第19話 『誰かの“いいね”じゃなく、自分の“好き”を信じて書いた夜』

午後十時を過ぎた頃、天井の灯りを消して、机の小さなデスクライトだけを点ける。

 パチ、と明かりがともる瞬間、その薄暗い部屋はまるで“舞台の幕が上がった”かのように感じられた。


 主人公もヒロインも、いない。


 観客も、いない。


 それでも、この机に向かう時間だけが、俺にとっての“本番”だった。


 投稿サイトのランキングは、今夜も変わらない。


 フォロワーは一向に増えない。PVもゼロに等しい。


 ──でも、それでも。


 今夜は、少しだけ胸の奥が静かだった。


 灰色のアイコンの人から返事はなかった。

 たぶん、もう二度と来ないだろう。

 それでも“誰かに届いた”という記憶だけで、少しだけ呼吸がしやすくなっていた。


 俺の人生は、たぶん、間違っていた。


 中学のころ、小説を書き始めた。


 高校では文芸部に入ったけど、周りは詩や俳句ばかりで、ラノベを書く自分は異物だった。

 「中二病っぽいね」と笑われたこともあった。

 でも、その時に出会った一冊──初めて“あとがき”で「書いてくれてありがとう」と思えたライトノベル。

 それが、俺の全てだった。


 大学には行かず、働きながら小説を書いた。

 コンテストにも何度も出した。

 「奨励賞」や「一次通過」なんて言葉は、もはや呪いのようだった。


 20代が終わり、30代に入っても、小説は芽を出さなかった。


 38になっても、童貞で、彼女もいなくて、社会からも取り残されたような気がしていた。


 でも、小説だけは──手放せなかった。


 誰かに褒められるからじゃない。

 誰かに評価されるからでもない。

 たぶん、ただ、“自分の中にある何か”を信じていたから。


 この世界には、“いいね”があふれている。


 面白かった、泣けた、最高、尊い──

 そのすべてが、数字で、ハートで、通知であらわされる。


 それをもらえない者は、まるで価値がないかのように扱われる。


 でも、たとえ誰にも評価されなくても、

 「これは自分の“好き”だ」と言える作品を、書けているか。


 そこにだけは、嘘をつきたくなかった。


 この夜、俺は、ずっと下書きのままだった掌編を投稿することにした。


 主人公は、誰にも読まれない小説を書き続ける男。


 ヒロインも、バトルも、ラブコメも、ない。


 ただ、自分の“好き”だけを込めた、たった4000字の掌編。


 どこにも需要はないと分かっていた。

 バズる要素も、人気タグも、なにもない。

 でも、これは“俺の”物語だった。


 投稿ボタンを押したのは、午前0時16分。


 その瞬間、目に見える世界は何も変わらなかった。


 だが、心の奥で、小さな音がした気がした。


 ──カチリ。


 何かの鍵が、ひとつ外れたような音だった。


 しばらくして、俺は自分の投稿ページを見に行った。


 もちろん、反応はない。


 だけど、その作品の最後に添えた“あとがき”だけは、ずっと見つめていた。


たぶん、読まれないと思います。

それでも、これは僕が書きたかった物語でした。

どこかで、誰かに伝わる日が来たなら、それだけで僕は救われます。


 それは、自分への手紙だった。


 未来の自分が、もう一度“好き”を信じられなくなったとき、

 この文章が、心のどこかで小さく灯りをともしてくれる気がした。


 SNSには、何も書かなかった。


 「投稿しました」も、タグも、宣伝も、しなかった。


 でも、その夜の俺は、少しだけ誇らしかった。


 誰にも褒められない創作を、

 誰にも媚びずに、でも誰かに届くように願って書いた自分を。


 夜が明けるころ、窓の外では鳥の声が聞こえた。


 まだ6月の朝。少し湿った空気に、カーテンがゆらりと揺れる。


 俺は机の前で背伸びをして、

 冷めかけたコーヒーを口に含んだ。


 苦いけど、今日はそれすらも悪くなかった。


 きっと、これからも“いいね”はつかない。


 評価もされないし、デビューも夢のままかもしれない。


 でも、俺は書き続ける。


 なぜなら──

 この物語の、いちばん最初の読者は“俺自身”だからだ。

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