第18話 関白就任、天下の副官

天正十三年(1585年)。小牧・長久手の戦いを外交で収束させ、四国攻めも成功させた羽柴秀吉は、ついに正親町天皇より関白の位を拝命した。これは、武家として異例中の異例であり、秀吉が名実ともに天下の最高権力者となったことを示す出来事であった。秀吉は、この栄誉に歓喜しつつも、その重責を理解していた。彼の傍らには、常に冷静に未来を見据える小一郎がいた。


「兄上、関白就任おめでとうございます。しかし、これは単なる名誉ではありません。これからは、武力だけでなく、朝廷や公家、そして全国の大名たちとの関係を円滑にし、天下を治めるための政治手腕が問われます。兄上は天下の覇者ですが、私はその『副官』として、兄上をお支えいたします。」


小一郎は、現代の行政学や組織論の知識を基に、関白としての秀吉の役割と、その政治機構の構築について助言した。彼は、関白という最高位に就くことで、秀吉が名実ともに日本の統治者となることの重要性を理解していた。


「朝廷との関係を密にすることは不可欠です。公家たちの慣習や儀礼を尊重し、彼らの意見に耳を傾けることで、朝廷の権威を借りつつ、豊臣政権の正統性を確立できます。これは、未来の政治において『ソフトパワー』と呼ばれるものです。」


小一郎は、単に武力で天下を統一するだけでなく、文化や権威を通じて人心を掌握することの重要性を説いた。彼は、朝廷への献金や、荒廃した御所の修復、そして伝統的な儀式の再興を積極的に行うよう秀吉に進言した。これにより、朝廷からの信頼を勝ち取り、秀吉の権威を内外に示すことができた。


また、小一郎は、天下を効率的に統治するための新たな仕組みを提案した。後の「五大老・五奉行」制度の原型となるような、権限の分担と責任の明確化である。


「天下は広大であり、兄上お一人で全てを見ることはできません。各地の要衝には、信頼できる家臣を配置し、彼らに一定の権限を与えつつ、厳しく統制する必要があります。また、政務を分担するための『奉行』を置き、それぞれの専門分野を司らせることで、より効率的な行政運営が可能となります。」


小一郎は、現代の官僚制度や分業体制の概念を、この時代の政治に導入しようと試みた。彼は、秀吉が抱える膨大な政務を効率的に処理し、大名間の争いを未然に防ぐための公正な裁定を下すための仕組みを構築していった。小一郎自身は、大和国の領主として、そして秀吉の弟として、政権の中枢で政務を執り行った。彼の冷静で理知的な人柄と、的確な判断力は、多くの大名から信頼を寄せられ、秀吉と大名たちの橋渡し役として、重要な役割を果たした。


小一郎が関白に就任した秀吉の傍らにいることで、豊臣政権は盤石なものとなっていった。彼の献身的な補佐は、秀吉が天下人としての地位を揺るぎないものとし、天下統一への最終段階へと進むための大きな推進力となった。史実において、秀長は秀吉の片腕として絶大な信頼を得ていたが、その裏には、未来から来た弟の、深遠な知恵と、兄への無償の愛があったのだ。小一郎の瞳の奥には、平和な世を築き、その後の日本が歩むべき道が、明確に描かれていた。

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