第23話 『虐殺』
和也は、その顔に不気味な笑みを張り付けたまま、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてきた。その瞳の奥には、もはや彼の面影はなかった。
「ガサッ、ガサッ、ガサッ、ガサガサガサガサ……」
彼の一歩ごとに、神社の周囲を取り囲む古木がざわめき、乾いた落ち葉を踏みしめる音が不協和音のように響き渡る。その音に呼応するかのように、闇の中から怨鬼たちが姿を現し始めた。
一体、また一体と、蠢く影がそこかしこに滲み出し、その数は前回とは比較にならないほど膨れ上がっていく。
不意に、目の前の和也が足を止めた。そして、私に向かって震えるような声で懇願した。
「エリカ、た、助けてくれ……アイツに操られているんだ……!」
彼は、まるで救いを求めるかのように、震える手を私に伸ばしてきた。その表情は苦痛に歪んでいた。
「お、お前……いい加減にしろ!」
私の怒号が、その偽りの姿に向かって飛んだ。
ヤツは和也などではない。この底知れぬ悪意を纏った存在は、加藤健児、そのものだ。私をどこまでも愚弄し尽くそうとしているのか。
私の声を聞いた瞬間、和也の顔から一切の感情が消え失せた。伸ばされた手はぶらりと力なく垂れ下がり、その瞳は私を冷酷に射抜いた。
「今からそっちに行くからね、エリカ……」
その言葉が、凍てつく鎌のように私の心臓をえぐった。同時に、和也の背中から黒い影がずるりと這い出してくる。
それは粘着質な闇の塊のように蠢き、徐々に膨張し、おぞましいほどに人の形へと変貌していった。和也は、魂を抜き取られたかのようにその場に崩れ落ち、二度と動くことはなかった。
そして、その影はゆっくりと立ち上がり、その全貌を現した。
加藤健児……奴が、そこにいた。
健児は、邪魔だとでも言うかのように、目の前に横たわる和也の骸を無造作に蹴り飛ばした。その体は軽々と宙を舞い、闇の奥へと消えていった。
周囲は完全に包囲されていた。
見えるだけでも百体はとうに超え、二百……奥に控える者たちを含めれば、三百を下らないのではないだろうか。怨念が渦巻くその群れは、まるで生きた闇の壁のように視界を埋め尽くしていた。
「ねぇ!桃花、ヤバいよ!こんな数、勝てるわけないじゃん!」
私の悲鳴が虚しく木霊する中、桃花は額に手を当て、まるで美術館の絵画を鑑賞するかのように、ゆっくりと周囲を一望した。その表情には、一切の焦りも恐怖もなかった。
「いるね……やるじゃん!あの死害。こんな短時間でよくもこれだけ集めたね。ちょっと侮っていた。」
桃花の呑気な声が聞こえ、私が文句を言おうと口を開いた、その瞬間だった。桃花の口調が突如として氷のように冷たく変わり、私に言い放った。
「でもね、エリカさん……雑魚は何匹集まっても雑魚なんだ。なんの問題もないよ。」
桃花の冷めたく響くその声に、私は思わず背筋にゾクリと悪寒が走った。まるで、底知れぬ深淵を覗き込んだような感覚だった。
「小夜!」
「はい、桃花様」
その声に応じ、闇の帳の中から音もなく姿を現したのは、小夜。既に臨戦の構えをとっていた。
「後ろの連中、任せていい?」
「かしこまりました。数はやや多いようでございますが……狒々王を召喚されますか?」
「いや、いいよ。それはちょっと大げさすぎる。僕たちだけで、さくっと片付けよう。もう『手加減』する必要もないしね」
その言葉には、冷気にも似た殺意が宿っていた。
一切の迷いも、慈悲もない。
桃花の声は、まるで獲物を前にした捕食者の本能そのものだった。
「了解しました。では一匹残らず、切り刻みます」
「頼んだよ、小夜」
言葉が終わると同時に、小夜の姿がふっと霞む。
次の瞬間、彼女の身は怨鬼の群れの前に滑り込んでいた。
空を這うように手を振ると、「ヒュンッ!」風を斬る音が空気を切り裂く。
直後……
「ズババババババババッ!!」
空間が歪んだかのような衝撃音。
刹那、前列の怨鬼たちの首が、一斉に宙を舞った。
まるで見えない何かが空間そのものを両断したかのように、数十体の首が鮮血と共に飛散し、無数の肉体が次々に切り刻まれ、黒煙のように霧散していく。
動作は一切見えなかった。
殺意だけがそこにあった。
「……っ」
あまりの凄惨さ、あまりの超常に、私は声を失った。
もはや『戦闘』ではない。
虐殺。それも、あまりにも静かで、鮮やかで、機械的な。
小夜の顔に感情はなかった。
