いてくれた“また来ますね”の、続きなのだと。


 誰かと話さなくても、

 誰かに抱きしめられなくても、

 どこかで、こうして言葉は続いていくんだと思った。


 顔の見えない、アイコンもない、“通り過ぎた誰か”。

 だけど、その一人が残してくれた“気配”が、俺の中に温もりとして残った。


 夜、レシートを手帳に挟んだ。


 他のページには、誰にも読まれなかった小説の一節。

 返信のこなかったDM。

 未送信の感謝のメッセージ。


 そしてそのすべての隣に、

 たった一言、「また来ますね」が、そっと並んだ。


 いつか、俺も誰かに言いたい。

 “また来ますね”と。

 ただそれだけで、誰かの夜が、少しでもあたたかくなるなら。


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