Cosmic Dust

砂沙

第1話 序章




「知ってるか? コスモスって、宇宙って意味があるんだって」



後ろからそう声をかけられ、「え?」と振り向く。



「……それが、なに?」


「あんた、情報屋だろ。俺の知ってる情報教えてやろうと思ってさ」



ニヤリと笑う髭面の男。

「ふーん」とだけ応えて、男の方へ向き直る。



「語源はギリシャ語で、秩序って意味もあるよね」


「……なんだよ、俺より詳しいのかよ」



肩透かしをくらったように苦い顔をする男にふっと笑う。



「残念。そういうネットで調べられるような情報じゃ意味は無いかな」


「わあってるよ、そんなもん」


「それで……」



男に一歩近づき、懐からナイフを抜き出して、その喉元に突きつけた。



「あなた何者? なんで私がここにいるって分かったの?」



男はナイフを突きつけられたまま、「おお、怖ぇ」と言いながら両手を上げた。



「噂だよ。ここにこればあんたに会えるってな」


「……」


「知りてぇ情報があるんだ」



口元に笑みを浮かべたまま、こちらを真っすぐに見てくる男。



「なに?」


「ニンファーの5人目について知りたい」


「……」



"ニンファーの、5人目"


その言葉をゆっくりと脳内で反芻して、少しだけ目を細める。



「本気? 殺されるよ」


「本気だよ。ほれ」


「わっ」



男に投げられた茶封筒をキャッチする。中を除くと札束が入っていて、



「50万。とりあえず前金だ」


「50…っ!? なんでこんな…」


「あんたの腕を信用してだよ」


「……あんた何者? この街で何するつもりなの?」



警戒の視線を向けると、男はひらりと手を振って背を向けた。



「調べみろよ。灰狼町の敏腕情報屋さん」


「……」



行ってしまった。


茶封筒を再度見ると、書かれている名前とメールアドレス。



"ヨシキ"



――変なやつから変な仕事を請け負ってしまった。




灰狼町。日本の隅にある小さな街で、治安が悪く警察の目が届きにくいこの場所は、半グレや訳アリの人間の巣窟と化している。



ここで2年前から一人暮らしを始めた私は、訳あって身分を明かすことが出来なくて、働くのもやっとだった。


最初は体を売ってお金を作り、その金でパスポートなどを買って――偽の身分証を手に入れた。

けれど、そんなものじゃ仕事も長くは続かない。


そうしていくつもの職を転々とするうちに、少しずつこの街の情報が入ってくるようになって。

試しに、その情報を半グレのグループに売ってみたら、思った以上の金になった。


気づけば、“情報”でお金を稼げるようになっていた。



情報屋 サキ



今では、この街にいるものなら誰もが知っている肩書きと言っても過言じゃないだろう。





「って言ってもなー…」



50万が入った茶封筒を手で弄びながら、ため息を吐く。


こんなの、手に余る。


それに、ニンファーの5人目なんて……。




この街には、若者だけで構成されたギャングのようなグループが三つある。


・ブレティラ

・ニンファー

・コスモス


いずれも花の名前を冠している。

もともとは、ただの娯楽チームに過ぎなかったようだが――今では灰狼町の不良たちを支配する、三大勢力と呼ばれる存在になっている。


ブレティラは、暴走族「黒龍」と「白蛇」を傘下に持つ大規模な不良チームだ。三つの勢力の中で最も人数が多く、統制も緩い。そのため治安は最悪。


ニンファーは、その中でも異質な存在。

構成員は女性5人のみ。いずれも若く、美しく、カリスマ性を持つが、裏には強力な権力者の後ろ盾がある。彼女たちの手によって、一部の土地は完全に支配されている。


コスモスは、傘下のチーム数こそブレティラと並ぶが、幹部やリーダーの詳細は一切不明。

最も正体がつかめないチームだ。

それどころか「コスモスに逆らった者は、神隠しに遭う」とさえ噂されており、都市伝説のように語られ、恐れられている。


ニンファーのメンバーで、顔と名前が割れているのは4人だけ。


――ミツキ、アイリ、ハナ、ミオウ。


5人目の存在については、ほとんど誰も知らない。

表に出ることは滅多になく、ニンファー傘下の不良たちですら、「聞かない・調べない」が暗黙の了解になっているほどだ。


その存在を探るというのは、すなわち――ニンファーに喧嘩を売るということ。

まともな奴なら絶対にやらない。


…恐らくだが、あの男はニンファーと敵対関係にあるブレティラか、あるいはコスモスの人間だろう。


「どうしようかな」


茶封筒をじっと見つめる。


深入りはしたくない。

だが――あの男の正体も気になるし、今月は金にも困っていた。


「……まあ、調べるだけ調べてみるか」






「美咲ちゃん、今日はこの辺の棚卸しお願いね」


「はーい」


“ミサキ”という名前で働いている薬局で、店長の指示に頷きながら作業を始める。


えっと……ここまでは昨日やったから――


在庫シートを片手に店内を歩いていると、ふと目に留まったのは、一人の男性客。


うつむいたままポケットに手を突っ込み、同じ場所を行ったり来たり……

妙に落ち着きがなく、挙動も不審だ。


……なにあれ、怪しい。


「お客さん、どうかされました?」


「っ……?」


「何かお探しですか〜?」


満面の笑みで顔を覗き込むと、男は「いや……」と視線を逸らし、慌てて後ずさった。


ガタン。

後ろの商品棚にぶつかって、よろめいた男のポケットから何かが落ちる。


慌てて拾おうとするその手を、私はすかさず掴んだ。


「……ねぇ、それ、うちの商品だよね? タグ、まだついてるし」


「っ、離せ!」


「万引きしようとしたでしょ。ちょっと裏、来てもらっていい?」


そのまま店長の元に連れて行こうとした瞬間――男が私の手を振り払って逃げようとする。


……もう!!