ただ、命じられた『任務』を忠実に遂行する。それだけの意志が、そこにはあった。
次々と敵が灰燼と化す中、私はただその場に立ち尽くし、震える指先を見つめていた。
そして桃花が静かに呟いた。
「じゃあ……こっちも始めようか」
その声は、いつもの柔らかな調子とはかけ離れていた。抑揚のない、冷えきった声音。まるで何の感情もない機械のようだった。
彼が刀の柄に手をかけると、無言でそれを抜き放つ。
刃渡りは優に身の丈に迫る長刀。その刃が、青白く淡く光を放っている。目の錯覚かと目を擦るが、やはり光っている……月光のように、静かに、禍々しく。
鞘を無造作に地に置くと、桃花はその巨大な刀を肩に担ぎ、ゆっくりと死害の方へ歩を進めた。
そして、刀を持ち上げると――空中へと、横一文字に振り抜く。
その瞬間だった。
「ヒュン……! ゴゴゴゴゴッ!!」
空気が裂けた。
斬撃が視認できるほどの青白い光を放ちながら、かまいたちのように疾駆し、死害と周囲の怨鬼たちを襲った。
死害は寸前で飛び退き、なんとかその斬撃をかわした。
だが、周囲の怨鬼たちは違った。逃げる間もなく、青い光の軌跡に呑まれ、その身を縦横無尽に両断されていく。
次の瞬間……
「シュバッ! ズバッ! ギャリィィッ!!」
止まらない。桃花の刀が振るわれるたび、無数の光の斬撃が空を舞い、流星のように怨鬼へと降り注ぐ。
敵は防ぐことすらできず、次々と斬り裂かれ、地に伏していった。
それでも桃花は、ただ静かに、悠々と歩き続けている。
鬼たちがどれほど迫ろうと、一歩たりとも彼に近づけない。むしろ近づいた瞬間、彼の刃が待っていたかのように閃き、敵を一刀両断する。
その光景を、私はただ唖然と見つめていた。
ようやく分かった。
あの時……前回、彼は本気を出していなかったのだ。
いや、今ですら本気なのか分からない。ただ確かなのは、彼は確実に……手加減をやめたということだ。
そんな私の隣で、腕を組み観戦していた仙道さんが、ふと呟いた。
「前回はね、君の『名取り』が最優先だった。だから彼も、わざと手を抜いてたんだ。死害の名前を探り出すためにね。追い詰めすぎて逃げられたら、元も子もないだろう?」
穏やかに笑みを浮かべる仙道さんは、信じられないことを平然と語る。
「桃花くん、見た目と違って芝居が上手いんだ。敵を油断させて躊躇なく仕留める。それを楽しんでる節もあるしね。『戦闘狂』ってやつさ。今なんて、ほら。完全に遊んでる」
そう言って笑う仙道さんに、私は背筋が凍る思いだった。
演技……
何処までが演技なの……?
斬り捨てるたびに微かに笑みを浮かべる桃花の顔には、人間の理性のようなものはなかった。
私の中で、彼への認識が静かに、しかし確実に塗り替えられていく。
桃花……彼は、ただの『味方』なんかじゃない。
その奥底に潜んでいるのは、冷たい刃そのもののような、底知れぬ何かだった。
勝敗は、すでに決していた。
あれほどいた怨鬼の群れは、一体残らず桃花の刃のもとに倒れ伏し、今や戦場に立つのはただ一人……死害、健児のみだ。
私たちの背後から聞こえていた戦闘音も、いつの間にか完全に途絶えていた。
きっと小夜が、あの無数の怨鬼を、瞬く間に切り刻んだのだろう。
戦いが始まって、まだ三十分も経っていない。
信じがたい。現実とは思えなかった。
桃花と小夜、二人の戦闘能力は常軌を逸している。これは戦争ではない。
圧殺。
一方的な処刑だった。
健児は呆然と立ち尽くしていた。
自身が抱えていた『軍勢』が、一瞬にして塵と消えた今、かつての威圧感はすっかり霧散し、ただの影のように、ポツンと孤独にそこに在るだけだった。
その男に、桃花がゆっくりと歩を進める。
まるで、舞台の幕引きを告げる役者のように、静かに……
「……健児くん」
その声は穏やかだった。
だが、どこか人の心を踏みにじるような悪意が滲んでいる。
「さあ、残るは君だけだ。……お願いだから、簡単には死なないでくれよ?」
ニコリ、と笑う桃花。
その手には、青白く光る長刀が握られていた。
刃が、まっすぐ健児へと向けられる。
桃花の笑顔は敵意というよりも、まるでおもちゃを見つけた子供の笑顔のようだった。
私はその場に立ち尽くし、ただただ、凍りついたようにその光景を見ていた。
この男わ……桃花は、やはり普通ではない。
その笑顔の奥に潜むものに、言い知れぬ恐怖を感じずにはいられなかった。
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