第30話 最後の独白

 御影は項垂れて、正木と星乃先生が別の場所へと連れて行ってくれた。


 今後、どうするのか? それは僕の関与することではない。


 事件のアフターケアができるほど、僕は名探偵ではない。


 だからこそ、星乃先生の介入をお願いしていた。


 情けない話ではあるが、子供である僕は他者を断罪することも、注意する効力を持った力もない。


 今回は学校という場所であり、先生という大人が介入することで、中立者を立てることができた。


 御影の気持ちの暴露。


 それが端島澪のある意味で復讐だったのかもしれない。


 旧校舎の教室に残ったのは、僕と、端島澪と、相田芽衣。


 椅子は倒れたまま。御影の脱いだ腕章が机に転がっている。


 喧騒の余韻だけが、教室の中に色濃く残っていた。


 僕は深く息をついたあと、口を開いた。


「……これから、どうするつもりなんだ?」


 僕は、事件を解決した。しかし、全てが終わったわけではないことを理解している。


 だからこそ、端島澪に問いかける。


 彼女は少しだけ首をかしげるようにして、窓の方を見やった。


 夕日が差し込んで。赤みを帯びた光が、彼女の制服の肩を静かに照らしていた。


「どう、って……難しいですね。すぐに何かを変えるとか、動くとか、そういうことは……まだできないと思います」


 事件が解決しても彼女の気持ちは晴れていない。その表情は少し笑っているが、寂しげだった。


 端島澪は歩み寄る。まっすぐ、机に突っ伏していた相田芽衣のもとへ。


「芽衣ちゃん」


 名を呼ばれて、相田芽衣がびくりと肩を震わせた。


 それでも、顔を上げようとしない。


 端島澪はその横に立ち、優しい声で問いかける。


「ねえ……これから、御影くんとどうするの?」


 しばらくの沈黙があった。


 相田芽衣の背中が、かすかに揺れる。


 そして、しぼり出すように、か細い声が返ってきた。


「……わかんない」


 ようやく上げられた顔には、まだ涙の跡が残っていた。


 目元は赤く腫れていて、唇はかすかに震えていた。


「全部……信じたくなかった。認めたくなかった。好きだったのに。あの人が、あんなふうに……人を踏み台にしてたなんて」


 言葉が途切れる。


 それ以上、何を言えばいいのか、相田芽衣自身もわからないのだろう。


 端島澪は、その言葉にすぐには何も返さなかった。けれど、そっと目を伏せたあと、小さくうなずいた。


「……御影くんには、もう私に近づかない。御影君からも近づいてほしくない」


 嫌悪と拒絶。


 端島澪は心から、御影一誠を嫌う言葉を口にした。


「彼が何を思っていたのか、もう知りたくない。信じてもらえなかったことも、試されていたことも、全部……ただ、もう関わりたくない」


 相田芽衣は少しだけ顔を上げた。


「ごめんなさい」


 相田芽衣は、これまで自分がしてきた嫌がらせに対して謝罪したのか、それとも御影との板挟みにしてしまったのか、それはわからない。


 だが、謝罪に対して端島澪は、ただ頷いた。


「芽衣ちゃんが、御影くんのことをどう思うかは、私が決めることじゃない。……それは、芽衣ちゃんの自由だよ」

「……自由?」

「うん。好きになるのも、嫌いになるのも。……許すのも、許さないのも。自分の気持ちにちゃんと向き合って、選んでいいんだと思う」


 相田芽衣は、目を伏せたまま黙っていた。


 でも、その指が机の上で小さく動いた。


 端島澪は、そんな彼女を見つめたあと、小さく息を吐いた。


 そして、僕の方へと視線を向ける。


「私は……私が見てきた悪意を、こうして証明してもらえた。……だから、もうそれ以上は望みません」


 それは、自分に言い聞かせるようでもあり、誰かを許す宣言のようでもあった。


 端島澪はゆっくりと背を向け、僕のそばへ戻ってくる。


 そして、依頼された事件は終わりを迎えた。


 だが、僕の中で終わっただけではなかった。


 僕は澪の顔を見て、もう一度だけ問いかけた。


「……最後の謎を解いてもいいか?」


 彼女は、ほんのわずかだけ笑った。


「はい。……お願いします」


 教室に、風が吹き込んだ。


 夕陽が西の空に沈みかけていて、長く伸びた影が、倒れた椅子の上に差し込んでいた。


 僕は、その沈黙の中で、彼女に問いかけた。


「制服に染料を塗ったのは、君だね。端島澪さん」


 相田芽衣が反応するより先に、微かに空気が張り詰めた。


 だが、端島澪は驚きもしなかった。眉一つ動かさず、ただ僕を見ていた。


 問いを否定もしない。ただ、薄く目を伏せ、静かに呼吸を整える。


「……どうして?」


 相田芽衣が震えた声を絞る。


 端島澪は、しばらく黙ったまま立っていた。まるで言葉にすること自体が、間違っているかのように。


 けれど、ようやく口を開いた時、その声音は酷く穏やかだった。


「あなたにしか、気づいてもらえないと思っていました。探偵さん」


 それだけだった。


 説明でも釈明でもない。感情のない、ただの事実の提示。


 相田芽衣は理解できずに首を横に振る。


「どうして……?」


 澪は答えなかった。


 その代わりに僕が、静かに言葉を継ぐ。


「御影が正義を装っていたこと。君がずっとそれを見抜いていても、誰も信じてくれなかった。だから自分の身を使って、事件を作った」

「……」

「御影一誠が正しさの名のもとに人を操ろうとしていたこと。相田さんが彼に利用されていたこと。それを、誰の言葉でもなく、彼自身に暴露させるために、火種が必要だった」


 だからこそ、染料事件が起きた。


 被害者は、端島澪自身。


 すべてを誘導するための、舞台装置だった。


「まさか……そんな……」


 相田芽衣が驚いた顔で端島澪を見る。


 端島澪はその様子を見ても、表情を変えなかった。


 だが、ほんの一瞬だけ、睫毛の奥にかすかな痛みが走ったのを、僕は見逃さなかった。


「……ひどいよ……。なんで、そんなことまで……」

「信じてほしかったわけじゃない。ただ、知ってほしかったの」


 これは端島澪が、裏切られ、孤立し、嫌がらせを受けた復讐だと僕は思う。


「彼が、どんな人間だったのか。あなたが、どんな立場に置かれていたのか。それをあなた自身に、見てほしかった」


 相田芽衣は、顔を覆った。


 端島澪はそれを見ても、何も言わなかった。ただ、振り返ることなく、教室の出口に向かって歩き出した。


 僕はその背中に、そっと問いを投げかけた。


「それでも、君は後悔していないのか?」


 彼女は立ち止まり。小さく、首を振った。


 その仕草だけが、端島澪の答えだった。

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