「逃がさないよっ」


すかさず前に出て、走り出した男の進路をふさぐように立ちふさがる。驚いた男の足が止まりきらず、体勢を崩した。

その足元を狙ってすばやく足を滑らせると、男はバランスを失って前のめりに倒れ込んだ。


「っぐ…!」


倒れた男が立ち上がろうとしたところを見計らって、一歩踏み出し、低く構えた体勢から真っすぐ拳を突き出す。

腹に命中したその一撃で、男は短く呻いてまた地面に手をつく。


「くっそ、この女ァ!」


怒鳴りながら、男が拳を振り上げて突っ込んでくる。


けれど、動きが大きい。見えてる。


私はすっと身をひるがえし、相手の脇腹を肘でえぐるように突いた。

「ぐっ」と声が漏れた隙に、背後へ回り込む。


振り返ってきた男の顔面を狙い、重心を落として全身の力を乗せた一撃を繰り出す。


鈍い音がして、男はそのまま崩れるように倒れ込んだ。


「……動けないよね、もう」


倒れたままピクリとも動かない男を見下ろし、小さく息をつく。



「――美咲ちゃ〜ん? 今、すごい音したけど大丈夫?」


のんきな声を上げながら、ようやく店長が現れた。倒れた男と、拳を下ろしたまま立つ私を見て、目をまん丸にしている。


「店長、万引き犯捕まえた」


「この男? ……死んでる?」


「気絶してるだけ。襲ってきたから返り討ちにしたの。ていうかさ、今月で何件目? 店長、ちゃんと万引き対策してる?」


「いや〜、助かるよ。ここじゃ何やったってこういう奴が湧いてくるんだよね。美咲ちゃんがいてくれなかったら大損だよ、ほんとに」


へらへらと笑いながら男を引きずっていく店長を見て、私は肩をすくめてため息をついた。


――小学生の頃から空手をやっていて、この街で暮らすうちに、さらに鍛えられた。


普通なら、バイトで活かせるようなスキルじゃない。でもこの街では、案外重宝されている。



バイトを終えて帰宅し、PCを立ち上げる。

映し出された画面を見て、「うーん?」と首をかしげた。


あの薬局で働きはじめて、もう一ヶ月。

なぜあの店を選んだのかというと――以前、ニンファーの一人、ミツキがあの薬局に来ていたからだ。


モニターには、灰狼町の各地に仕掛けた隠しカメラの映像が並ぶ。


私がこの街で情報屋としてやっていけているのは、このカメラたちのおかげ。

情報屋になった初期の頃から、少しずつ街中にカメラを設置してきた。もちろん、他にも情報源はあるけど、映像の力は大きい。


……とはいえ、ニンファークラスになると話は別だ。


彼女たちは異常なほど用心深く、ほとんどカメラに映ることがない。私ですら、彼女たちに関する情報は限られている。


ただ、少し前に――そのリーダー格であるミツキが、あの薬局に入る姿が映っていた。


偶然立ち寄っただけかもしれない。でも、あの周辺に関係がある可能性も捨てきれない。

だから私は、あの薬局で働くことにした。顔を変えて、“ミサキ”として。


「……本当に偶然だったのかなぁ?」


店長に聞いても覚えていないと言うし、最近は周辺にも怪しい動きはない。


依頼主のあの男からは、すでに何度か催促のメールが届いていた。

急ぎじゃないとはいえ――そろそろ、次の手に出るべきかもしれない。




翌日のバイト帰り。

次はどうやって調査を進めようかと考えながら、繁華街を歩いていた。


「おーい、お姉さん!」


唐突にかけられた声に振り向くと、そこには若く、整った顔立ちの長身の男が立っていた。

このあたりには珍しい、小綺麗な身なり。だからこそ、私は少しのあいだ、まじまじと見てしまった。


「なんですか?」


「このあと暇なら、うちの店で一杯どう?」


……なんだ、キャッチか。


「大丈夫です。ちょっとこの後、用があって」


「えっ、そうなの。でも、ちょっとだけでもいいから。1杯だけ!」


「……また今度、気が向いたら行きますね」


軽く会釈して背を向ける。

このまま離れられると思った――が。


「待って待って」


そう言いながら、男が私の肩に手を置いてきた。


「最近始めた店でさ。可愛いカクテルとかあるし、まだ客も少ないからゆっくりできるよ。サービスもするし!」


「……」


しつこい。


じとっと男を睨み、肩に置かれた手を振り払った。


「“また今度”って言ったよね。違う人に声かけなよ。私は行かないから」


そのまま早足で男に背を向ける。

今度こそ、追ってはこなかった。


さあ、気を取り直して次の作戦をと、頭を切り替えようとしたその時。


「あ、お姉さ〜ん」


……また?


うんざりしながら振り返る。だが――


どうやら、今度は私に向かって言っていたわけではなかった。

彼は今、別の二人の女性に声をかけている。


スラリとしたスタイル、目を引く美貌。


その顔を見た瞬間、私は思わず目を見開いた。


――あれって……ニンファーの、ミツキとハナ……!?


二人は男の誘いに応じたらしく、並んで彼についていく。


嘘でしょ……!


唾を飲み込むと同時に、私は思わず駆け出していた。




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