達也

 菊池健介とは一年生の時からの腐れ縁だ。今時珍しい長屋の様な建物に、母親と兄弟達と、五人で住んで居る。貧乏なのだろうがそれを苦にしている様子もなく、毎日の様に達也を家に誘って来る。かえって申し訳ない様な気持になるのだけど、屹度きっと寂しいのだろうなと思うから、無碍むげに断ることも出来ない。

 余り毎日家に行くので、達也の母親の方が気にして仕舞って、ある時達也にを持たせたことがある。洒落た洋菓子店の詰め合わせのカンカンだったのだけど、それを持参した時健介の母は鳥渡ちょっと嫌な顔をした。健介やその兄弟達はそんな母親の様子などお構いなしに、大喜びであっと云う間に空にして仕舞ったのだが、それでもそれ以来、おみやを持って行くことはしなくなった。子供心になんとなくいやな空気を感じたから。

 健介の母親は夕方になると出掛けて、朝方帰って来ると云う。だから日中はずっと布団の中に居る。健介やその兄弟達と部屋の中でドタバタ遊んでいると怒鳴られるので、大抵は皆外に遊びに行く。親の監視が無い状態なので可成自由奔放に遊び回るのだけど、時々近所の恐ろしいオヤジに怒鳴り散らされる。でもそんな恐ろしいのはそのオヤジだけで、他の大人達は微妙な顔はするけど何も云わないので、ほとんどの場合は好き勝手に騒ぎまくっている。近所の鼻つまみ者だったのだろうなと思うが、そんな事当時の当人達は知るよしもない。

 時々チンピラ風の男が遣って来て、健介達に飴玉やらガムやらスナック菓子やらをくれた。達也も貰ったことがある。健介は「父ちゃん」と呼んでいたが、家には一切近寄らず、健介の母親に何の挨拶もしない儘帰って仕舞う。達也もたまに話し掛けられるが、迚も優しい口調で、いつもニコニコしている印象しかない。チンピラでも屹度下っ端の方なのだろうなと、子供心に感じていた。

 「父ちゃんは世界を相手に戦ってるんだって」

 健介はよくそんなことを云っていた。意味は解らなかった。

 「世界だぜ、凄いだろ!」

 自分の父親は犯罪者と戦っているらしい。警察官なのだ。しゅひぎむとか云って、余り話してくれないから、詳しくは知らないけど。そう云うと健介は眼をキラキラ輝かせた。「すげー、お前の父ちゃんも戦うんだ! 俺の父ちゃんとタッグ組んで悪人倒したりしないかな!」

 しないと思う。なんとなく、どっちかと云うと敵対しそうな気がする。けどそれは云わないでおいた。

 その日も健介と二人で遊んでいた。爆弾の玩具おもちゃに火薬シートから一つ千切ちぎって装填し、確り締めて放り投げると、地面に落ちて、パン! と鳴る。昭和の玩具らしいけど、一体何処から手に入れて来るのか判らない。こんな変な面白い我楽多を健介は沢山持っている。この爆弾の玩具は只々音が鳴るだけの単純なものなのだけど、サイズの割には結構やかましい。喧しいのが愉しくて、何度も何度も放り投げては、鳴らして遊んでいたら、二人組の背広姿の男達が横を通り抜けて、健介の家に向かって行った。

 「おい健介、お客さんみたいだぞ」

 健介も振り返って、二人の客を背後からじっと見詰めた。暫くすると健介の母親がだらしない格好で出て来て、二人組を家の中に入れた。

 「なんだろうあいつら……敵かな、味方かな」

 そう云いながら健介は、そっと家に近付いて行った。壁板が薄いので、中の話声は筒抜けだ。

 「なんだい一体。あんたら警察だね。康太が何しようがウチとは関係ないよ」

 母親の声が聞こえる。二人で壁にぴったり張り付いて、会話の続きを待つ。

 「関係ないとは思いますが……然しこれはあいつの望みでもあるので」

 聞き覚えのある声だった。

 「父さん?」

 先刻さっきは一緒に居た男の陰になって、よく見えなかったのだけど、確かに父親の声だった。

 「え、達也の父ちゃんなのか? 愈々いよいよタッグか!?」

 いや、そんな雰囲気ではなかった。

 「なんだい勿体もったいぶって。あたしは寝てたんだよ、夜の仕事なんだから勘弁してくれよ。警察に睨まれる様なことなんかしてないよ!」

 「落ち着いて、確り聞いてください」

 「なんだよおっかないね……あんた……え? まさか……」

 そして父親は、最悪の事実を告げた。

 健介が手に持っていた爆弾の玩具がするりと落ちて、足許でぜた。

 「誰かいるのか!?」

 中から父親でない方の男が出てきた。

 「子供です、二人!」

 そいつはそう報告すると、健介と達也の様子を見比べた後、健介の前で屈んで顔を覗き込んだ。

 「けんすけ、くんかな?」

 健介は無言で、小さくうなずいた。

 「健介君です!」

 父親より先に、健介の母親が家から飛び出して来て、健介を乱暴に抱き締めた。そして声を立てゝ泣いた。健介も母親にしがみ付いて哭いた。

 後から出て来た父親と目が合った。

 「達也? ――おまえなんで」

 「父さんこそ……」

 「えっ、シンさんの息子さんですか?」

 おろおろする若い男を挟んで、達也と父親は向かい合った儘、凍り付いていた。菊池母子の哭き声だけが、異様な迄に響き渡っていた。

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