第28話 太平の礎、晩年の秀吉

慶長の役を断念した秀吉は、その後の人生を内政と平和の維持に捧げた。弟・小一郎秀長の遺志を胸に、彼は真の太平の世を築くべく、精力的に政務に励んだ。史実では、秀吉の晩年は朝鮮出兵の失敗と、それに伴う病、そして後継者問題で混乱したが、この物語では、小一郎の存在が秀吉の行動を変え、異なる晩年を迎えることとなる。


「民が豊かに暮らせることが、真の天下統一であると、小一郎は常に申しておった…」


秀吉は、聚楽第の一室で、小一郎が残した奇妙な図面や書物を眺めながら、静かに呟いた。そこには、遥か未来の社会における、人々の豊かな暮らしや、争いのない世界の様子が描かれていた。秀吉は、小一郎の死後、その「未来」のビジョンこそが、自分が目指すべき真の目標であると悟っていたのだ。


秀吉は、全国各地で太閤検地を徹底させ、より公平な税制を確立した。これにより、農民たちは過酷な年貢に苦しむことなく、生産に専念できるようになった。また、刀狩令は、農民から武器を取り上げるだけでなく、彼らが安心して暮らせる治安を維持するための重要な施策として、より厳密に運用された。


新たな街道の整備も進められた。これは、単に軍事的な目的だけでなく、商業の発展と物資の流通を促進するためだった。小一郎が残した未来の「交通網」の概念を参考に、秀吉は全国の主要な都市を繋ぐ道を整備し、宿場町を発展させた。これにより、全国の経済が活性化し、人々の往来が盛んになった。


「商人は、天下を潤す血潮である。彼らが自由に活動できる環境を整えねばならぬ。」


秀吉は、商業の重要性を深く理解し、関所を撤廃し、座の特権を廃止するなど、自由な商業活動を奨励した。小一郎が語っていた「市場経済」の萌芽のような政策が、この時代に導入されていったのだ。これにより、京や大坂といった都市は、かつてないほどの繁栄を享受した。


対外関係においても、秀吉は慎重だった。慶長の役の断念後、明や朝鮮との関係は依然として微妙ではあったが、秀吉は無闇に武力を用いることを避け、外交的な解決を模索した。小一郎が残した「国際協調」の思想が、彼の心の奥底に影響を与えていたのだ。


秀吉の晩年は、史実のような混乱ではなく、比較的安定したものとなった。後継者問題に関しても、史実とは異なり、秀吉は若い頃から甥の豊臣秀次を教育し、弟・秀長のように政務に精通した副官として育て上げた。秀長の遺志を継ぐかのように、秀次は秀吉をよく補佐し、豊臣政権の安定に貢献した。


秀吉は、晩年、病に臥せることもあったが、小一郎が残した知識と、彼が示した「平和」という道標によって、その心は満たされていた。彼は、自らが天下統一を成し遂げたことよりも、小一郎の遺志を継ぎ、民が安寧に暮らせる世を築けたことを、人生最大の功績だと感じていた。


この時、日本の歴史は、小一郎というタイムトラベラーの存在によって、大きくその進路を変えていた。豊臣政権は、秀吉の死後も、小一郎の遺した礎の上に、しばらくの間は盤石な太平を維持することになる。しかし、未来は常に流動的であり、小一郎が去った世界で、この太平がどこまで続くのかは、誰にも分からなかった。

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